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遼寧省朝陽市の大法弟子李宏偉さんは迫害によって死亡した経緯

2002年12月9日 

【明慧ネット】李宏偉さんは、男性、52歳で、生前に遼寧省朝陽市農機公司の職員であった。  
李宏偉さんは、1996年3月から法輪功を修煉し始めた。1999年7月20日から江氏邪悪集団は法輪功を迫害し始めてから、李宏偉さんは北京へ陳情に行く途中に連行され、拘留所や洗脳班などで、度々暴行されたため、右耳の鼓膜が破られ、聴力を殆ど失った。 

99年10月30日に、李宏偉さんは強制労働3年の刑を言い渡され、朝陽市教養院二大隊に送り込まれた。信仰を放棄しないため、2000年1月に三大隊に移転され、迫害を強化された。そこで毎日13-14時間の過酷な労働を強いられ、食事が僅かしかもらえず、その上に度々暴行を受けていた。
2000年2月に、李宏偉さんは煉功したことによって、犯人高春海は警察の指示を受け、李宏偉さんの頭部を20分間殴り続けた。李宏偉さんの頭や顔が腫れ上がり、形も色も激しく変わった。手で瞼を開けないと物が見えない状態となった。

2000年10月、李宏偉さんは残酷な虐待、詐欺、脅迫などの手段に強いられ妥協した。その後、釈放された。 

出所後、妥協したことが自分の本心ではないと思った李宏偉さんは、厳正な声明を発表し、引き続き修煉することを表明した。

2002年9月26日に、李宏偉さんは再び警察に連行され、呉家?看守所に入れられていた。10月9日に警察は、李さんが10月7日に死亡したことを家族に知らせた。遺体を見ると、背中が黒ずんで、広範囲に電撃された跡がある。耳の周りが青紫で内耳から出血した跡を残している。家族の一人はカメラを出して写真を写った。すると、すぐ警察にそのカメラを奪われ、写真を撮った者は暴行されてから連行され、24時間監禁された。警察はカメラをぶち壊して、フィルムを出さ感光させた。その上に警察は家族に二つの決定を宣告した。1、遺体を家族に渡さないこと。2、遺体を火葬する時、少人数の参加しか許されないこと。もちろん家族は同意しなかった。

11月15日に、双塔公安分局は家族に知らせをして、三日以内に火葬しなければいけないと命令した。11月18日に、家族は知らない状況下で公安局によって密に遺体を火葬された。(家族は数日後始めて状況を知った)

李宏偉さんは自ら選んだ信仰を堅持し、真実を人に訴えたことだけで、迫害によって貴重な命を失ったのである。