日本明慧

忘れられない経験

中国の修煉者

【明慧ネット】地元の官庁による連続的な迫害のために、Y,L,Aと私はかなり長期に渡ってホームレスの状態が続いています。

2002月11月23日に若Aと私は保全事項ー特に携帯電話の使用についての見解の相違があったので討論は激しい口論になりました。私達は怒鳴りあっては完全に自制心を失い、修煉者がするべきではない振舞をしました。私は自分の姿勢が良くないとはっきりとわかっていましたが、どういうわけか、正念を適用した後でさえまったく平静になれず明確に考えることができませんでした。

その夜、私はひどい頭痛がして真夜中にはひどくなりました。はじめに、私は午後の自分のふるまいのせいだと思いました。それで再び正念を送り始めて自分の間違っているところを見つけようとしました。

私の頭痛は少し良くなりましたがそれでも眠ることができませんでした。
床の中で正念を送り続けました。寝返りをうつと 'Y', 'L' and 'A'が意識を失っているようでしたのでびっくりしました。

そうした状態を見て何か不吉な感じがしましたがあれこれ考えている時間がありませんでした。躊躇なく'A' を助け起こして目を醒まして集中的に正念を送るように話かけ続ける一方で李先生に私達の考えを強めるようにお願いしました。 Aはすぐに目をさましました。

私達が一緒にがんばったので YとLも目をさましましたが彼等の手足は弱っていて反応しませんでした。それで私達4人はすわって正念を送ることに専念しました。 一緒に「転法輪」を読んでから一時間後、暖かい波が身体中を駆け抜けました。 私は身体が軽くなってらくになりました。 他の3人も大部気分が良くなりましたが、私達はすっかり疲れていました。それで、私達はまた眠りました。 その時はすでに早朝になっていました。

朝7時頃私はまた目がさめました。激しい頭痛がしました。2、3時間前に起こったことが頭に浮かびました。. 私は私達が状況を正しくみないで単に悪魔の妨害として見過ごしていたことに気がつきました。それで、全体の状況をさらによく考えてみました。 私達4人に同時に問題が起きたということは他に何か原因があるということを示しています。突然ある考えが頭に浮かびましたー一酸化炭素中毒? 部屋 を見回してみました。 全部の窓が閉まっていて石炭ストーブがあるだけです。そうだったのですー一酸化炭素中毒。私は急いで起きて全部の窓を開けました。それまでには私達 がはじめに症状を感じてから4時間経過していました。 それは私達が一酸化炭素でいっぱいの部屋 に少なくとも4時間いたということです。 私達が経験したひどい症状を考えると私達4人は死んでいたかもしれません。しかし、私達は大法と私達が正念を強めるようにして下さった李先生を大変信頼していましたので何事もなくすみました。それはもうひとつの大法の通常を越えた力の良い例です。

どうして私達はもっと早くガス洩れに気がつかずにひどく不注意だったのでしょうか?私達はどこで間違ったのかと考えているうちに、いつにない口論におちいってそのために明確に考えることができなかったということを思い出しました。

長い間の警察からのがれること、また、大法の文書を滞りなく供給することに対する責任感の重さがのしかかっていたので安全は明らかに重要でした。インターネットを通して他の修煉者が書いた様々な保全方法について読んでいたので、それを適用したいという気持でいっぱいでした。

しかし、そうしているうちに私達は自分達の心性(考え/心持ち;徳性)の重要性を忘れて邪悪の干渉に私達の弱点をさらしていたのです。

「法の説明」の中で李先生は「「自然」というのは存在しないということ、そして「必然」はそのかげに根拠があるということをはっきり理解すべきである。今回の出来事は事故ではありませんでした。事故の前に私は若い Aと口論をし、その2、3日前は他のふたりの修煉者が些細な事で口論をしました。

その結果、私達の純粋で穏やかな環境は私達 自身の執着によって弱められ、私達は落ち着いて冥想ができなくなり、正念の効果を下げ、私達の抜けているところに邪悪をもぐり込ませ、ついには起きるべきではない事故に致ってしまったのです。非修煉者が用いる保全方法に無頓着であってはならない一方で、私達は常に自分達の内側に平静、穏やかで協調性のある心ー問題が起きたら自分の落ち度を見つけられる心ーを保たなければなりません。

そうすることができた時に初めて私達は壊すことのできない盾を自分達の回りに築くことができ、邪悪がもぐり込む抜け穴がなくなるのです。それが本当の安全です。