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しっかりと法を学び、正念で自分自身に存在する問題を取り除くことを重視する(三)

【明慧ネット】

3.正念で自分自身に存在している問題を取り除くことは他でもなく旧勢力を取り除き、自分の天体の衆生を救うことである。

師父が『北米での巡回説法』で明確に弟子に説かれた。「あなた個人の修煉は自分が代表している厖大な天体の中の生命を救い済度しているのです」

私が天目で見たのは、座禅、結印して心を静め、師父の「意念の中で自分の思想の中の良くない念、業力と良くない観念、或いは外来の邪魔を根絶します。これらの良くないものは死ねと念じれば、……」『2001年カナダ法輪大法交流会における説法』を黙読しているとき、法輪はすぐに他の空間で自動的に腐った物質を取り除くことを助けた。ある強烈な執着と外来の妨害自身は他でもなく、旧勢力だと悟り、掌を立てそれらを取り除こうと思うと、私の功はこれらの腐った物質を解体させる。正念で自分自身に存在している問題を取り除くにつれ、身体の執着と後天の変異した観念が減っており、心性が高まっている。対応している天体において、旧勢力に制約され、衆生が法を得ることを妨げる法が壊滅されており、衆生を浸している真っ黒な腐った物質が解体している。救われた衆生はさんさんと輝き、両手を挙げ、歓呼してあなたに敬意を表し、自分が救われたため限りなくあなたを敬慕する。「彼らは本当にあなたを自分の主、自分の王として見なし、限りなくあなたを敬慕します。なぜならば、あなたは彼らを救い済度し、彼らのために尽力し、彼らの全てを与えたからです」『北米での巡回説法』

正念で自分自身の問題を取り除くことにおいて、一般的に、取り除く時間が長いほど、対応した問題が具体的であるほど、念力が集中しているほど、効果的である。

正念で自分自身に存在している問題を取り除くことは、必ず大量に法を学ぶことを前提とする。「なぜならば、皆さんの法に同化している表面は絶えず向上する必要があるからです。絶えず向上している時、修めによって取り除かれるべきものを按配しなければならず、それぞれの境地においてそれぞれの状態があります。もしあるところで留まってしまえば、きっと法を正す形勢に付いていけなくなります。……大法弟子は如何なる情勢、如何なる情況の下にいても、法を勉強しなければならず、自分の同化と向上を軽視してはならず、法を勉強することを忘れてはいけません」『2002年度ボストン法会での説法』。 「法は全ての執着、全ての邪悪、全ての虚言を破ることができ、法は正念を固めることができます」『妨害を排除せよ』。大法弟子は他のすべての生命と異なり、我々は法を正す中で修煉しており、修煉を通じて次元を高め、更に対応している天体のすべてを変える。この過程は絶えず法を学び、大法に同化する過程である。この空間での身体は法を学び、“なるほど、と一つの法理を悟る”と、向こうで対応している天体は嵐のような変化が起こる。幾層の宇宙ないし幾層の天体の衆生は、あなたの法理上の認識が高まるに連れ、大法に同化しており、未来大穹の基準に合う新しい生命となる。

私は修煉の中でずっと大量に法を学ぶことによって、法を学んだ後に認識した異なる境界の執着心、後天に形成された観念、および他の問題を、師父の「自分自身の問題を取り除く」という法をもって、正念で取り除いた。私は師を助け、法を正す過程でこのようにしてきた。私自身の悟ったことにより、正念で「自分自身に存在している問題」を取り除く過程は他でもなく、邪悪を根絶し、衆生を済度する過程であり、自分自身を突破して次元を高める過程であり、旧勢力と決裂し、人間から神に変わる過程である。

私が天目で見たのは、自分自身の問題があなたの頭に充満しているとき、あなたは頭がくらくらし、法を学べず、後半を学んでいると前半の部分を忘れてしまい、このようにして法を学ぶのは無駄である。法はどうしてこれらの良くないものにあげられるだろうか? このようなとき、師父が『転法輪』の中で説かれたようにすることしかできない——瓶から汚い水を出す。「中の汚い物を出せば出した分だけ瓶が浮き上がってきます。全部出せば、完全に浮き上がってきます」『転法輪』。これらの腐ったものが取り除かれ、そのときまた法を学ぶと、どんどん頭に入ってくる。勿論、あるとき、自分自身の空間と外から入ってきた邪悪な生命は、あなたの法を学ぶこと、煉功と正念を発することを妨げる。このとき、まず正念で外来の妨害を取り除き、その後自分自身に存在している問題を取り除き、正念を発したときに、目標が明確であればよりよい効果を収められる。

正念で自分自身の問題を取り除くことは、内に向かって探し、内に向かって修める原則に厳格に従わなければならない。内に向かって探し、修めることは大法弟子が有するべき境界である。如何なるときでも、内に向かって探してこそ、はじめて時々刻々に自分自身に存在している問題を意識することができ、そうしてはじめて師父の点化を悟ることができ、そして出てきた各種の問題を取り除き、次元を高めることができる。

私が天目で見たのは、毎日数多くの邪悪な生命が、大法弟子の対応している天体から三界に入ってきて、大法を破壊し、大法弟子を迫害し、邪悪な首魁を支えている。我々の大法弟子の対応している天体になぜ邪悪な生命がいるのだろうか? 原因は、我々大法弟子は法を得る前は、旧宇宙の一部であったからである。宇宙の衰え、衆生の変異の過程に我々も汚染されている。旧宇宙の変異した思想、観念は皆我々の身にそれらの表現を見つけることができる。法を得る前に法から乖離し、法に抵触した部分が、修煉後にもし思想の根源から根本的に変わらず、大法に同化せず、或いは大法弟子が修煉過程において法理に立って悟らず、甚だしき至っては大法に背いて邪に悟るならば、我々の対応している天体が旧宇宙の法理に制約されているため、それらの法から乖離し、法に抵触する要素は邪悪な生命を作り出す。それらの邪に悟り、反面に向かっている人の対応している天体は、邪悪な生命に満ちている。我々の修煉は法を正す修煉であり、絶えず大法に同化することを通じて、自分自身の対応している天体を変えていくのである。我々は法を学ぶとき、ある境界の法理を悟ったら、大法に同化していると同時に、対応している天体に存在している大法に抵触する物質要素が消滅され、旧宇宙の法が壊滅される。執着心と後天に形成された観念を取り除くにつれ、衆生が法を得ることを妨げる物質要素が消滅され、衆生が救われる。従って、内に向かって修め、探し、しっかりと法を学び、絶えず執着心を取り除き、真に法理上で高まることこそ最も重要であり、最も根本である。
 我々の修煉の出来は、対応している天体の数え切れない衆生が残れるかどうかを決めている。同時に、修煉においてある執着心を取り除いたら、師父がその分の功を演化し、我々世界の相応する部分を豊富にさせ、皆非常に順序よく按配されており、極めて複雑である。従って、我々の修煉は法を正す過程にしっかりとついていかなければならず、特に師父が要求されたことをしっかりと成し遂げなければならない。

正念で邪悪を取り除くという法は、師父がこの二度とない法を正す時期に、旧勢力が大法を気が狂うほど迫害しているこの特殊の問題に対して、自ら法を正す弟子に説いた特殊な法であると、私は悟っている。それは主佛の宇宙衆生への洪大な慈悲を表しており、我々は重視し、しっかりと成し遂げるべきである。「ですから、皆さんは正念を発することをくれぐれも重要視してください。自分に能力があると思っているかどうかに関わらず、正念を発するべきです。自分の考えの中のものを根絶するとき、それはあなた自身の身体の範囲内に作用しますが、同時にあなたは外在のものも根絶しており、それがあなたのいる空間と直接関係しているため、あなたが彼らを根絶しなければ、彼らはあなたを迫害し抑制するだけではなく、他の学習者、他の大法弟子をも迫害するのです」『米国フロリダ州での説法』。