日本明慧

父の経験から真相を伝えることの緊迫性を認識する

中国大法弟子筆

【明慧ネット】

私は1999年1月25日に法輪大法の学習を始めた。私の両親と姉妹を含む、周りの多くの人も次から次へと学習を始めた。父は数十年以上飲み続けていた酒を止め、健康になり若返り始めた。母の病も癒え、彼女と父の関係も良くなった。私の家族は大法の恩恵を受け、師父に非常に感謝した。

1999年7月22日、旧勢力の按配による大法の迫害が始まった。江政治集団の命令の下で、大法弟子の迫害は圧倒的に打ち出された。

1999年7月22日、私は誘拐され、北京へ請願に行ったという理由で留置所に拘束された。1ヶ月以上経た後釈放され、不法監視下に置かれた。その後はずっと私は地区住民委員会や警察による、監視や嫌がらせの的となった。所謂「敏感な日」には警察が私の家にやって来て、私に「保証書」を書くよう強制した。私はその機会を弘法に利用した。彼等は最も哀れな生命であった。と言うのは、邪悪の旧勢力が彼等が大法を迫害するよう按配すると同時に、彼等が又淘汰されるようにも按配したのである。私の以前の職場では、私が大法を弘めることが彼等の私利に損害を与えるのを恐れて、私との契約を解除した。迫害は決して私の法を正す仕事と修煉を、阻止することが出来なかった。逆にそれは大法修煉の貴重さと人々の救済の緊迫性とを更に認識させた。今年3月のある日、悪辣な警察官が夜中に私のドアを叩いたが私はドアを開けず、脱走する方法を見つけた。以来私はホームレスである。

江沢民暴政統治下の中国では、法輪功を学習することは自分の基本的人権を失うことを意味するだけでなく、学習者の家族までも巻き込まれる事になる。様々なレベルの政府役人が自分の地位を保つ事が出来るかどうかは、彼等の地区の大法学習者達がその信念を諦めるかどうかにかかっている。この様な前例のない政治的恐怖下にあって、数知れない人々が大法を知る機会を奪われ、人によっては嘘に毒され、大法に憎しみをもつようにさえなった。

この邪悪による迫害は又、法をよく学ばない人々の邪魔をする。その一部の人は修煉を諦めさえした。テレビや新聞での中傷的宣伝は私の父の心を深く毒し、彼のまだ放下されていない執着や思考業を強めた。私が帰宅する度に父はテレビの宣伝が言っていたことを私に言い、私に注意を促し、大法を外で証明する代りに家で学習するよう頼んだ。私は彼に師父の新経文を見せ、法を正す時期の大法弟子とは何であるかを話し、中傷的宣伝が彼に与えた害を取除くよう努力した。しかし父は益々修煉者としての資格からはずれて行った。彼はそれでも徐々に修煉することによって、以前認識出来なかった大法の一部を認識することが可能であったはずだが、邪悪の妨害により完全に修煉を諦めてしまった。後程父は再び酒を飲み始め、酒の影響の下にあり思想業に邪魔されている時は、テレビに出てくる人達のように、大法に対し不敬なことさえ言った。酔いから醒めると彼は後悔するのだったが、私は悲しく思った。父の急な変化に対する私の執着は邪悪に利用され、私達は時々激烈な口論をし、時にそれは不和をもたらした。それからは私は父と大法のことを話すのを避けた。「彼は大法の本を読んだのだから、どうするかは彼次第だ」と私は思い、師父が人間を救うのが如何に困難なことか理解するに到った。師父は全ての衆生に最高のものを無料で与えた。それなのにある人々は容易に妨げられ、容易に大法修煉を放棄してしまう。彼等は中国の政治運動において、何度も偽りの報道に騙されて來た。それでいて未だにそれを信じてしまう。

父は大酒を飲み、あまり食べない、又悪辣な警察が私の居所を捜しに母の処へ行ったと聞く。邪悪による迫害を避ける為に、私は暫く両親を訪問していない。何日か前急に、父が酒を飲んだ後脳卒中を起したと聞いた。家に急いで戻ると、父は昏睡状態であった。二週間程前彼は脳の手術を受けたが、まだ危険を脱していなかった。邪悪の妨害が無ければ、多分父は修煉を放棄せず脳卒中を起すことはなかっただろう。私は旧邪悪勢力の按配を取除く為に、心の中で口訣を黙念した。父は法を得、師父が救おうとした生命であった。それでいて邪悪の中傷的宣伝がもたらした恐れと思想業の妨害により、ほんの短期間法を得た父に修煉を放棄させてしまった。私は彼の空間で大法を妨害する、全ての邪悪を除去する為に正念を発した。そうすれば彼は可能な限り早く目覚め、彼の主意識がはっきりした時に自分を位置付けし直すだろう。旧邪悪勢力により按配された所謂テストは、数えきれない人々を私の父のように滅ぼした。一生命は大法を得る程の縁があり、それでいて修煉を放棄してしまう。何と哀れなことか!

父は救急病院へ運ばれた時完全に意識が無かったから、手術にもちこたえたのは奇跡的であった。。慈悲深い師父がまだ彼に機会を与えていることを、私は知っていた。

地区の警察が一昨日母の家へ行き、父の病気のことを隣人から知ったということを、姉から聞いた。母の気持など考慮せず、彼等は私の居所と病院の住所を再三問い詰めた。彼等は私に「保証書」を書かせる、でなければ私を洗脳班に送ると公言した。私の家族は私の居所や病院の名前を言わなかった。江政治集団はどんなことでも出来るから、姉は私に病院へ来るのを少し控えるように言った。

母から私の居場所を聞き出すのに失敗した後、悪辣な警察は私の夫の職場へ行き、毎日のように夫に私の居場所を報告するよう要求した。彼等は私が十六大期間中に北京へ請願に行くのを恐れていると言ったが、夫は彼等の理屈に合わぬ要求に応じるのを拒否した。邪悪は私を見つけることが出来なかったので、夫に嫌がらせをしたり恐喝したりした。夫は1999年7月20日後非常な圧力に遭い、修煉を放棄した。彼は大法が良いということを知っており、私を助けることに尽力し、彼なりに邪悪に抵抗した。彼の職場の上司達は一人ずつ彼に話し、私の家族のうち法輪功をまだ学習しているのは私だけではないことを知った。彼等は私の夫も北京へ請願に行くのではないかと疑った。夫がはっきりと自分は行かないと言った時、彼の上司は彼の昇進を助ける等言い、彼が局長の地位を保つことが出来ないことは大したことではないが、この件で彼の将来に影響させないようにと言った。江政府は真善忍を信ずる善人の私を迫害するだけの為に、私が遭ったこともない夫の直接の上司をも含む、それ程多くの人々を傷付けるだろうとは、想像もしなかった。

救急室で、ある患者が午前中家族に囲まれており、午後には亡くなり、ベッドが空になるのを私は目撃した。人間の生命は秋の風にふかれる一枚の木の葉のように儚い; 今にも吹き散らされる。けれど生命は貴重だ。宇宙の法を正す時期に、大法に対し悪感情を持ちながら死ぬと、何処へいくだろうか?

数日前、日曜であった為病院は父の職場からチェックをもらうことが出来なかった。父の命はまだ危険であったが、病院は即座に薬を飲ますのを止めた。これは彼の症状を悪化させた。現在殆んど全ての病院は所謂「コンピュータによる薬物治療」というのに従った。それは患者の症状が如何に悪くとも、支払いが既に済されたのでなければすぐに薬を中断するという意味である。私達は実にお金とコンピュータが人間を支配する時勢に到ったのである。人の運命は薬で決まるのではないことを私は知っているが、この事件から、私は社会の人間の生命に対する冷たさと、生命を如何に重要視しなくなったかを感じた。師父が大法弟子に慈悲の心を与え、大法修煉は平凡な生命にすばらしい意味を授けたから、大法弟子は全ての衆生の生命を大事にする。大法の要求に厳格に従って修煉してのみ、師父の骨折りと、この様な乱世において師父がこの様なすばらしい法を私達に与えた事実に、私達は師父を失望させないでいられる。

父の救済努力の過程で私が経験した全ては、私に人々を救済する緊迫性を気付かせた。救急室で患者の家族に法を弘めた時、彼は言った。「法を得ることが出来れば良かったろうに。残念ながら今は呼吸が止まり、酸素吸入器に頼っているのです。もう長くはないでしょう。」しかし彼は、葬式の後で法輪功を学習する、そして大法の本を読みたいと言った。父の世話をする間、私は真相を伝える機会を捕えた。父に面会に來た人々は普通症状を尋ねた。私は父が法輪功修煉をしてから酒を止めたこと、そして圧力のせいで修煉を放棄した後酒を飲み始め、それが脳卒中を起したことを彼等に話した。私は父に面会に來た人々や他の患者達に法を弘め、多くの人は真相を知った。

現在父はまだ救急室に横たわり、体のあらゆる処に管を差し込まれている。私の家族は交代で24時間彼の世話をした。70代の母は家に一人でいた。彼女は父の病気を心配し、そして邪悪の徒が私を誘拐するのを恐れている。もしも母が修煉していなかったなら、その様な精神的圧力に耐えるのはとても難しかっただろう。

私の経験は多くの中国大陸の修煉者がごく普通に経験することである。私の周りの多くの大法弟子やその家族達は、もっと悪辣な迫害を耐え忍んでいる。しかし殆んど全ての同修は、法を正す為に師父を助ける修煉の路をしっかりと歩んでいる。彼等は法と師父の洪大な慈悲を証明し、邪悪に操縦される江政治集団の犯罪を直に経験している。

私が大法について父に話す時にもっと忍耐強かったなら、そして口論する代りに、父が修煉をするのを邪魔している難を解く努力においてもっと慈愛があったなら、彼は真相をもっと知ったかもしれず、それは彼にとって真に良いことであったかもしれない。もしも全ての大法弟子が家族に真相を伝える時にもっと辛抱強く、感情に支配され、邪魔されることなく真に彼等の質問に答えることが出来るなら、恐らくもっと多くの人が救われるだろう。これは私が修煉を通して改善する必要のあるところである。それは深刻な教訓である。私達皆への注意としてこれを書き留めておく。

以上は私の現在の次元での認識である。不適当なことがあれば、慈悲をもって御指摘戴きたい。

2002年12月1日