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外界からの評論:23条は何故幾重にも厳しくなるのか

文/呉志森

【明慧ネット】第23条草案は頑として市民の強烈な反対を推しきり、強行に立法の手続きに入った。保安局は一途に修正後の条文はとても寛大であり、如何にも市民の日常生活に影響がないものだと出任せを吹いている。しかし、皮肉にもこのような言い方は、諮問文書が最初に出されたときの宣伝の話し方と驚くほどに似ている。もし最初の草案が本当に寛大であったならば,何故今日の修正までに至ったのか? 新しい草案が本当に日常生活に影響しないというのは,また厳密な法理論証が必要なものである。

条例草案は修正されたとしても、絶対に寛大なものではない。返って至るところに幾重に厳しさを設置している。最初の「国家安全に害する組織を取り締まる」を例として、現行の社団条例に照らし,国家安全、公共安全等の理由で地元の組織を取り締まることが出きるということは既に酷いものであったが,現在はその上に更に厳しさを加え,中央からの取締り発動規制を加えて、内陸と香港のまったく別の法律概念を混同させ,内陸と関係のある香港組織、特に宗教と政治組織に対しては風声鶴唳となり,従って香港で自由に結社できるという権利を厳重に脅かすものである。さらに酷いことは,被告が欠席し、弁護士が不在場の情況のもとで秘密に尋問するというのは,完全に香港の法治精紳に違反するものである。

また扇動反乱罪にしても扇動(騒いだ)しただけで行動しなかったとしても罪にはいるということは、言論自由に対しての厳重な脅しである。条例草案は管有扇動刊行物罪を撤回したが、処理扇動刊行物罪に対しては保留し、更に刑罰を大幅に重くさせ,監禁7年、罰金50万とした。「扇動性」と見られる文章は,当然文章を掲載してから人に知られるが,一旦罪になると,扇動叛乱罪を犯すことになり、また「処理扇動刊行物」にもなる。書生の論証した一つの文章が同時に二つの罪を犯すことになる。「避秦」を除いては、これはもう「禁声」するほかない。