日本明慧

自己の一念一思の重要さ

【明慧ネット】法を正す過程が進むにつれて、この重要な時期において、我々の一念一思は平時からの正念と信念の小片の累積によるということを、より深く悟った。そして心中の一念一思に注意することは、法と次第に同化し、ついには完全に同化する為に欠かせないことを悟った。私は今年39才である。法輪功を始める前は、私は心臓病、腎臓の問題、精神的問題、尾てい骨骨折、脳血管痙攣症、の為に非常に弱く、声を出す為のエネルギーさえなく、ほんのわずかな騒音や動きさえ、私を苦悶に陥れた。脳の血液供給不足の為に、毎朝起きると腕の一部と掌は殆んど使えない程腫れていた。心臓病は私を落ち着かせず、時にはヒステリックになったり、死んだ方が増しだとまで感じた。1999年4月9日私は偶然に近所で気功をやっている人を見た。それが私が法輪功に紹介された時であった。そしてそれ以来私は修煉を続けている。朝早く起きて煉功に行き、それからグループでの法の勉強に行った。如何に予定がつまっていようとも、決して欠かさなかった。一ヶ月後私の健康は大変快復し、以前感じたことがない程気分が良くなった。「法輪功はすばらしい」と言わずにいられなかった。

1999年7月20日以後、法輪功についての様々なうわさやウソが飛び交い、私は大変混乱して修煉を止めてしまった。その結果全ての病気が戻って来た。みじめな病気の苦しみにあって、私は情況をよく考えて見た。法輪功の修煉をした三ヶ月の間に、私は体が浄化されただけでなく、もっと重要なことに人生の基準が全く変わってしまった。人をより高尚にし、健康にする本は悪いはずがなかった。こう思ってから転法輪を読んでいたら急に、今起きている事は大法弟子にとってテストであることが明らかになった。法を正す過程が進むにつれ、旧勢力が修煉者をテストするという名目で、宇宙の堕落した生命や邪悪要素を操って、修煉者を拷問したり陰悪な手段で傷付けたりし、修煉の路に障碍を設けたと認識した。師父が我々に賜った法理は、我々の路において次々と起きる障碍を取除く為の近道である。真相を伝えることにより、我々は返本帰真へと人々を目覚めさせ、同時に自分の世界を豊かにする必要がある。法理は明らかになったが、実行するのはまだ非常に難しい。我々は、数知れぬ前世から今日までに累積した業力、観念、人間的思想、及び外来要素の影響や妨害の産物である。時々我々はこれに気付かない。法の勉強の不足か、主意識の弱さの為か、時々物事が正しく成されたかどうか判断するのは難しい。時にはそれに気付いてはいても、その重要性を完全に認識していない。これは自制心の無さか、又は安逸を楽しむことで起きるのかもしれない。結果として我々は正念と信念を維持せず、多くの問題や障碍に出逢うことになる。法の勉強に精進し、主意識をはっきりと強く持てば、旧勢力のテストというものは実は何でもないのである。私の度重なる逮捕と釈放の体験が、一念一思が非常に重要であることを示す。

1.2000年3月に北京へ請願に行く前に、「逮捕され、投獄されるかもしれない」と内心思った。予想通り私は逮捕され、投獄された。(私がまだ新しく、法の勉強をあまりしていなく、修煉の方法がわからなかったことによる。)

2.2000年8月、地方政府が法輪功を陥れる写真展を催した。私は展示場へ行って、参観客に真実を説明し、逮捕されることになってしまった。一日半派出所に監禁された。夜間警察が私を看守所へつれて行こうとしたが、私がぐっすり眠っていた為に気が変わり、私を釈放した。(これは私が法の勉強を熱心にしていて、心が純粋であった時期である。)

3.2000年12月、私は「真相を伝えることは、邪悪を窒息させることである」という一念をもって北京へ行った。逮捕された後、一警察官が拘置所から私が抜け出すのを手伝ってくれた。(これは私が法の勉強を大変熱心にやっていて、常に迫害を否定し、留置を否定していた時であった。)

4.2001年12月初め、私は警察が充満している駅から出たり入ったりしていた。一度私の歓喜心と顕示欲への執着が現れ、真相を伝える資料がポケットから地面に落ちた。警察が私が何か落し物をしたと思い、急いで助けに来てくれた。私は逮捕されることになってしまい、一夜の間駅に留置された。一晩中正念を発し、翌朝釈放された。(これは私が法の勉強をよくしていなかった時で、何かを行なうことに執着していた。邪悪の妨害を多く経験したが、そのことが起きてから内面をすぐに見て原因を探すことが出来た。)

5.2001年12月末、真相を伝える資料を配っていた時私は思った。「こんなに多くの人が居るのだから、資料をここに残しても誰も私のことを疑わないだろう。」その結果私は職場まで悪者につけられ、派出所に監禁された。私は正念を発することに専念していたが、すぐに内面を見ることをしなかっった。法の勉強を欠かしていたので、執着を取除く為に内面を点検することさえ思いつかなかった。それで1ヶ月半不法留置されることになってしまった。(その12月は私は法の勉強をあまりしておらず、邪悪の妨害が多く、正念を保つことが出来なかった。私はそれに気付かず何かを行なうことに執着し、邪悪に利用され、厳しい迫害に苦しむことになってしまった。)

2002年不法留置の後釈放された時、自分が犯した間違いをよく考えてみて、まずやるべきことは内面を見て、自己点検をし、正念をもって執着を捨てることであると決めた。日常生活において一念一思に注意し、真相を伝え、資料をもっと配るよう自分を激励し、決して自分をダレさせない。私の全ての体験が証明するように、正念を持つなら危険に見える情況でさえ多分戦うことによって、しかしリスク無しに平静に乗り越えることが出来る。(注: 恐れを感じる時、自己点検する、又は平静に恐れに打ち勝つだろう。) この瞬間私は突然、正念を発する時の正しい精神状態を理解した。歩いていようと、食事をしていようと、仕事をしていようと、我々は皆口訣を黙然することが出来る。徐々に法に同化し、ついには完全に同化することを目標に、悪い一念一思を改めて、徐々に正念と信念を強め、累積するべきであると悟った。

不適当な点は御指摘戴きたい。

2003年1月8日