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大法学習者辜興芝氏は四川攀枝花市米易県留置所で暴力的に口や鼻から食物を入れられたため死亡

【明慧ネット】四川攀枝花市米易県の大法学習者辜興芝氏は、2002年4月2日に警察に拉致され、後米易県留置所へ送られた。辜興芝氏は絶食を持って迫害に抗議したが、一ヶ月間の間に強引に口や鼻から食物を詰め込められる野蛮な虐待をされた。そして、10月4日の朝、病院へ送られたが、当日の夜に冤罪を着せられたまま死亡した。

辜興芝氏、女性、64歳。四川攀枝花市米易県回龍鎮の農民で、1938年陰暦9月19日生まれ。2002年4月2日、辜興芝氏は四川攀枝花市米易県で真相の資料を貼り付ける際に地元の警察に逮捕され公安局の政保科へ連れられた。政保科に監禁される間に、辜興芝氏は公安局の者に殴打された。後、米易県留置所へ送られた。辜氏は絶食を持って抗議したため、一ヶ月間に、米易県留置所のものに強引に口や鼻から食物を入れられた。10月4日の朝に病院へ送られたが、当日の夜に死亡した。辜興芝氏が亡くなった当日の夜に、警察が辜氏の家族に、病院の遺体安置所へ遺体の確認をするように通知した。家族は到着後に公安の者からは、辜興芝氏は脳溢血によって、眩暈を起こし救急救命したが、蘇らせることが出来なく死亡したのだと説明したが、しかし、その言い方はしどろもどろだった。公安局は自分達の犯罪行為をばらさないようにし、遺体を火葬するように急がせたが、辜氏の家族に強く反対された。家族は遺体を自宅へ持ち帰ることを強烈に求めたため、警察は家族に強制的に拇印をさせ、保証書を書かせた。そして、その保証書の内容は:この事を公に騒がさないこと、公安局の迫害による死亡とのことを言わないこと、この件に関する情報は漏さないこと、遺体は公安局の指定する時間に土葬することなのだ。その上、6人の警察(政保科の3人、郷のもの3人)が辜氏の家族について、遺体を自宅に着くまでずっと監視していた。更に、他の大法学習者に葬儀に参加させないようにずっと辜氏の自宅で監視し続け、10月5日に辜氏が埋葬されてから、警察は慌てて逃げって帰った。

辜氏を知っている人は、皆彼女の健康状態はとても良好だという。しかし、辜氏が逮捕され、死亡する10日前に、家族が彼女と面会した時、辜氏は人に支えられ出てきたのだ。体は極めて虚弱の状態になっていて、言葉も発することが出来なかった。しかも、自分の靴が抜けて後ろに落ちていることすら分からなかったのであった。

辜氏が拉致された後に、警察は辜氏の自宅へ家宅捜査をした。当時、辜氏の息子の8000元が入っている銀行の通帳も取り上げられ、更に、後2000元を支払わなければ、辜氏を釈放しないと揚言した。

迫害責任者:向金発(公安局政保科)、劉太明(公安局局長)
電話番号:(0812)8171988