日本明慧

医者と患者

[明慧ネット]私には古い友人達が居て、よく親戚とその医者業の話しをした。

その一人は、お祖父さんが有名な医者であった。彼の住む村によく盗賊がやって来た。夜中に彼らが村を通り抜けると、村の作物は略奪された。ある日盗賊の頭がケガをし、この尊敬される医者の処へ来た。彼のケガを治療する前にそのお祖父さんは、盗賊が二度と村を略奪しない条件を出した。盗賊頭はまもなく治り、以来彼らはその村を迂回するか、村を通過することがあると、医者のドアの前に穀物を置いていくのだった。盗賊頭は、自分の命を救った医者をいつも覚えていた。

以前は患者は自分を治してくれた医者に感謝するのが常であった。彼らはよく親戚を訪問する様に医者を訪問し、何か贈り物を持っていった。

盗賊でさえそうしたのだから、一般の人は言うまでもない。現代社会とはかなり差がある。私は米国に来た後、医者の家に滞在した。彼は熟練した老年の医者であった。その町の三十歳以下の人は殆んど皆、生まれる時にこの医者の手で取り上げられたのだった。彼の仕事は近年更に苦労が多かった。一目見てはっきり分かるような病気でさえ、患者に様々なテストを受けるよう、要求しなければならない。患者が彼を訴える場合を考慮して、彼は自分の収入を全て、妻や子供の名義に書き換える。彼の友人の一人は優れた医者であるが、その年患者から何度も訴えられ、彼を日々非常な緊張とストレスで過ごさせた。

現代では、医者と患者の関係は、ビジネスになってしまった。患者は治療を買う。満足しなければ患者は様々な理由をつけて、医者の過失を見つける。医者は患者に様々なテストを受けさせ、テストの結果によって治療や薬を使う証拠を得、自分を防衛する方法を持つ。患者にとって、医療費は益々高くなる。医者にとっては、保険が益々高くなる。皆が緊張して互いを監視している。その関係は緊張し、敵対しており、悪循環となっている。その結果、医療費は社会的負担となってしまった。

実は医者と患者の出遭いは縁である。患者が医者に遭うのは偶然ではない。「前世今生」という本に、心理学者の臨床記録に基づく話があり、患者が前世に回帰し、彼女の医者が前世で彼女の師であったことを発見した。

人は人生の過程で業を造り、返済する。人間関係は医者と患者の関係の様に業に基づくものである。医者は患者を治療し、徳を積む、或いは前世における借りを返済するかもしれない。もしも医者が間違った歯を抜くとか、手術に失敗したり、不当に高い料金をとる等、何らかの間違いをするなら、彼は業を作り、それを後程返済しなければならない。患者にとって、苦難は業を返済することである。身体的又は精神的苦痛や、治療費を支払うことは皆、自分の業の返済である。


業を返済したら、人生は波乱のないのないものとなり得る。医者であろうと、患者であろうと、皆自分の生命に責任がある。人の行為の一つ一つは、徳を積むか業を造るかとして記録され、生生世世持ち運ばれる。古代の人はこの道理を知っていた。徳を積む為に善を行い、負債は恩を感じて返済する。現代人の行為は業を造り過ぎる。因果を気にせずにやりたい放題を続けると、生命は危険に陥る。

2003年3月3日