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大法弟子の曲輝氏、大連教養院の獄警と獄医に
酷く殴られ全身不随になった経緯

【明慧ネット】編集者の言葉:世界各地の大法弟子たちは、皆密接に曲輝氏の状況を注目していく。近い将来に、凶手は必ず法律の裁判、天理に懲らしめられる。そして、多くの大法弟子は自分の受けた迫害を書き出し、世界に江氏政治テロ集団が無辜な法輪功学習者を迫害する事実真相を知らせてほしい。

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私は、曲輝と申し、今年32歳で、遼寧省大連市中山区怡和町41号に住んでいる。迫害された前は大連港の理貨員だった。私は1996年から法輪大法を修錬し始め、心身とも非常に大きな益を受けた。私の妻も法輪功学習者で、劉新頴と申し、大連市産婦人科病院の看護婦だった。

1999年7月22日、江沢民集団は法輪功を誹謗し始めたため、私は妻と一緒に陳情をするために上京しようとしたが、大連空港で非法に拘留され、大連市警察所で50日も迫害、監禁された。当時は妻がちょうど哺乳期間に当たったが、同様に警察所に監禁され、10ヶ月の子供が母親から別れさせられ、強行に哺乳を中断させられ、非常に可哀そうだった。

2000年1月、私と妻は江沢民集団がまた大法弟子を迫害し続けているのを見て、もう一度上京陳情に行くことにした。天安門広場で警察に強行にパトカーの中に引き摺られ殴られた。北京から大連に連れられてから1万元の罰金をされた上に職場にも首され、大連港の警察所に拘禁された。拘禁するうちに悪警は、強行に私に法輪大法に対する信仰を放棄させ、刑事犯を唆し私を殴ったり、体罰をしたりしていた。

一ヶ月あまりが経って、私は自分の立場を少しも変えなかった。それで、公安は、また私を普蘭店市精神病院公安病棟に入れ、殺人、暴力犯罪史のある精神病患者と一緒に監視した。そこで、一ヶ月を過ごして私は、やはり変えなかった。

2000年4月13日に、彼らはまた私を一年間の労働教養を判決され、大連市労働教養院に投獄した。労働教養所の中で、彼らはさまざまな方法で私を苦しめたり、洗脳したりしていたが、それでも私の法輪大法に対する信仰を変えることができなかった。最後に私は、担架の上に横になって教養院から運ばれた。病院からの診断では、首の脊椎骨折により高位対麻痺だった。具体の経過は次の通りである。

2001年3月19日の午後、大連教養院の、不法に法輪功学習者を拘禁する大隊では、上の何の命令を受けたかのように、多くの警察と刑具を集めた、救急車も救急用の酸素袋を準備して教養院にやってきて、何かの発生することを待っているようだった。

警察は、大法学習者を部屋の中に監禁し、座るだけで寝ることを許さなかった。そして一人一人を他の部屋に連れて、学習者に法輪大法を放棄すると言うようと脅迫した。"転化書"にサインさせること、大法学習者に汚い言葉で自分の尊敬する師父と大法を罵らせることを強迫した。もし、服従しなければ、酷刑の苦しみを与えることになるのだ。踏み滲められた学習者はめちゃくちゃに廊下で横に倒れたり、ある人は口から白い泡を吐いたり、ある人は苦しい呻いたりしていた。その景色は見るに忍びなかった。

私も夜九時にその黒闇で恐怖の部屋に引き摺られた。悪警は、私に対して施した酷刑はずっと翌日の朝の八時まで続けていた。電気警棒は何本交換したのかはもう分からなくなった。私の体は、ゴム棒に打たれて何箇所怪我した。臀部の筋肉は破られ、ひざが腫れあがって、首の脊椎は折られてしまった。何回も意識不明になったが、毎回眼覚めた後、教養院の韓という医者は私を検査してから「大丈夫、また殴られる」と言った。一人の喬威という悪警は極めて凶悪で、彼は私を殴りながらそばの人にぞっとして笑って「こんなに道楽できたのは、何年ぶりだ。」と言った。人を苦しみさせることを楽しみとするのは、地獄の悪魔だけだろう。

翌日の午前、彼らは我々の何十人の命が危篤になってしまったことを見て始めて我々を市中心病院に送って救急した。最初、教養院と病院の党委がグルになって家族の見舞いを許さないと命令した。私に何の薬を使うか、どんな医療設備を使うか、何のご飯を食べるかを含めて、すべて教養院党委の同意を得なければならなかったのだ。これは、本当に冗談ではないか、医療のことで全然分からない警察機関がどうして医療のことをも邪魔できるのか?

最初、彼らは家族を騙して医療費を出させた。その後、家族が拒否したのでまた私を脅かした。教養院の隊長は私に対して「転化しろ、転化しなければXX党はお前を助けないよ、中国ではXX党がもしお前を助けなければ誰がお前を助けられる?こんなに高い費用では、お前自分で負担できるのか」と言った。私は「あなた達は私をたすけないことができるが、私もあなたたちの助けを要らない。あなた達は今私を道路に捨てることが出来るが、その代わりに、必ず助けてくれる人がいるのだ。中国人が助けてくれなければまた助けてくれる外国人がいる。アメリカとカナダ政府はすでに中国にいる、迫害されている法輪功学習者に対して人道主義の援助を提供する声明を発表した」と厳正に答えた。

私は彼らにそこまでひどく殴られたことは彼らが公開されることを恐れていたのだ。そうでなければ、私のこの一言だけによっても、彼らは私に "敵に身を寄せて国を裏切る"、"西側の中国を反する勢力と結託する"という罪名を着せて、中傷することが出来るのだ。これは彼らの世人を騙すのに一貫して使っているヤクザ手段だ。      

彼らは看護婦の代りに刑事犯人を呼んで私を看護させた。適当な治療と看護がもらえなかったので、私の病状が悪化する一方で、命が危篤になった。家族が強烈に要求したため、私の妻を教養院から釈放され、私の面倒を見ることになった。(2000年10月に私の妻が上京陳情に行ったので三年間の労働教養を判決され、大連教養院に拘禁された)。

妻が私を見えた時に、私はすでに病院で20日間も横にしていた。体がすごく弱くて、心拍数は160回/分に達し、肺機能も衰弱し呼吸が出来なくなったので、気管を切開され呼吸機によって維持していた。腎臓機能も衰弱し尿管が挿入されていた。その上に重度下痢をし、食事が出来なくなり、輸液により維持するより仕方がなかった。全身が何箇所の潰瘍が出てきた(両肘、臀部、両足、踵などの部位)、臀部の潰瘍が一番酷く、面積が30cmX30cm、深さは20cm近くで骨盤に達した。脊椎骨は外に暴露され黒くなって、悪臭がしていた。以上の合併症からすれば、どれの一つでも私の命がろくに奪われるはずだと医者が言った。病院で十年間も働いた妻は私の様子を見て意識不明になりそうだった。その時、私はすでに大量に血を吐いたし、瞳孔が拡散し、完全に意識不明に陥った。医者が死後の準備を知らせた。妻が強烈に要求していたので、彼らの消極的な“治療”はやっと制止した。数回に救急され、私はやっと命が保たれた。

教養院側は、彼らの暴行が暴露されることを恐れて、ずっと何人の警察と刑事犯人をつけて24時間で我々を監視していた。私と妻との一切の言行は皆彼らの監視される中にあった。親友の見舞いも許せなかった。彼らは更に私の妻を勝手に話してはいけないと脅かし、さもなければ教養院に帰させる、という。こういった状況の中で病状が少し落ち着いてから、私は退院を要求した。これは教養院に対して求められないことで、彼らはようやく一つの負担を捨てたようだった。そうして、私は病院で50日間入たあと、やっと自分の家に帰った。

家に帰ってから、妻は念入りに世話をしてくれた。法輪大法の不可思議の素晴らしさは私の体に現れてきた。今まですでに一年間あまり経った、何の薬とか治療とかしなかったが、体が日に日に良くなってきた。今年の春節、妻はこどもを親のところから迎えてきた。仕事は失ったし、家の貯金もすでにきれいに罰金されたし、生活は親と友達の援助に頼っているしか出来ない。ところが貧しかったが、家族三人がそろって愉しかった。もう何ものにも邪魔されることはないだろうと思ったのが、しかし、地元の公安はいつも私の家を監視していたし、時々邪魔にして来てし、何回も家に闖入しようとしていた。

今年の6月25日の午後、三名の警察は私の妻がお客さんを見送りする際、脚でドアを蹴って開けて、強行に突入し家宅捜査した。本、座布団など錬功と関係のあるものを全部取り上げ、また子供を母親一緒に捕まろうと脅かした。妻はこの突然の出来事でどうしようも分からなくなった。子供も寝ているうちに驚かされて眼を覚めて、ワーワーと泣いていた。翌日、落ち着いてから、妻が子供を連れて桃源警察所に物を返還してもらうために行った。「あなた達は身分証明書も示さずに、捜査書もなく、何の法律手続きもなかったのに、勝手に民宅に突入し、強行に捜査することは違法的な行為だ。」と言った、しかし彼らは、理屈も言わなく「我々は警務人員だ、上司の命令を執行するとき、法律なんかの手続きはいらないだ、この警察服を着ているとよいのだ。」と言った。本当に彼らは警察か匪賊かは分からなくなった。

この三年来、私は本当にたくさんのことを経験していた。人権が勝手にふみにじられ、独裁、暴力と恐怖が溢れているこの社会に、ベッドに寝るしかできない、生活も自己処理出来ないこの私は、今後また何の不測に遭わされるかは予想できない。一年あまりの間に、私の大便はずっと妻が手で取ってくれたのだ。何箇所の潰瘍はずっと赤色の肉を呈しているままであり、自分が体を動かすことも出来なく、巨大な苦しみが時々私を襲っていたのだ。

多くの迫害の苦難を経験しても、私は法輪大法が永遠の天理だと始終に信じている。真、善、忍が私の命を造ったのだ、私はいつまでも生命で大法を守ろうと思う。邪悪の表現はいくら狂っても、私は例外なく正法弟子の責任を行おうと思う、正念を固くしよう!自分の正法の道を円満しよう!