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天津市北辰区双口労働収容所の大法弟子を虐待虐殺した事実

【明慧ネット】私は、かつて不法に天津双口労働収容所に監禁された。私にとって、双口収容所での見聞を暴露することによって、全世界の善良なる人々に江氏独裁政権の法輪功学習者に対する残酷極まった迫害を知ってもらう責任があると思う。以下は、所謂部級文明強制労働収容所——双口収容所での“文明管理”の手段の一部分である。

一、監獄の警察は、所謂“転化率”を達成し個人の名誉と利益の両方を得るために、警戒道具を濫用していかなる手段を使って大法弟子を虐待する。それで多くの人が殴られ身体障害になり、怪我したり、虐待により精神異常になったり、更には迫害され死に至った。

かつて不法に双口一隊に監禁されていた大法弟子唐堅(現在は板橋三大隊四中隊)さんは、王隊長に一時間四十分も耳を打たれ、顔が変形するまでに至った。王隊長はこのことで当然に報いを受けられ、腕が痛くて何日も出勤できなくなった。

53歳の大法弟子肖樹清さんは、虐待により体が衰弱し、お尻が破れて(腐乱)座ることもできなくなった。医者が休暇の願いを出してくれたが、隊長は彼に休ませないばかりか返って労働させた。二隊長は彼に手で殴り足で蹴るなど、また耳を殴り大声で口汚くののしった。一隊長は、凶暴に言いつけた:“窓を開けておくから、納得できないなら別に飛び降りてもかまわない、明日私達はあなたが罪を恐れて自殺したというから。”事後、肖さんはこのことを教導員に告発したが、その中の一人の小隊長は肖さんを指しながらこう言った:“あなたの家庭住所を俺は調べることができる、俺には外に多くの友人がいるから、家族の人を平安にさせたければ黙っていろ”と。これでは警察が匪賊と一緒ではないか?

大法弟子朱剛さんは、刑事犯に毒打され、悪人は二本の電気警棒で彼を息がなくなるほどまで電撃した。国家は警戒具の使用に厳しい規定があるにもかかわらず、双口労働収容所の犯人は電撃警棒をやたらに使用している。それも、この収容所の管教員らが目的を達成するために、これらのごろつき暴徒に対しどれだけ便利のドアを開けてやったかがわかる。これらごろつき暴徒は、社会で皆権勢を頼って横暴なふるまいをしていて、性情暴虐な悪党達だ。隊長は減期と得点を増やすなどを餌にして、彼らをそそのかして大法弟子に寝させない、トイレに行かせない、人格を汚すなど残酷な虐待を行わせるのだ。大法弟子が断食抗議を行うと、結果は管教らに“改造に反対する”という名義で他の収容所に移される。大法弟子劉軍さんはこうしてこれら悪党暴徒に迫害され死に至ったのだ。

双口収容所二隊では、軍事訓練をするという手段で信仰の固い大法弟子を虐待する。酷暑で耐えらない、烈日が厳しい季節に警察は、大法弟子に朝から晩まで走らせる。また動作を分解させて練習する。1と呼んだら、一つの足を地面から30センチ離せ、2を呼ぶまでは足の姿を変えてはいけない。しかし、この“2”というのが40分ほど待たなければならないのだ。もし、立てなくなったら、刑事犯人らが彼達を殴り蹴る、棒で殴るなどする。昼にご飯を食べる何分間の以外には、ずっと途切れなく練習させるのだ。

獄警は、また大法弟子に強引に大法を汚すビデオを見せる、その後、隊長宋秀峰が大法弟子胡沛友さんに何の認識があるかと聞いたが、胡沛友さんが“認識”がない、といったら、宋隊長は電気警棒で彼の首を酷く電撃し泡までできた。大法弟子満春橋さんが胡沛友さんに話し掛けると、隊長何軍は彼に対しても酷く電撃した。大法弟子杜万敏さんは“保証書”を書かなかったため、隊長劉志増と何軍らに殴られ電撃されるなどの暴行を受けた。

2001年私が三隊に来た最初の日、刑事犯?建平は、“悔い改め書”を書かない大法弟子を皆手が足に着くように立たせて体罰した。みんなも汗だらけになり、両足が震えていた。何人も既に50歳を過ぎていたが、?建平は“今日‘悔い改め’を書かないと誰でも立ちあがることを許せない”と大声で叫んだ。叫びながら脚で蹴り、ひじで私達の背中を撃った。私は、打たれ二回も頭が地面にぶつかり、一瞬気を無くした。それでも満足せず、夜は更に私達を寝させない、ずっと朝の5時まで虐待してから寝ることが許されるが、それも6時になったらまた起きなければならない。

労教犯人は、また私達に強引に直径が十なんセンチしかない、凸凹のコイルを巻く軸に座らせる。それで大法弟子何金友さんはお尻が全部破れてしまった。大法弟子?春林さんは“保証書”を書かなかったため、隊長師光に木の棒でお尻を黒くなるまで打たれた。

私が最初労働場に来た時、ある日、二班号房で労働していると、二人の労教犯人が口実を探し私を殴った。私は人を殴ってはいかんと叫び彼らを制止した。翌日、中隊隊長?秀河が私を事務所まで呼んで、こう聞いた“お前は昨日何を叫んだと?”私は誰か私を殴ったからと言うと、隊??秀河は腹黒く言った:“あなたを殴ったのか?傷でもあるのか?”と言いながら私の顔を強く打った。そして横目で人を見、足を震えながら私に聞いた:“俺はお前を殴ったのか?誰が、俺がお前を殴ったのを証明できるのか?傷があるのか?ハハ、お前には俺がごろつきに見えるのか?何でもないことに驚くな、これが収容所なんだ、ほんとうにこうなんだよ。”その時、隣にいた犯人大班?祥永が私を足で蹴りながら、こう聞いた:“お前、今日殴られたのか?誰が殴ったの?”私は“殴られた、隊長に殴られた。”と言うと、?は“違う、違う、我々のここは労働矯正学校なのだ、人殴りもしなければ人をののしることもしないのだよ”と。そして、?は私を民管会に連れて来て、私に“ここは労働矯正学校だ、人を殴らない、人をののしらない”と話すように強制された。この暴徒は、午前中ずっと私をいじめたが、私は言わなかった。現在、この?秀河は五隊隊長に昇進された。

大法弟子李起文さんは、隊長王震に虐待され身体障害になり、生活自立能力を失った。

双口四大隊に拉致された大法弟子孟捷さんは体が非常に衰弱した状況で、唐大隊長に電撃され気を失った。教導員常Xは現場で見ていた。大法弟子李志強さんは管教に電撃されながら、悔い改め書を書くように強制された。
隊長唐Xは大法弟子肖?清さんを殴ったが、肖さんが断食で抗議したが、その結果、隊長はガムテープで彼の口を貼り、彼の手と足に錠を掛けて彼を二隊に移した。移す途中も、隊長徐?はまた肖に暴行を加えた。

双口労働収容所の五大隊は“魔鬼隊”と呼ばれている。教導員楊志秋は“市級先進”にもなり(実は先進地獄)、特に法輪功を迫害するのに“特別な経験”があるということで新聞にも出たという。ここでは、双口労働収容所のあらゆる邪悪を集めて虐める以外に、管教はまたトイレに行かせない手口で大法弟子を迫害する。ある大法弟子がひそかに瓶を隠して尿を入れていたが、それが発見され管教に尿を飲むように強制された。大法弟子張永さんはトイレに行くことを申請したため殴られ歯が二つも落された。

一日の労働がやっと終わり、他の犯人は皆寝ても、管教は大法弟子に五円のコインほど大きさの雑布で床をふかせ、ふき終わらないと寝ることが許されない、それでずっと日が明けるまでふかなければならない。

劣悪で汚い環境のため、多くの法輪功学習者の体には皆疥癬ができてしまった。隊長はみんなに服を脱がせ、灼熱の太陽に照り付けさせる。何時間も過ぎて、みんな喉が乾いてそれ以上耐えられなくなった時、管教は盆ごとに冷たい水を入れみんなの頭の上に載せる。飲ませるのではなく、“保証”を書くように強制するためだ。

大法弟子梁峰さんは体が弱いが、豆を選別するとき、隊長はわざと一袋の豆を彼の体の上に載せ押した。大法弟子張鉄柱さんは管教に高さわずか40センチ足らずのベッドの下に6、7時間も押しいれられた。引き出した時、人がすでに変形した。大法弟子劉子栄さんは大学生だったが、今は迫害され精神異常になってしまった。

二、双口二隊の管教は刑事犯を教唆し大法弟子を殴り死に至った。

2002年8月15日朝労働に出る時、二大隊の法輪功学習者がビルの下で列に並んで作業場に入ろうとした時だった。突然ビルの上から誰かが“人を殴っているよ!”と叫んでいた。法輪功学習者梁峰さんは、犯人に殴打されたので断食で抗議し、隊長との面会を求め、下へ下りて労働に出ることを拒絶した。そのことで、犯人呉国亮、李文洪、鄭学斌、劉金明らは彼を殴打した。これらの犯人は梁峰の脚を引き上げ二階の階段から下へ引きずった。ある人が即時に駆けつけ梁峰の頭を両手で保護したが、そうでなければ、彼は多分一つ一つの階段で撃って死んでしまったかも知れない。これを見ていた大法弟子達は、怒りを覚え“人を殴ってはいけない!”と叫んだ。隊長王?をはじめとした悪党暴徒らは凶悪極まって叫び出した:“XXXは皆隊に戻れ、出て来た人は殴るからな!”犯人呉国亮、李文洪は手に木棒を持って、ものすごく口汚くののしりながら二十何名の大法弟子を指して狂気じみにわめきたてる:“誰が敢えて出てこようとするのか?殴って撃ち殺して見せるぞ!”この時、大法弟子顔景波さんが非常に平和的に彼らに対し、あなた達それを止めなさいと言った途端、彼らに棍棒で酷く殴られた。この時大法弟子陳宝亮さん、李忠文さんが立ちあがり人を殴る二人の暴徒を制止したが、同じく彼らに毒打された。その時、孟隊長と王?も駆けつけて来た。彼らは他の法輪功の学習者に動かないように命じながらも、陳宝亮さんと李忠文さんを殴りつづけている二人の犯人に対しては制止しなかった。陳宝亮さんが叫んだ:“邪悪を取り除こう!”この時鄭教導員も駆けつけてきて、“また叫んだら、おまえを縛るぜ!”と言った。彼の話しが出たばかりで、犯人の呉国亮、李文洪は地面に倒れている陳宝亮さんに対し殴り蹴りして、後は彼をサッカ庫房に運び込み、中に入ると呉国亮が狂気じみで“彼を投げつけて殺せ”と言った。すると鄭学斌、呉国亮、李文洪らが陳宝亮さんを持ち上げてこっぴどく地面に投げつけた。呉国亮は更に飛び上がり全身で陳さんの体を踏み、口からは絶えずに“殺してやる!殺してやる!”とののしった。この時、隊長は外の入り口で見張番をしていた。約40分後、彼らは陳宝亮さんに部屋に戻らせた。私達は、陳さんがゆらゆらしながら庫房から出て来て、20歩も歩けずに気を失い地面に倒れてしまったのを見た。呉国亮は後ろで叫び出した:“誰も彼を助けてはいけん、自分で戻らせ。”その後、犯人高輝、劉立峰が陳さんを上まで運んだ。その時大法弟子肖樹清さんも上にいた。何分後、陳宝亮さんは永遠に目を閉じた。このすべては、二大隊の24名大法弟子とその場にいた50名の犯人が皆証明できる。

陳宝亮さんが亡くなった時、元々晴れていた空は突然にわか雨が降り出した。

二大隊の鄭教導員をはじめとした邪悪のごろつき集団は、大法弟子陳宝亮さんを迫害し殺した後、事実を隠すために捏造を作り上げた、:陳宝亮は心臓病で死んだ、そして法医の鑑定材料があるとうそをついた。犯人高輝、劉立峰が偽証人になった。8月17日彼らは、陳宝亮さんを火葬した。その後、内情を知っている大法弟子を一人一人他の所へ移した。

私は、この事実の材料をもって、国際社会の関心と注意を呼び起こし、中国で発生しているこの法輪功に対する残酷極まる迫害を制止させるよう呼びかける。邪悪の悪党暴徒らは最後には必ず天法の制裁を受けるに違いない。そして大法弟子の支払った代価ももっと多くの良知を呼び起こすことになると信じている。