日本明慧

旧勢力の按配を打ち破り、関難を乗り越える

 

【明慧ネット】 2002年末、ある日の午後5時ごろ、ひとりの同修の家に出かけた。ドアを開いたら、部屋にいたのは皆警察だった。これを見た途端、直ちにドアを閉めて出ようとしたが、警察のひとりが私を見つけた。このようにして私は捕まった。私は今までずっと路頭に迷っていたため、警察にとってここで私を捕まえられるとは夢にも思っていなかった。彼らはあちこちに電話をかけ、私を捕まえたことを通報していた。このすべてに対して、心の中で、「旧勢力は私の心性に問題があると思ったから私を迫害した。しかし私はあなたらの迫害を認めない。なぜなら私は法を正す弟子であり、この更新された生命は法を正す過程の中で形成される。正の法理ですべてを正に戻し、私の師父は旧勢力の大法弟子へのあらゆる按配を認めない、大法弟子として私も全面的にあなたらを否定する。また、警察をコントロールしている邪悪な腐った鬼は大法弟子を迫害する資格がない」と警告した。師父は、「そしてそれらの邪悪生命はまた極めてレベルが低く、汚いもので、法を正す過程でいささかの作用を果たす資格もないからです」《正念の作用》と説かれた。

 その後、私を警察署に連行した。途上、警察らは私を酷くやっつけてやるとわめきたてた。その時、「すべては私の師父が決められるもので、あなたらが決めることはできない。法を正すことは私を必要としている、わたしは決して警察署に閉じ込められない。そこは私の居場所ではない」と考えていた。師父はこのように説かれた、「しかし、もし私たちの正念が十分であれば、宇宙のある理に適うようになります。旧宇宙においても、新宇宙においても次のような理があります。つまり、一つの生命の選択は自分自身の意思によって決められるということです。歴史上何かの願いを立てたことがあるにしても、肝心な時、やはり自分の意思で決めなければなりません。この中に正しいこととそうでないこと両方が含まれています。全てがそうなのです」《2002年米国フィラデルフィア法会での説法》。

警察署についた後、彼らのあらゆる命令に私は協力しなかった。彼らは私を殴り始め、しかも一連の迫害手段を私に用いた。(もちろん、師父の慈悲の加護の下、私は痛みを感じなかった) 師父は説かれた、「一人の大法弟子として、どうして迫害を受けている時に邪悪の徒を恐れるのでしょうか。問題は執着心があるからです。さもなければ、消極的に迫害に耐えるのではなく、絶えず正念を以って悪人を正視してください。如何なる環境においても、邪悪勢力の要求や命令、指図に従わないでください。皆このようにすれば、環境はこのようでなくなるのです」《大法弟子の正念は威力あるものである》。 私はずっと正念を発していたため、私が警察を正視すると、彼らはすぐに目をそらした。そのとき、師父の法を思い出した。「人間にはこの能力はありません。常人は修煉者の前では非常に脆弱なものです。今日の人間は、実は異なる次元の旧勢力の系統に按配された魔難を受けており、異なる次元の旧勢力に制御されているため非常に手ごわくなり、彼らは敢えて修煉者に手を下し、大法に対して不敬なことをしました」《ワシントンDC国際交流会での説法》。

あらゆる過程において、私は人心を動かさなかった。(普通なら、私は闘争の心をもっていた)。決して旧勢力に私を迫害する口実を見つけさせなかった。師父は説かれた、「真相を伝えることは邪悪を暴露させると同時に邪悪を抑制し、迫害を弱めることです。邪悪を暴露させると同時に民衆の頭にある邪悪の虚言と虚像による害を取り除き、人を救っているのです」《ヨーロッパ法会の責任者及び参加者の皆さん》。 その後、私は一人一人に真相を伝え始めた。彼らがどのように対応しても、心を慈悲で満たし、しかも絶えず彼らをコントロールしている他の空間における邪悪の要素を取り除いた。彼らはだんだんと平静になってきており、最後の最も邪悪な警察さえも目が覚めたようになった。深夜になると、警察らが早く眠るようにと私はまた正念を発した。3時ごろ、彼らは相次いで寝てしまった。ひとりの警察だけが残って私を監視した。その後、私は依然として正念を発し続け、5時を回ると、私の監視役の警察も出ていった。機会がきたと思い、私をここから出られるように師父にお願いした。不思議に手が手錠から外れた。また、私はもう一度正念を発した後、警察署から一歩一歩正々堂々と出た。そしてまた法を正す流れに戻った。