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“最もすばらしい展示者”−法輪大法がスペインの民衆を魅了する

文/スペイン学習者

【明慧ネット】この間、マドリードにて行なわれたスペイン秋の全国健康博覧会にて、法輪大法は再び人の目線を集めた。

博覧会のビルに入ると、真っ先に人々の目の前に現れるのは法輪功学習者たちがきれいな列をつくり、演じている五式の優美かつ穏やかな功法である。人々は足を止め、その場面をカメラに収めた。展示会のホールに法輪大法の展示するポジションにて、功法を演じている学習者もおり、人々にチラシを配りたいほうを紹介する学習者もいる。人々が足を止め、図での紹介やビデオを見ていた。

博覧会の主催側は既に法輪功の熱心の友達である。この博覧会の期間中に、われわれは主催側の大きな支持を得た。法輪大法は博覧会で特別な待遇をもらった:法輪功学習者が展覧会のあらゆる露天のところで自由に図を展示することや功法を演じることをでき、また法輪大法は唯一四日間連続で(博覧会は四日間である)紹介会を許された参展組織である。

毎日一時間半の法輪大法の紹介会で、いつも100から200人が参加していた。一度、一人の学習者が時間通りにうまくコントロールできず、終わる時間になったにもかかわらず、真相のビデオもまだ終わっていなかった。そのとき、係員が時間も過ぎたこと知らせてきたが、しかし、紹介会に参加していた人々全員が時間の延長を申請してくれた。毎回、紹介会が終わった後に、多くの人々が功法を学びに来ていた。

一人スーツ姿の男性が、はじめからまじめに学習者たちの紹介を聞いていたが、しかし、途中で突然:“もう言わなくてもいいよ”と言い出して、そして去っていた。この学習者は、自分があまりにも高い次元の話しをしすぎたかと反省しているところに、あの男性はまた戻ってきて、彼女に:“ありがとう、私は必ず9講の講義を全部聞きますよ。”と言った。

一人車椅子の女性は、われわれのポジションを通り過ぎようとするときに、ご主人にとめるようと願い、その目線はテレビの画像(そのとき師父の功を教えるビデオを流していた)から離れることがなかった。彼女のご主人によると、彼女は病気になってからもう23年も経つのだ。彼女が話せないが、彼は彼女を理解しており、今、彼女が大法を習おうとしている。われわれは彼に彼女のために《転法輪》を読んでもいいと勧めた。法輪功は病気などの治療をしないが,しかし,本当に修錬すれば、どんな奇跡も起こりうるのだ。帰る前に、ご主人は一冊の《転法輪》を持ち帰り、また学習者たちが彼らに普度の音楽テープを贈った。彼女はきつく学習者の手を握り、離れようとしなかった。

もう一人の男性は、われわれのポジションに長くとどまり、最後彼がわれわれの隣を通るとき“感じたことのないエネルギー場”を感じていたといった。

多くの功を学びに来た人がわれわれに:ほかのところで感じられない穏やかさと美しさを感じていた。また、功を教えているところの問い合わせや9講の講義に参加したいと言う人が絶えることがなかった。

一人ほかのところからわざわざ来た白人の学習者が、涙でいっぱいになった目で、われわれに:天目で、師父の比べられない巨大の法身が場所を保護しており、穏やかの光が満ちており…

四日間の活動は円満に終了し、博覧会の主催者たちはわれわれにお祝いの言葉をお送り、また、法輪大法は今回の博覧会で最もすばらしいものだと褒めた。

スペインテレビが今回の博覧会を報道し、法輪大法に重点的に報道した。

後記

今回の博覧会を参加した学習者がそれぞれの地域から矢的手、みんな本当に自分を一つの大法の粒子のように、どこかに不足があると自動的にそこにいき、仕切る人もいなく、一人一人がまろやかで穏やかだった。たとえ、問題や干渉に出会ったときも、お互いを攻めることなく、落ち着きながら、助け合い問題はすぐにも解決されあるいは消えていった。ある学習者が体験談で述べたように:今師父が言っていた“常人が大法のことをしているのでなく、大法学習者が大法のことをする”の意味がだんだんと明らかとなってきた。

博覧会が終わったあと、約150人が9講の講義に参加した。われわれがあらかじめ借りた教室に人でいっぱいになり、いすも足りなくなり、廊下にあるすべてのいすを使っても足りなく、少し遅れた人は床に座るしかなかった。教室内の廊下、出入り口、それから教室外の廊下にも法を聞きに来る人でいっぱいになっていた。それらものをほしがっているような瞳を見つめると、われわれの目も涙で潤われ、自分のしたことがまだまだ足りないと感じた。まだ、そんなに多くの命が大法を得ようとしており、救出を求めている…われわれはもっともっと自分たちのすべきことをこなし,それはわれわれの責任であり,われわれの使命でもあるのだ。