日本明慧

個人修煉と正法時期の修煉は異なっています

文/大陸の大法弟子

〔明慧ネット〕

以前私達は個人修煉の時に、皆私は円満します、自分の本当の家に帰ります、私は修めて帰れますと思っていました。こんな考えは個人修煉状態だと私は思っています。しかし現在正法時期の修煉の基点は、私はこうならなければならないとか、私はどうだろうか、とかいうものではないのです。私達は何をするにも基点を法の上に置くことです。例えば私がいつも正念を保つのは、邪悪に隙間を狙われないようにして、先生の正法に難度を持って来ないようにするためであり、私達大法弟子のために先生が困らないようにしなければなりません。

私達は修煉人です。だから又修煉出来てない面もあります。何か困ったことに遭うときには先ず自ら探して自分に何か問題が有るのではないか、何処かが正しくないではないか、又よく出来てないところがあるのではないか、仕事をする心ではないか、先ず自ら探しだほうが良いと思っています。自分の良くないところに正しく向き合い、直す気持ちがあって、そうして初めて私達が正念を発して邪悪の大法に対する迫害を取り除く時に、貴方はすでに邪悪の旧い勢力の手配から抜けて行けると思っています。邪悪が貴方に来る時には、あなたのその時の心性と境界に対しています。私達が自分の足りない所を見つけて直そうとする行為と心がある時、私達の心性と境界はすでに昇華して行きます、この時に私達が邪悪を一掃するのは一瞬間の事です。

例えば私がインタネットで大法資料をダウンロードするとき、時には出来なくなります。そのとき私は先ず邪悪の邪魔を一掃するのですが、時には効き目が有るけれども時には効果が有りません。効果が無いときには私は先ず自ら原因を探して見ます。もしかして自らが執着する心があるのではないか、法に従って心性を高めていかなければならないのではないか、と考えて、私は落ち着いて法を学びますし、私は錬功をしていなかったのではないか、と考えて、心を込めて錬功します。心理状態を整えてから、大法弟子は大法の事をしていました。その後ダウンロードしてみると、前と異なっていました。それは私の正念がすべてのネット上の邪悪を取り除いたのです。

個人修煉は邪悪を取り除く問題が存在しません。ただ問題に遇う時に自ら探して、自分を修めることです。それから先生が私達の環境を変えてくれます。でも正法時期の修煉は問題に遇う時自ら探しで修めてから大法が私達に与えた能力で自分の正念で邪悪を取り除きます。

以上は私個人の悟りですので、足りないところは訂正と指示を宜しくお願いします。