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山東省龍口市の大法弟子呂仁娟一家が迫害された事実

【明慧ネット】 山東省龍口市の大法弟子呂仁娟は1999年7.20からずっと龍口市公安局に迫害され、重要人物の対象となっている。彼女は過去3回も北京へ陳情に行ったため、下丁家鎮政府に不法に逮捕され、あちらこちらの人が多く集まる場所で見せしめにされた。2000年には迫害されて落ち着く先がなくなり流璃したが、龍口市公安局は7万元(約100万円)を掛けた逮捕状を出した。2002年5月日照五蓮縣の資料点で彼女は警察に不法逮捕されたが、彼女の息子である19才の梁兵は今も行方不明のままである。

彼女の姉である呂仁英は警察に捕まえられて残酷な拷問に掛けられた。妹である呂仁菊も?博王村の洗脳班に送られている。

姪である呂艶那は、ただ龍口市豊儀鎮政府が地元の大法弟子である田香翠を殴り殺した事情を明慧ネットで暴露したと言う理由で、2000年龍口市の警察である馬向陽に残酷に拷問されて3回も意識不明になった。警察は彼女が拷問によって死亡することを恐れて彼女を学校に送ったが、その途中で彼女は正念を持って脱走した。警察は6万元の賞金を掛けて、彼女と主人である?照輝に対し逮捕状を全国範囲に出したため、彼らは全国の重要人物となった。

呂仁娟の70才のお父さんはこのショックで大きな病気になった。龍口市政府と下丁家政府は常に彼女の財産を没収し、また彼女のお母さんとお姉さんまで見逃さないで迫害し続けた。やがて彼女のお母さんはこのような打撃に耐えられなくなり、恨みを持って亡くなった。

2001年に龍口市の前任の公安局局長である宋学雷は酒を飲んだ後、交通事故で死亡した。龍口市政法委員会の書記である610の主要な責任者の王成会は、2001年お母さんが重病になっても顧みないで官途しか考えず、ただひたすら大法弟子を捕まえては?博王村の洗脳班に送り、その数はすでに19名に及んでいる。