日本明慧

邪悪による法の学習に対する妨げ

 今日は、カナダの学習者が発表した“邪悪の法の学習に対する妨げに警戒せよ”の文章に同感したため、自分の感想を述べさせてもらいます。師父は“皆さんの正念、やりたい全ては皆法から来ています。ですから、いくら忙しくても、法の勉強をおろそかにしないでください”とおっしゃいました《2002年フィラデルフィア交流会での説法》。師父のこのお話に深く感銘しました。

 2000年に私のところを訪ね、大法を学び煉功を習得した親戚は、自分が帰ったら必ずこの素晴らしい功法を他の人にも伝える、と感激して話していたことを今でもよく覚えています。しかし、時は既に暗黒の時代でした。当時の私は法を学んでから、数ヶ月しか経っていませんでした。私は毎日飢えと渇きに苛まれるように、時間さえあれば《転法輪》を何度も何度も繰り返し読んでいました。その様に学習したためか、恐怖と言うものは、私の念頭に存在していませんでした。当時はただ、彼が大法を持って帰ることに対して、応援することしか頭にありませんでした。私たちは彼のために、煉功用のCD、明慧ネットの大部分の資料が載っているCD(全ての大法の関連書籍も載っている)を用意してあげました。しかし、彼はどうしても一冊の《転法輪》を持って帰りたいと言いました。《転法輪》を胸元に抱いて帰ろうとする彼に、私は今から言う《転法輪》にある師父の言葉を頭に入れるようにと話しました“わたしは根を宇宙に下ろしているので、あなたを動かせる人がいれば、このわたしをも動かすことができることになり、はっきり言って、その人はこの宇宙を動かすことができることになります。”彼に、何かあったら、必ず師父の言葉を思い出せば、どんな問題も解決できると言い聞かせました。当時は、正念を発することや効能を使うことなどについては、まだ分かりませんでした。とにかく“師父を信じれば大丈夫”の一言でした。そして、彼は帰りの飛行機に乗り大陸へ飛び立っていきました。

 税関を通る際、職員は彼の通関手続きに問題があると呼び止めました。そして、彼に黄色い表紙の本を持っているのかと質問しました。実は、彼は無駄な外出を一切せず、私のところで全ての大法の書籍を読み終えていました。心の中に大法があるため、自然と平静でいられました。彼は、税関職員が質問している黄色い表紙の本が、自分の胸元にある《転法輪》なのか、それとも他のものを指すのかが分からず、職員に“何の本のことですか?”と落ち着いて返事をしました。職員は彼を見て“健康保健証だ”と答えました。彼は“必要とは知らなかったので、持っていません”と返事をしました。職員は、次回は必ず持つようにと言いました。彼は“はい”と答えて、去ろうとした時に、又も呼び止められ、今度は職員の上司が来ました。その時の彼は、大法に関連する全てのものを持っていることで少し心が動きました。しかし、直ぐに私が言い聞かせた言葉を思い出したそうです。彼は冷静に師父の言葉を心の中で繰り返したそうです“わたしは根を宇宙に下ろしているので、あなたを動かせる人がいれば、このわたしをも動かすことができることになり、はっきり言って、その人はこの宇宙を動かすことができることになります。”その上司は、落ち着いている彼に幾つかの質問をしてから、職員に通らせるように指示しました。そして、順調に帰宅出来ました。その後、私たちは交流を通じて、彼は自分の体験を話し、自分にとっての最初の試練であったと話しました。当時、彼がもし慌て出したら、事態は悪くなったかもしれません。彼が冷静沈着であったのは、彼の心の中に大法があったからでしょう。その故“関門“を無事に通ることが出来のでしょう。

 その後、私自身が多忙で知らず知らずの内に、法を学習することを怠ってしまいました。時には、今日プリントした文章を発送しよう、あるいは資料を今日中に作って、翌日に読もうと考えていても、大体翌日は忙しくて何も出来なかったりするのです。又、資料を読んだにしても心を静める事が出来ずにいるか、あくびの連続で読むことに専念出来ずにいるのです。そうこうしている内に、トラブルが現れました。煉功の音楽が順調に流れない、資料をプリントするためのプリンターが壊れたり、パソコンがうまく作動しないなど。更に、煉功を後回しにしようとして、他の学習者との関係がぎくしゃくしたりして、全てが乱れておかしくなってしまいました!それでも、自分としては真実を暴く資料作りに尽力しているし、正念を発することにも参加しているし、何があっても修煉を堅持する気持ちが強いしなどを自分に言い聞かせるだけで、何も悟ろうとはしませんでした。原因は何でしょうか?自分に対して深く追求しなかったため、ただ悩みに陥ったままにいました。そして、自分が頑張れないことで自分を嫌い始めました。何事もうまくいかなくて、もう自分が駄目だとも思い始めました。しかし、自分に繰り返して問い掛けて見ると“大法修煉を堅持する心は不動である” “師に追随し法を正す”の歩みは、最後までやり通すことは決して変わらないと確信しています。であるならば、問題は何処にあるのでしょうか?その時、机に置いてある《転法輪》が目に入りました。そして、師父の“法の勉強をおろそかにしないでください”の言葉が目の前に現れました。これが原因だったのです。その後、以前と同様に法を学習し、煉功をするようになったところ、全ての事が以前のように順調に運ぶようになりました。

 何度もの修煉体験の積み重ねで、師父は私たちに対して度々、法の学習は怠ってはならないと強調することに更なる深い理解が出来たと思います。“如何なる困難な環境の下、多忙さの下でも法を学習することは怠っていけません。必ず法を学習するのです”“必ず心を落ち着かせて法を学習しましょう” “法を学習しなければ、歩み難くつまずくようになります。法を正すことにも不必要な損失を招くことになるでしょう。この点について、邪悪も良く知っているため、あらゆる手段を尽くし、わたしたちの学習を妨げようとすることでしょう。少しでも法の学習を疎かにすると直ちに、邪悪の罠に陥ることになるでしょう。従って、自分が何らかの障害にぶつかり混乱に陥る時は、法の学習を怠ったということを気付かせてくれているのだと思います。そろそろ落ち着いて法を学習する時なのだと。

 最後に、師父のお言葉を銘記しましょう“皆さんの正念、やりたい全ては皆法から来ています。ですから、いくら忙しくても、法の勉強をおろそかにしないでください。” 2002年フィラデルフィア交流会での説法》