日本明慧

異なる角度から見る時


海外大法弟子筆

【明慧ネット】過去において、私は政府の役人になりたい人々には、道徳観が高くない人がかなり多いという先入観があったので、政府に真相を伝えることには関与していなかった。この真相を伝える仕事は社会的地位や職種に関係なく、生命救済を提供するのだ。他の学習者が政府に真相を伝えたいと聞くといつも私は、彼等はある執着のために人を格で差別する観念がまだ取除かれていないのだ、という考えをもっていた。法の勉強を通じて私はそのような考えは正しくないということを、理解するに到った。民主国家では人民は自分達の政府を選挙で選ぶから、政府は人民を代表する。法輪大法の存在が人類に安寧をもたらしたことを理解することが出来ないならば、政府は公正な公道的立場を失う。そのような政府が法輪功を学習する人々を弾圧することに対し、中国のリーダー江とその政治集団を咎めることをしないばかりか、中国独裁者からの圧力に折れ、邪悪が犯罪を犯すのを助けることまでするなら、この政府は知らせを受ける必要がある。人民は自分達の望みと抱負を表現するために、自分達を代表してくれることを希望して政府役人選ぶ。だから私達はこれらの政府役人を「民意代表」と呼ぶ。もしも彼等が人民を積極的に代表出来ないなら、彼等を選んだ人民はどうすればよいのか? だから政府役人に真相を伝えるのは、大変重要であると私は思う。けれどその頃私は政府に真相を伝える仕事は、他の学習者がやることだと思っていた。簡単に言うと、その仕事は少数のとても良く精進した、特別な才能のある学習者だけがやることだと信じていたのだ。法を正すことの経過と共に、私は少数の大法弟子だけでは全ての巨大な政府機関、団体、従業員を全面的にカバーしきれないことに気付くに到った。この点に気付いてから、私はすぐにこの仕事に自分を投じた。そうして初めてそこにはまだ多くの成されるべきことがあり、この仕事は非常に急を要することに気付いた。他の学習者と共に私は、仕事を成し遂げるためのいろんな方法を早急に学んだ。そして法を正す仕事をするうちに、多くの明智を得た。更に重要なことは、要求が更に高い、更に大きな修煉環境に私の広がった心を同化させたことである。そうして初めて私は自分がいつも人間的観念をもって、物事を判断していたことに気付いた。人々を格づける人間的観念を、機械的に真相を伝える仕事にもちいてさえいた。

師父は転法輪第一講で言った。「皆さんに一つの真理をお教えしましょう。絶えず自分の執着心を取除くことこそ人間の修煉の過程のすべてです。」私は自分の内面を見、大きな執着があるのを見つけた ─ 何かが起きた時に私は、いつも問題についての自分の見方がどうかをまず考えた。このような考え方はすでに自分を自身の「思想」の中に限定してしまったことになるのではないが? それは旧観念的思想の結果である可能性がある。師父は「米国フロリダ州での説法」で言った。「あなたが法の勉強をする中で、考えている問題が全部解決されるかもしれません。何故ならば、全ての文字の背後に佛道神がおり、あなたが何を解決しようとしているのか、今何を急いでやろうとしているのか、彼らに分からないということが在り得るでしょうか? それなら彼らはあなたに教えない分けがあるでしょうか? ただし、必ず求める心を抱かずに法を学ばなければならず、落ち着いて読めば、修めた効果はきっとすばらしいものです。」 私達が自分の執着を放下した時、法が自然に現われる。人間的思想を強調する時、実際上法と自分の間に障碍を設置したことになり、それは私が大法と同化するのを遅らせる。私は物事を観察するのに人間の思考法を用いる代りに、純粋な心を用い始めた。私はもう自分の「観念」を強調しない。度々私は法の勉強と修煉を、真相を伝える仕事と分けていた。法の勉強と修煉は、法を正す仕事とは完全に異なるように思えた。事実は「法の勉強、修煉、法を正す仕事への参与」は一体で、私の考えでは、それらは私達の今日の修煉形式である。現在私は時々大変忙しく感じる。しかしそれでも法を正す過程で私達に要求されることからは、まだ程遠いと感じる。多くの仕事が成されなければならない。しかしちゃんと成されていない。そこにはまだ始めてもいない仕事がある。師父は「私達の使命は法を正すことにおいて師父を援助することである」と言った。それは、もしも私達が成されるべき仕事を自分の角度から考えるなら、自分への要求を緩め、何も成し遂げないで終わってしまう、という意味にもとれる。私達は常に、法を正すことの要求に従って、仕事を見るべきである。私達はまだ要求を満たすことからは程遠い。修煉における堅実な向上は、大法修煉から来る不断の活力を維持しながら、内面を見ることに現れる。私達の心は私利のための余地はない。代りに私達は心が純粋になった後現れる法理で、次第に心を満たすべきである。

2002年12月8日