日本明慧


世界各地の中国領事館員と大使館員の心を開く

カナダ西洋人弟子筆

【明慧ネット】ある日仕事中、比較的新しい学習者が昼食をとりに入って来て、彼女の体験を話した。彼女は中国での不法迫害について、隣町の中国領事館に手紙を書いたと言う。それから彼女が続けて言うには、領事館から小包が郵送されて来た。その小包には法輪功を中傷するビデオや資料(フランス語と英語で)が入っていた。彼女は受取った資料に応じて、領事館に再度手紙を書くつもりだと言った。私は彼女の話に動かされて思った: そのような法輪功を中傷する資料が私の住む町や国中に回るのが許されようか。何とかそれがこれ以上広がる前にこの情況を正さなければならない、という思いがすぐに私を打った。それで私はこの国でそのような宣伝をするのは法に反することで、許されないということを直接指摘する手紙を書き始めた。手紙の語調は直接的で少し厳しかった。その手紙を書き終えた後、私は内心ダイアモンドのように固く決心していた。この決心が私を中国領事館のある隣町へ、無計画に訪れるよう駆り立てた。

時はクリスマス・シーズンであり、私が手紙を出したと同じ頃に、隣町の同修から三日間の法の勉強と煉功をするという通知を受取った。私は仕事の都合を付けて、バスに乗った。私が住む町を発った時、ここの十二月末は冬の真っ最中であるはずだが、春のような気分が漂い暖かった。三時間後隣町に着いた時、地面は雪に埋もれ、冬の不思議の国に着いたようだった。同修達が集まる場所に着くと、そこは甘美な木や植物、花、魚が泳ぐ池、流れる水、歩道、橋、そして空中を鳥が飛び交う、屋内植物園であった。まるで四季を一瞬のうちに全部訪れたようだった。

私達は共に法の勉強をし、煉功した。体験を話し合い、中国領事館の前で正念を発した。中国人地区へ行って、真相を伝える資料を配った。グループの集まりで私は領事館に出した手紙について皆に話した。どのように私達は向上できるかを話し合った。領事館の前に居た時、私は中に入って誰かと中国文化について話そうと決心した。インターコムを通じて私は明朝来るよう言われた。私はその日の夕方去る予定であったので、その場で誰かと話したいと主張した。大部努力した後、私は執着を放下して去ろうとした。出ようとした時、若い男女がドアから入って来た。私は彼らが中に入れるかどうか見ようと、立ち止まった。彼らも翌朝戻って来るよう言われた。それで私はこの機を利用して、その二人に、中国での法輪大法についての真相を伝える、中国語の新聞を渡した。何処へ行く時も、私は二本足しか足が無いので、中国語と英語の資料を持ち歩く。私はもう一晩滞在し、その晩二人の同修と体験や法の認識について話し合った。

翌朝一人の同修と私は中国領事館へ行った。私が中で領事館員と話す間、彼女は外に居て正念を発した。中に入ると、法輪功を中傷する資料で展示台は一杯であった。恐れと不安の感情がぐるぐると巡った後、私は邪悪の流言を全部一まとめにし、ドアから出た。外に出ると私は邪悪の資料を同修の車の下に置いた。それから私は平静になり確固として、領事館の中へ戻って行った。中で私は領事館員と中国文化について話す約束をとる為に、正念をもって列に並んだ。数分後一人の紳士が微笑みながら出て来て、私に挨拶した。彼は私に名刺を渡し、彼が中国文化や行事を扱う責任者であると言った。小さな会議室に入り、私達は会話に没頭した。

私は過去一年の間に中国文化が好きになり、更に理解を深めたいと言った。彼は中国文化が五千年の歴史を持つと話し始めた。私はそのことをよく知っていた。と言うのは、そのほんの数週間前に私達のグループは、五千年の中国史に通じる張翠英画展を主催したばかりであったから。だからこの領事館員の話を注意深く聞いた後私は、張が私達の町を最近訪れた時の経験を彼に話した。そのような伝統的な画法を保つ為には、画家が如何にまず徳を重んじなければならないかということを学んだと、彼に話した。翠英は彼女の先生達は皆百年以上生きたこと、中国画は画家の内面の質と美を絵に表わすことが要求されること、そして一筆一筆が画家のメッセージを運ぶこと、だから画家は高い基準の徳と心性を持たなければならないと言った。翠英の絵は如何に私が出逢ったものの中で、最も美しいものであるかを語った。翠英がこの町で画展を開いている間、見る機会があったかどうか彼に聞いた。彼はそれについて知らなかったが、見たかったと言った。

談話は一時間続いた。談話中私達は平静を保ち、互いの言うことをよく聞いた。この談話を通じて私は、彼が私の敵である分けがなく、真善忍の真髄を聞くのを待つ人であることを知った。最後の十五分になって、私は法輪功について話し始めた。彼が自己防衛の姿勢を取り宣伝文句を説く前に、私は法輪功を始めた過去一年のうちに、私の人生が如何に大きく変わったかを、静かに話した。私自身について話し、彼に会う為に長距離を長い時間かけて来たことを知らせた。少しの間一切を忘れ去って、彼の内心の声を聞くよう頼んだ。彼は心が流言に満ちており、少しためらい見せたが、静かに私の話を聞いた。彼は何故毎日大法学習者が領事館へ来て、その前で煉功するのか知りたがった。修煉者の不動の決意が見られた。彼は何故学習者達は公園へ行かずに、領事館の前に来て煉功するのか知りたがった。正念と正しい行動は邪悪が最も恐れるものである。

彼はまだ真相を十分理解していなかったので、私に彼らの宣伝資料を見たかどうか聞いた。それから中傷しようと口を開きかけたが、修煉者の心を変えることは出来ないことを看て取った。これを看て取った後、彼は急いで去ろうと会話を短く打ち切った。握手しながら私は、張翠英について更に情報を与える為に、今後も接触したい旨を言った。それから私は中国のビザ申請の為に列に並びに行った。それを見てこの領事館員は、カウンターに居る女性を蔭へ連れて行って話した。ビザ申請の為に窓に近づくと、その女性は不安で落ち着かなかった。何の為に中国へ行くのかと彼女が聞いた時、私は正念を保っていた。私は純粋な心をもって応じ、初めは何故か知らないと言ったが、その後、多分教える為にと言った。私はビザ申請書を持って去り、無事に帰宅した。

帰宅後私は自分の体験を更に深く悟り始めた。隣町は美しい木や花や水と、空中を飛ぶ鳥に満ちた植物園で煉功していたではないか? 彼らのインスピレーシヨンは私達の町にまで運ばれて来た。現在私達は、歩道や流れる水、植物、樹、鳥の飛ぶ第二の煉功場を持つ。この環境は修煉の為のもう一つのドアを開いた。

領事館員との談話に話を戻す。領事館へ行く前に、何を言おうか、彼は何を言うだろうか、結果はどうなるだろうか、といった事を考えるのに時間をとっていたなら、私は不必要な恐れや不安やストレスを起こし、それが私が行くのを妨げたかもしれなかった。だからこの場合無為の状態が助けとなった。

この体験を通して私は、純粋な正念の威力を目撃することが出来た。それは世界中に官職員と個人的に会う公然の招待があり、彼らが修煉者の正念を自ら経験する機会を与えることが出来ることを教えた。恐れは執着であり、正念をもって向かう時、そして私達の場の中に居ると、全ての邪悪は完全に崩壊する。この人達は邪悪の毒素と流言に最も汚染されてしまった。それは表面的には彼らが、自分達が洗脳された邪悪の宣伝を繰り返しているだけのように見えるが、更に奥深い処では、彼らは大法に救済されるのを待つ衆生であり得るのだ。私達修煉者の一人一人は、接触する人皆に、例えそれが中国の大使館員や領事館員であったとしても、真と善の光を輝かせる能力がある。自己を放下することにより、各地位にある中国官職員に、私達は決して彼らや共産党に対して敵意があるのではないことを、分からせることが出来る。私達は個人的に会って、汚染された頭とではなく、心と通じることにより、大法の威厳と良さを見せることが出来る。距離が私達を隔離するように見えても、手紙やファックスやイーメールを送るような簡単なことで、衆生に大法の威厳と良さを示す機会がある。それはこの法を正す特別な時期における修煉を通じて、私達の心性を向上させる良い方法でもある。

領事館員に出した私の最初の手紙を、地区の学習者達に見せた後、貴重な反応を受けた。この手紙は実際厳し過ぎた。そして慈悲に欠けていた。内面を見て、私は自分が立ち向かった事は、小さな仕事ではないことが分かった。私はこの非常に貴重な法を正す時期の使命の路を歩く。この文を書いているこの瞬間に、それは更に明白となった。次の手紙は世界各国の中国領事館と大使館に送ったものである。怠惰と気短の執着をもって内面を見た後書いたものだ。同修が翻訳し、中国語と英語の両語で送った。

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親愛なる領事殿、官員殿

私はカナダ市民で心からこれを書いており、コーヒーショップで働いたお金数ドルと共に送ろうとしています。過去の私の人生の旅をあなたと分かち合う以外に、何の動機もありません。あなたが読みやすいように、友人にこれを翻訳してもらいました。この手紙はあなたが読むことになるどの手紙とも異なります。何故ならこれがあなたに届くのに、何世代もかかったのです。他の全ての事は暫く横に除けて下さるようお願いします。この様な機会は二度と訪れることが無いかもしれないからです。それはあなたが、そして私が何故存在しているのかということについてです。それはあなたが全ての観念を放下することによって、あなたに目の前にある真相を知らせようと、一刻も惜しまず自分の生命の危険を冒す誠実な人の心を見る話です。それはあなたの国で何百万もの人が、あなたが真相を、法輪功の真相を知ることが出来るよう、日々生命の危険を冒している話です。法輪功と聞くとあなたに何が起きるか知っています。あなた自身の為に、どうか真相を聞く為に、国の向こうから呼ぶ声を聞くのを止めて下さい。これ以上考える前に止めて下さい。

西洋人として、私はいつも他の文化、伝統、価値を受け入れることが出来ました。私は自分の生命の真実を、人生の目的を見つけようと、自分の文化の内を探しました。会社の組織を通じ、努力してキャリアの頂点に達しました。そしてカナダの最も有名なCasino and Showrooms 会社の一つのマネジャーとなりました。私の将来は明るく、先行は良いように見えました。私の給料と生活基準は二十五歳の若者として、平均以上でした。あなたが自分の歩んだ路を振り返って見ると、多分いつも昇進しようと努力し、常に予想以上に成功していたことでしょう。私の場合、自分が一生懸命に努力していたものが、突然致命的な心の病の為に中止してしまったのです。躁鬱状態の苦しみから、私は殆んど自分の命をとるところまで来ました。私は仕事や、成功や、給料、そして生きる望みまで全て失いました。私の夢や将来は崩れ去ってしまったのです。私は長く会わなかった友人を訪れました。彼を訪れた時、彼は五年も前にインターネットからプリントした中国法輪功をくれました。帰宅してから私は坐ってその本を読み始めました。読んでいる間に急に、安心感と内面の平和が身体中に感じられました。まるで私の心身が、中から外まできれいに掃除されたようでした。私の心は即座にはっきりとしました。おもしろい事が起こりました。その本を読み続けている間に、私の人生に起きていることが、ずっと問い続けてきた質問と共に全て、一つ一つはっきりと答えを得たのです。それは実に、まるで私自身の人生の物語を読んでいるようでした。後程私はこの経験が、法輪功学習者間では、共通する出来事であることを知りました。私はそれから本に出ている、写真入り指導を見ながら自分で動作を学び始めました。私と同じ地域に住む学習者を見つけ、以来私は学習を続けています。

法輪功が特別に気に入った理由は、組織に登録の必要が無く、会員制も無く、私が望むままに行ったり去ったり出来ることにありました。もう一つ私が驚かされたのは、法輪功を学ぶのに料金が要らなく、学習者は私からお金を受取らないことでした。

彼らは全く心から、魂の底から行っていたのです。だから法輪功の限りない世界を経験し、学習するのは私次第でした。私は誰からも指図されず、それは私自身の自由意志によるものでした。一年後この手紙を書きながら、私は分かりました。何千マイルが私達を分離してはいますが、一つ私達を分かれさせることが出来ないのは、心です。私はあなたにお会いした事がありませんし、握手した事もありませんが、私がこの手紙を書いている理由をご自分に尋ねて下さるようお願いいたします。それは私があなたから何かをもらいたいからなのか、それともそれはただ単に、この特別な時期にあなたが、ご自分を正しい位置に置く機会を与えたい為なのでしょうか?

これを正当づける為に私はカナダを横切り、米国中を旅し、六十ヶ国から一億人が集まり法輪功を学習する事象は、作り話ではないことを発見しました。私は同修が中国で耐え忍んでいる過度な残忍と拷問を目撃しました。私自身これらの人に会い、見たからです。地球のあらゆる処から、人々は中国へ行き、彼らは皆法輪功の迫害について、それぞれ自分の経験談があります。あなたは中国の強制労働所の暗く薄汚い部屋へ行って、ブーツが肉体を続け様に突き破り、死に追い遣られる間の痛みから、意識不明状態になるのを目撃したことがありますか? あなたは自分の妻や娘が衣服をもぎ取られ、罪悪人達に強姦されるままに放置されるのを見たことがありますか? どうか中傷や嘘に騙され、彼らと共に地獄へ引きずり込まれないで下さい。後生ですから騙されないで下さい。これ以上詳細は話しません。グロテスクな詳細はあまりにも残忍で、あなたの睡眠を困難にするかもしれませんから。

法輪功を初めて以来、私の人生はストレスや不安や、怒り、欝がありません。私の家庭生活は互いにより深い理解があり、緊張や意味のない口論もなく、非常に改善しました。以前決してやると思わなかったことを今やっており、私のはっきりした精神で集中して働く能力はめざましく良くなりました。あなたの心の奥深くに聞く為にちょっと止まって下さい。あなたは法輪功について、迫害の方向から繰り返えされていること以外に、考えて見たことがありますか? これが何故今後長い間歴史の本に残る事件であるかを、本当に理解していますか? あなたは大法がカルトだと言われる以外に、その背後に、真善忍の背後に、深遠な意味があるのを、知るようになりましたか? あなたがこのような質問を自分に課すよう、ここに書きました。あなたの答がきっと、あなたの将来に重要な役割を果たします。あなたは善悪正邪を見分けることが出来ます。この様な情況において、あなたが自分を正しい位置に置くもう一つのチャンスです。

歴史となった1989年の天安門における血生臭い虐殺を目撃しました。それは嘘と、強欲と、欺きと、権力で覆われていました。この悪魔の迫害に使ったような大金を持つ強い国でさえ、人生の本当の意味を知った真の学習者の心は変えることが出来ないことを、世界はじっと見てきました。あなたはこれら全てにおいて、自分がどんな役割を果たしているのか、考えたことがありますか? あなたは少しの間仕事から離れて、正の為か、それとも時と共に衰える権力の為に立ち上がるか、じぶんの心の奥深くに聞いて見ようと思ったことがありますか? 中国の古い諺は、善は善で、悪は悪で報われる、と言います。私達の生命は目の前の利以上のものです。騙されないで下さい。お願いですから法輪功は良いということを知って下さい。

心から敬意を持って。

世界市民、法輪功学習者

2003年2月28日