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長春緑園区公安局と第三留置所、大法学習者支桂香氏を虐殺の経緯

【明慧ネット】私は、未だに30歳の若さの支桂香氏が迫害され死亡したことを信じられないでいる。あんなに優しく美しい彼女であったのに。彼女の満面の笑顔は、今でも時々頭に浮かぶのだ。彼女は、大法の修煉を堅持していて、今まで3度も魔窟から脱出に成功していた。一度目は13日間、二度目は18日間、三度目は25日間だった。彼女の素朴で真面目な言葉を借りて言うなら“信念を堅持し、前へ突き進むのだ”と。彼女は、何をするにしても真っ先に他の人のことを考えてから行動し、真相を説く時は、いつも穏やかで慈悲心に満ちて、根気良く説明するのだ。がしかし、10数日間で迫害され死亡したとは何故か?原因は何であったのか?殺人犯は誰だったか?

その後の情報によると、支桂香氏は、7月17日にポケットベールの呼び出しに騙され、外出した時に、長春市緑園区公安支局に拉致されたのだという。彼女に他の学習者を裏切って、摘発するように悪党警察は、彼女に数々の酷刑を施していた。見た目は温和だが意志の強い支桂香氏は、大法の教えで既に“金剛石のような意志”を修得していて、邪悪には絶対妥協しなかった。虐待され息奄奄になった支桂香氏は、その後長春市第三留置所へ移送された。当時、彼女は既に居座ることも食事も出来ない状態だった。このような状態の場合、留置所の規定によれば受け入れることは出来ない筈で、又は、救急救命の為に病院へ送るべきであったが、しかし、第三留置所は、各公安局と既にグルになって、全ての大法学習者に対しては法律を一切無視し、人道などは講じず、息がある限り受け入れることにしているのだ。支桂香氏の体がこのような状態になっても、彼らは、彼女に強引に口や鼻から食物を詰め込み、流し込むことを行なった。その上に、彼女に手錠と足枷を掛け、特別監禁室へ入れた。支桂香氏が危篤状態に陥った時、悪人らは、彼女を無視し最後の最後になって、ようやく病院へ運んだ。しかし、未だ病室に辿り着く前に彼女は息が絶った。

支桂香氏が亡くなる2日前に、緑園区公安支局の警察朱氏は、支桂香氏の家族はどんな仕事をしているのかについて家へ調査に出かけた。その時、支氏がすでに危篤状態に陥っていることについて、一言も言わなかった。只、支氏のバックグラウンドを調査し、その後の対策を練るためのことだったのだ。そして、2日後に緑園区公安支局は、支氏の家族に黙って勝手に死亡した支桂香氏を火葬した。警察朱氏は、火葬場の同意書に勝手に家族の代わりにサインをしたのであった。支桂香氏の両親が公安支局へ娘を求めた時に、朱は逆切れをし、支桂香氏は逃走したからだと怒り出した。そして、支氏の両親に直ぐに帰らないと下の娘(同じく大法学習者)も逮捕すると脅迫したのだ。

その後、支氏の両親は、火葬場へ調べたら、支桂香氏が火葬された記録と悪党警察朱氏のサインを見つけた。人命は正に草のように毟られたのだ。ここは、本当に法も規律も無い乱れている場所なのだ。法律を無視し、勝手きままなことをして何らかの憚るところが無いまで来ているのだ!大法学習者は、冤罪を着せたまま死亡したのに、殺人犯が法を逃れていることは、法律には許されないのだ、自然の定まった理にも許されないのだ、因果応報は必ず来るのだ。