日本明慧

「前に向かって贈る」一人のアメリカに住んでいる中国青年の物語

【明慧ネット】文/傑瑞
私と家内は今年28歳になります。アメリカに来た時の年齢は、私は10歳で、彼女は15歳でした。私達はアメリカで中学校を卒業しました。初めて彼女に会った所は一つの小さな私立大学でした。当時私は電機本科で彼女は化学工業科の修士課程でした。私達は同じ年ですけれども学年が違いました。何故違うかというと彼女は一年早く学校に進学したので、その一年間に修士課程の勉強をしていました。彼女は天分に恵まれていました。

私の趣味はスポーツでした。大学の学校チームでテニスをしたことがありますが、すぐにレベルが低いと思って、正式にテニスを辞めました。その後にも1日中球場ですごして、バレーボール、バスケットボール、長距離競走、等々で一日に3-4時間くらいは運動場で過ごしていました。私はまた球技を見ることが好きで、スポーツ試合だったら何でも好きでした。ゲームも点数の計算さえあれば面白くないのも好きになっていました。

彼女は家の人と世間話をすること、買い物をすることが好きでした。食事をするときも妹ととても仲が良かったです。彼女は又時代の流行雑誌とネット上のロマンチックな小説を読むことが好きでした。

彼女が修煉を始めたのは95年度の中国への帰郷のときからでした。始めたばかりの時に彼女は「情」を捨てるのがとても難しいと思いました。「情」を捨てることを誤って、家の人と私に対して冷淡にすることだと思ったのでした。後から彼女はどのように答えを得たかは分からないですが、修煉は各面で自らの利益を捨てることであり、家の人に対して冷淡にあしらったり、まったく無関心でいることではないことが分ったのでした。そこで彼女は再度修煉を始めました。実は彼女が再び修煉を始める時に私は彼女がもう一方の極端に走るのではないかと心配していました。彼女は常に私が知らない人と一緒でした。これから彼女は自分の時間と精力を何処に使っているのかな?特に、彼女の心の中での私の位置が変わるのではないかな?と私は不安を感じました。時間が過ぎるにつれて彼女が心から他の人と完全に知らない人を含めてすばらしいものを分かち合っていることを見つけました。その時私は自分の時間と精力を友達と家の人と分かち合うのは分る事でしたが、今まで見慣れてない人と付き合うことは考えもしなかったです。

私はそこで彼女の無私な精神に感心しました。でもどれくらい続くかなと思いました。彼女は長期にわたり善良に見慣れない人と私に対応してきました。3ヶ月過ぎましたが彼女は相変わらずもっと優しくなりました。私は、法輪功は間違いなく特別なものだと思いまして、試しに修煉を始めました。

錬功することではなく、法輪功は私に仕事は真面目にして、給料はむだに貰ってはいけないことを分らせました。真面目に仕事をする事は少ない利益のために争いをするの事とは違います。このような考えは私にどんな仕事の環境でものびのび出来るようになりまして、以前頭を痛めた事もどうでもよいものになりました。修煉を通じて私は本当に仕事で前より良く頑張るようになりましたし、会社と他人のために考えるようになりまして、自らの利益を取るために力を尽くすことはなくなりました。

以前私と一緒に長距離競走をしていた友達は「前の5マイルは体のために走って、後の5マイルは心のためだ」と言いました。それは後の5マイルは更におもしろくて、気力を試すことができて、頭の中でのめちゃくちゃなものをきちんと整理出来るとのことでした。 しかし私は法輪功を練る時に体と心を同時にきちんと整理することが出来ました。心身が健康になって、気持ちも落ち着いたことは、それまでは有りませんでした。

人々は常によくないことと間違いに会います。そんな時に人は、もし私が能力があって対応出来たらいいなと思います。私はそんな人でした。私の親友はこれが私の使命だと言いました。私はインターネットで毎日罪のない大陸の法輪功修煉者達が残酷に迫害されているのを見て、これらを制止出来る唯一のことはもっと多くの人々に真相を知らせることだと思いました。もし私の努力で出来る事があるなら、私は全力を尽くします。これは確かに私の使命です。

1年前に「前に向かって贈る」という映画がありました。内容はある子供が全世界的に善を行うことを始めました。彼はどのように行っていたのかというと、彼が人に良い事をして、そのとき受益者に対して後でまた他の人のために只良い事をすることだけを求めるということを次々と続けて、皆このように贈り返しました。道理はとても簡単で、確かに強大で──他の人と私達は1つの良いものを分かち合いました。それでは私たちも続いてもっと大勢の人と分かち合いたいと思います。私達が友達と一緒に法輪功のために請願するのは利己的では無く、あるいは誰を傷つけるためでもないです。私達は只単純に美しい物を皆と分かち合うと思っているたけです。人々に中国の迫害真相を知らせて、ある日人々が皆法輪功を練るか練らないかを自由に選択出来る機会があって、私達と一緒に分かち合いたいです。私達は何かを求めているのではなく、只全世界の人々に皆自由に「真、善、忍」を修煉出来る平和な環境を求めています。