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親子二人とも迫害によりハルビン万家病院で死亡


【明慧ネット】法輪大法情報センター1月29日の報道によると、ハルビンの法輪功学習者于冠雲氏は、2003年1月12日ハルビン長林子労働矯正所とハルビン万家病院で迫害されたため死亡した。于冠雲氏の長男、同じ法輪大法学習者であった于振翼氏も去年の6月14日に同病院にて凄まじく死んだのである。目下、公安当局は于冠雲氏の次男于振雄氏を捜査し逮捕しようとしている。それゆえ、于振雄氏はやむをえず家を離れ流離するようになった。

記者は昨日、于氏父子の死亡状況を確認するためにハルビン法輪功処理事務室に電話をかけた。向こうの電話からある男の他人に呼びかけた声が伝わってきた。その男は「この電話番号を急いで記しておけ、610に知らせ迅速に探せ!」と言った。

于冠雲氏は、61歳、元ハルビン市太平区法輪功の補導員であった。99年末天安門に平和陳情に行ったため15日間拘束された。2000年7月他人に法輪功の被害されている真相を伝えたために家宅捜査され50日間監禁された。2002年7月、于冠雲氏は法輪功の真相資料を配布する際、ハルビン駅治安大隊の者に拉致され、また三年間の労働矯正に処され、ハルビン長林子労働矯正所に投獄された。2003年1月12日、彼はハルビンの万家病院で死んだという。死因は今調査中である。

于冠雲氏の長男于振翼氏も、万家病院で迫害されたため死んだのである。消息によると、28歳であった于振翼氏は、監禁四年に不法判決され、2002年4月25日ハルビン第三監獄から万家病院に運ばれたが、この病院でわずか半日しか留まらなかった。四肢の筋がのったりして、意識不明になった。当日、医科大学第二病院に転院された。当病院の検査報告によると、彼は頭が酷く撃たれ、身体の多くのところ、特に内臓には酷い損傷があるという。
その状況により、病院側は治療を拒絶した。それで、彼は2002年6月14日死亡した。

統計資料によると、今、迫害され死亡した法輪功学習者はすでに560人に上っている。2003年1月20日、「法輪功迫害追跡国際組織」がアメリカで成立された。この組織の発表した声明によると、本組織の使命は「法輪功を迫害する凡ての罪及び相関する機構、組織、個人を追跡する」ことであり、「何時までも何処までも必ず徹底的に追跡し、天の理を行い、公平を再現し、人世の正義を支える」ことである。