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子供の教育における面白い出来こと


【明慧ネット】私の子供は今、3歳を過ぎています。彼が生まれてから私は彼にひっきりなしに法を読み、師匠の講法テープを流しました。

子供は遊ぶのが好きで、しかも、口では分からない言葉ばかりを言いました。最初は彼がまだ聞きとれていないと思いました。

1歳4ヶ月の時に、彼がベッドの上に座って手をなめていたので、口から手を出すようにさせました。彼は口から手を出して「口の執着を切り捨てる」と、言いました。
その時私はびっくりしましたが大きな激励を受けました。なぜなら、そのとき私はまだ「洪吟」に工夫を凝らして彼に読んであげたことがなかったからです。
それから一人の同修者が私の家に来て、体得を交流するとき私は経文の「位置」を二回暗唱しました。子供はとなりで遊んでいました。

翌日、子供はソファーの上でベッドの上で「一人の修煉者が経験した試練」と言う言葉をひっきりなしに読んでいました。子供は遊んでいるようで、実は聞き入れているんだと私はわかりました。
子供は一人っ子で、しかも可愛いため、おじいさん、おばあさん、または親友から特別可愛がってもらっています。私は子供があまり言うことを聞かないことに意識しました。何にしても条件を出して、すべての人が彼の言うことを聞くように求めて、さもないと泣き崩れてしまうのです。

最初、私は子供をあまり寵愛し過ぎているおじいさん、おばあさんのせいにして、このような環境では子供の教育なんかするすべがないと思いました。

実のところ、これも原因を外で求めていることであります。

後から気持ちを落ち着かせて、図書館で本を見つけて子供に語り始めました。先に「親孝行の物語」、それから「岳飛全伝を語る」を話しました。

彼は興味津々で、最後にはすでに岳飛に対しての敬意を現れました。物語の登場人物が複雑なため、物語る時の言語は精錬でなければならず、子供の興味を始終減少させてはいけないのです。

その後道でものを欲しがっている彼に対して岳飛はとてもいい子だったよ、貧しい生活の家で、彼はこんなに多く要求できると思うの?と問い返しました。このように、彼のだだをこねてものを欲しがる癖は早くも直りました。

その後私は法が述べた「西遊記」の全文を話しました。こうして、彼の思想の中には修煉の信念がしっかりと根を下ろしたのであります。

現在は大法に結び付けて「釈迦牟尼伝」を話しています。彼は毎日私に話してもらうために巻き付けています。中の登場人物の良し悪しに対して、彼はすでにはっきりした概念を持っていました。

それから「論言」を読み始め、一回目は一段落読むと彼は疲れるねと、言いました。

翌日は二段落まで、三日目は全文を読み終えました。今日読み終わったところ、少しも疲れてないよと、彼はびっくりしました。

4日目に「転法輪」を読み、彼はいくら読んでもらっても今日は疲れないよと、威張りました。私の一句、彼の一句で、読み始めたら2、3時間でした。彼も喜んでいました。

法の勉強をしている子供は実に人と異なる記憶力があって耳にしたことを忘れないのです。幼稚園の先生は一致して私の子供が最も聡明で、その他の子供に対して凝集力があると認めています。

その他の子供がいたずらをしている時、先生が子供は誰に学ぶべきなの?と聞くと子供達は私の子供を学ぶべきだと口をそろえて返事するそうです。

私は直ちに先生に洪法をしました。当然ながら私の子供も言うことを聞かない時なんかあります。私は彼にただ理屈話すだけで、彼に厳しすぎる要求をしません。結局、彼も法を正す中で正されるべき生命なのです。

彼が私達のこのような家庭に生まれた以上、私達には彼を正しく教育する責任があるのです。