日本明慧

いつも自分の「一念」を純粋にする
——電子メールを送信して真相を伝えた感想


文/台湾大法弟子

【明慧ネット】投稿者の言葉−この文は一人のコンピュータをわからないのに、コンピュータを利用して真相を伝え、問題にぶつかったときは絶えず内に向って探し、常に自分の一念を純粋にする同修の修煉会得です。

最近コンピュータで真相を伝える中で沢山悟りました。元々はなんでもないと思いましたが、同修が書くように励ましてくれて、すこし書いてみようと思いました。自分はいつもネットで大法の文章を見て、同修の感想に対して遠く及ばない感じがしました。7月に香港へ行って近距離で正念を発して帰った後、書くのを試みましたが、認識があまりに浅いことに気づき、なかなか出せなく、すぐ取りやめました。今回は真相を伝えることと関係があるために書き出して、私と同じ情況にある同修が遠回りしないことを望んでおり、いかなる法を正す仕事は修煉と離れられないと信じます。

実のところ、私のコンピュータ技術はネットワークで文章を見るのと資料を調べることだけで、それ以上はもうだめでした。しかし法を正す過程がこれほど速く、衆生を救うことがこんなにせっぱつまっており、電話は誰もが持っているが、コンピュータはそうとは限りません。なぜ自分が持っているコンピュータで彼らに真相を伝え、衆生を救う機能を発揮させないのか?ほかの空間で彼らも生命があるので、この神聖、偉大な使命に参与することを望むと信じます。そこで姪(大法弟子)の助けを受けて、初めはネットワーク上でチャットして技術を熟知して、そのうちにある同修が私に彼が今やっている真相資料e−mailを中国人に送って真相を知らせる話をしたが、これらは私達のするべきことでした。私と同じようにコンピュータに対してよく知らない同修数人と一緒に操作を学ぶに通い、始めの時は大変でしたが、資料を送る効果は良いでした。しかしだんだん状況は現れて、資料が出せない或いは成功率がきわめて低くなりました。私はコンピュータを利用して大法仕事をする中でこんなことを悟りました。コンピュータの本体、運用しているソフトウエア或いは資料に問題があると思い込み、自分の原因を探すことを忘れると、向上する機会を失い、事に当たったとき外で探すのと同じ道理です。

同修達との交流中、始めは簡単なはずだとみんな思っているのに気づきました。ただ機械がやってくれるし、電話をかけるとかネットワークのようにチャットをしたり、必ず相手と一対一でまた叱られることだけが修煉ではありません。今までやってきてやっとわかりました。表面上見てもっと簡単であることが実際にはもっと難しく、内に向かって探す深さと広さを増加します。私を例としてコンピュータで送信ができなくなったときから送信が成功できなくなるまで、始めは全部コンピュータのせいにして、次は同修から処理してもらって、それでも駄目でしたら専門家に頼んで、専門家に設定が間違っているから接続できなかったと言われると、当時は本当に安心しました。実はあの時本当に同修に訪ねるのがいやでした。それは答えがいつも「内に向かって探す」で、私も確かに探しで苦しみ、絶対に自分の心性に執着心が多すぎて、信念はあまり清浄でないと信じました。そこでひとつ探せばひとつ修煉したが、すぐ完全に修めることができませんでした。「人」の執着心は実に多く重いです。専門家に一言言われるとうれしくて、やはり私の問題ではなかったと思うが、しばらくして結局自分の問題であることに気づき、ゴムまりはコンピュータと自分の間で何回も行ったり来たりしました。私は一回一回繰り返して自分を探し、単純でない、汚い考えを修めて、絶えずに執着心を取り除いたら、最後にはコンピュータもゆっくりと正常になって、成功率は高まりスピードも速くなりました。それからほとんどの人が類似な問題にあうことに気づき、特に執着心が重いほど、自分の問題だと信じない同修ほど効果が低く、スピードも遅く成功率も低いです。

その時恐らく姪が例外でした。姪は17歳、まだ学生です。しかし法を正す仕事は少しも人に負けず、特にコンピュータで、学ぶのが速くわかるのが多く、同修を助けてコンピュータに関する技術的問題を沢山解決してくれました。ほとんどの人の成功率が5,6割の場合、彼女は7,8割でした。これは究めて子供の考えが単純で雑念が少ないため、考えは清浄で、法を正す仕事をやるとうまくできます。私達は必ず一つ一つの不純な考えを修めるように努力してからこそ標準に達成することができますが、彼女は直接越えて、とても楽でした。しかし最近彼女のコンピュータが壊れました。原因は家の通話料が高くなって両親に叱れたのです。彼女は一日中コンピュータをつけておくと、電気代が増えて、またののしられないか心配し始めました。私のお姉さんと姉婿は姪が修煉するのがずっと納得できないで、止めさせられないことがいやでした。今のところちょうど言い訳を探したのです。姪は圧力がとても大きくて、その夜コンピュータを切るような一念が浮かんだのです。このことはもう一度我々の一念は言い加減すべきではなく、常に自分の一念に注意して、自分の心理状態を修正する重要性を証明しています。

ある時一つのプログラムを実行するとき、送信ができなくて,2,3時間同じ場所に留まっていました。私はもう駄目だと、まだそんなに多い衆生が助けを待っているのに、一つの間違っているかも知れない資料のために、ずっと待ち続けないと思って、私達に技術を教えてくれる同修に電話をかけて、この人を救うのを放棄して、直接次の人をやることはできないか聞きました。同修は「正直言って私も知らない。」と答えました。失望のあまり、電話を切って画面のSTOP以外のすべてのボタンを押して見ました。その結果一つ間違って同時に多くのファイルを開いたのが同時に実行され、そのスピードも飛ぶように速くなり、成功率もまたきわめて高くなりました。その時びっくりして、どういうことか分からなく、すぐ同修に電話もかけませんでした。自分で観察して、記録してから翌日同修に知らせました。本当は同修に心があまりにせっかちだと責められたくなかったのです。私は本々性格が短気な方で修煉上の致命傷でしたが、同修らがいつも指摘してくれるおかげで、ゆっくりできました。同修は話を聞いてびっくりし、彼も試したが全部失敗してしまって、確実にするため、我々に一回に一つ実行する方法を教えたのです。だから、もしできるなら、また衆生を救うスピードを上げれるならその方法でやっていいと言いました。

私たちにとって何百、何千或いは何万は確かにあんなに多い数ですが、中国大陸の全体の庶民に比べるとむしろあんなに小さく少ないです。師父は何度も真相を伝える差し迫りを強調しているのも無理ではないのに、我々はいつも「歩みがしゃなりしゃなり」で、今は本当に師父の慈悲苦度な心と衆生を救うことは大法弟子がこの世に来た唯一の目的であり、推却できない責任であることを深く体験しました。

現在私は同修たちが焦点を成功率に集めているのに気づいて、これはもう一つの執着で、この段階を越えた後、我々が歓心なのは相手が本当に受け取ったか、ファイルを開いてみたか、見た後観点は改善できたかなどです。そして、我々は資料を送るとき必ず「この人を救おう、彼を手伝って彼の一念を純正にしよう。」と強い一念を加えなければなりません。師父はフィラデルフィア法会でこう言いました。「宇宙はどのように生じたのでしょうか? 大法の覚者の一念で生じたのです。(拍手)異なる次元の大覚者の一念は異なる次元の宇宙を形成しました。」(「2002年米国フィラデルフィア法会での説法」) 私たちの一念を固くして、我々が目の前に送った真相を彼らが必ず見る、必ず法輪大法はいいとわかることを信じます。

今回フィラデルフィアの法会に行くことができ、自分の目で先生を見て、本当にすごく興奮を感じたが、反面自分がやったことがあまりの取るに足りないことを非常に恥ずかしく思い、師を助け法を正す洪願がさらに私を赤面にして、本当に先生に申し訳ありませんでした!自分が法の勉強が深くなく、真相を伝える仕事がまた受動的で、いつも同修が何の仕事をやろうと言ったら、やっと引き続き学んで引き続きやる、自発的に仕事を探してやるのでした。この法を正す最後のとき、なぜ機会をとらえて早くやらないのか、自分の不足を十分に知っています。書き出した会得は適当でない場所があると思いますが、心から慈悲の叱正を渇望します。