日本明慧

正法修煉の中でいかに旧勢力の按配を破るか

文/章冬

【明慧ネット】先生の「2002年米国フィラデルフィア法会での説法」が発表されてから、私は直感的に大法弟子が法を正すなかで飛躍が必要と痛烈に感じるようになった。正法の情勢を積極的にコントロールすべきであることがわかったが、どうすればいいかは悟れなかった。考え込んだあげく、やはり大法弟子の正念の威力を発揮し、人の観念を徹底的に変えて、神の正念で、邪悪を排除すべきかなあと思った。

今振り返って見ると、当時自分の悟りには強為の要素があり、旧勢力の按配を破る根本的な方法ではないと思う。今多くの同修が旧勢力の按配を破ることについて議論しており、ここで私の現在の認識について述べる。

1.正法修煉の実質を明確にし、思想の深いところから、根本から旧勢力を否定する正念を発する。

先生が言った。「これは小さい範囲での修煉ではなく、宇宙で法を正しています。法を正すことと比べれば、全ては微々たることであり、比べることはできません。個人修煉の中の情況は法を正すことと比べ物になりません。」(「2002年米国フィラデルフィア法会での説法」)。したがって、私は我々学員が個人修煉の枠から出ることが非常に重要だと思う。簡単に試練を受けて、試練と負荷で威徳を立てる考え方が間違っている。さらに、我々は無意識で多くの魔難をうけた同修を手本にすることは間違っている。一方では、修煉には手本が存在しないこと、もう一方、意識の深いところに根本的に邪悪の迫害を否定していないからである。

私の認識では、正法修煉は根本的に徹底的に大法に同化することであり、衆生を済度することである。法を勉強し、煉功して、心を修めると同時に、自分が代表する膨大な天体の中の衆生を済度する。真相を説明することは、邪悪なうそにだまされた世の中の人とそれに代表される膨大な天体の中の衆生である。この2点から離れたらもう正法修煉ではない。旧勢力の迫害は大法弟子に以上の2点をできないようにしている、したがって彼らの按配の実質は正法を破壊し、衆生を壊滅することである。

旧勢力は表面上、大法弟子の執着心を見て、大法弟子に執着心を取り除かせるため、大法弟子に魔難を設けて、大法弟子の向上の手伝いをし、大法弟子の威徳を立てようとしている。しかし、その実質は大法弟子を迫害し、破壊的な試練で、彼らのため大法弟子が学法、煉功、真相を説明する環境を失い、法の中で向上することができず、自分の根本的な変異を意識できなくて、そして大法の中でもっと早く自分を修正することができないようになる。同時に迫害をうけた大法弟子の頭脳の中で彼らの邪悪な按配を破れないようにし、さらに大法弟子には程度こそ違うが執着心をもっていて、そして、大法弟子がうけた迫害が大きくなり、悪性循環に陥いてしまう。

我々の執着心は絶えず法を学び、心を修める過程で取り除くもので、我々の次元は正法の中で向上するものである。もし我々がこの面での認識をはっきりしなければ、旧勢力に彼らが生存できる空間を残すことになる。大法の修煉者として、我々は冷静に認識すべてである。これは簡単なひとつの観念の問題ではない。この問題に関して、大法弟子がこの迫害を認めず、この迫害に反対することが法の上にいることである。

2.具体的にどうすればいいか?

先生が言った。「それは口で言うことではなく、大法、法を正すことの要求にしたがって行えば、歴史上按配した全てを認めず、旧勢力そのものをも認めないことになります。」(「2002年米国フィラデルフィア法会での説法」)。実際に法を正すのは先生で、大法で、旧勢力の按配はずっと破られている。常人社会で彼らの按配を破るのは我々人間にいる護法神の仕事である。どうやるか?自分を純正にすること、自分が正しく歩くこと!これさえできれば、大法が法を正す中で自然に旧勢力の邪悪な按配を破れる。先生が言ったように、「大法は法を正す中で、旧勢力の按配を認めず、師父である私もそれを認めていません。・・・・・・正念が十分であれば、それを排斥することができ、それらの按配を否定することができます。」(「2002年米国フィラデルフィア法会での説法」)。

逆に、もし我々自身に正念が足りなければ、多すぎる執着があり、自分が積極的にそれを修めずに、たとえ分かったとしてもその執着を放そうとしない、それで邪悪の安排の存在に口実を与えてしまい、彼らの邪悪な按配の目的を達することが可能になる。

私が思うに、いつも強大な正念を保持することが、修煉や法を正す過程が深くいくにつれて、大法が我々に対する自然な要求で、なるべく早くできるべきである。先生が言ったように、「残った道のりにおいて、神の正しい信念と正しい行いで、皆さんが先史の時に立てた大いなる願いを圓満させましょう。・・・・・・正念は神威を顕し、天上に戻ることは待ち望みではない。」(「師父からの新年の挨拶」)。

3.彼らはどうやって大法弟子の隙をついて迫害を行うのか?

先生がおっしゃった、「実は邪悪な勢力が成した全ては、皆さんがまだ放棄していない執着と恐れる心に対して行ったのです。」(「最後の執着を取り除こう」)「修煉者の考えが法から離れれば、邪悪は付け入ってきます。」(「米国フロリダ州での説法」)。

ではなぜ執着心と恐れる心があれば迫害されやすいのか?私の認識では、肝心なのは邪悪に隙を残してしまうことである。このとき、先生の法身と我々の護法神はただ見る他にはどうしようもない。具体的にいうと、このとき我々の思想が法から離れて、自分の魔性と外来の邪魔が主導になり、実際にそのとき我々の心性がこの問題に関して落ちてしまい、功能も相対的に制限されて、さらに体内には悪いものがおり、功能を発揮することが難しい。

したがって、よく積極的に自分を見つめ、まだなにかみつかりにくい執着や恐れる心がないか、自分の一念がいろんな面で法に合っているかを探り、いつも強大な正念を保持すること。これは必要であることはもちろん、できるべきである。

以上は個人の悟りである。同修との交流をお願いしたい。