日本明慧


貴重な追憶(一)

文/大陸大法弟子:慧蓮

【明慧ネット】同修が書いた文書“師父に隋いて万里を行く”を読んだ時、とても感慨深く思わずその年自から師父について成都に行ったことを思い出しました。何度も自分の耳で師父の洪法を聞くと作者の同修と類似した経歴がありました。また、大法が伝わって十年余りの間に経験したさまざまな事柄を検証してみました。

私の教育レベルは高くありませんが大法が世の中に伝わる時、法は私に特別な光栄と師父が当時行った洪法の検証を与えてくれました。それ故に同修と共に精進し、うそをあばいて大法を正すと同時に、古い観念の障害を捨て去る過程を私はベストを尽くして書きます。

追憶 1

邪悪の迫害のため、私は長い間路頭に迷っていました。昨年、年末が近付いても私は宿泊先を見つけることが出来ませんでした。宇宙の大法は迫害を受けるだけではなく、師父まで誹謗中傷されていました。中国の民衆は騙されていて路頭に迷った大法弟子は足を踏み込む場所さえありませんでした。そして私の心は悲痛で師父のことをとても懐かしく思いました。そこで私は再び師父が歩んだ道に足を踏み入れることにしました。私は地壇公園内の方沢園に行き、石の腰掛けの上で長い時間座りながら97年11月の国際法会の情景を思い出していました。そうすると当時の情景がありありと目の前に現れました。午前中は法会、午後はグループ交流で集団練功後はみんな二つのホールに分かれて夕食を共にしました。その時突然師父が来られました。みんな師父を見ると、さっと立ち上がって拍手を求める人もいれば合掌する人もいて、とても感激して師父に敬意を表しました。師父は微笑みを浮かべて前後のホールを回り、歩きながら絶えずみんなに向って手を振って:“みんな座ってください。引き続き食事をして、ご飯をよく食べて下さいしばらくしてまた見に来ます”と伝えました。その後知りましたが師父は遥か遠いアメリカから駆けつけ、飛行機をおりてから会場までずっと奔走し、夕飯さえ食べられていませんでした。食事後、師父はまたみんなと顔を合わせて、40、50分の洪法をされました。私は師父の深い慈悲と優しい顔と声を思い出すと、幸せで涙がしきりに流れて、たちまち今までの苦労を感じなくなりました。弟子と衆生を救うために心血を尽くしている師父のことを思うと、今私達のすべきことは師父の教えに恥じないようそして大法に反しないようにしなければならないということだと思いました。

追憶 2

2001年の夏、私は人に裏切られました。ユダがそうであったように、“610”と7、8名の警官が2台のパトロール・カーで私を捕まえに来ました。その日、私はちょうど宿泊所にいなかったため、私は捕まりませんでした。彼らは家族(常人)を脅したりすかしたりして家族を騙したので、家族は邪悪と力を合わせ始め(あの時はまだ自分の周りの空間に問題があると目覚めていませんでした)いっしょに私の宿泊所に来て私を囲んで「洗脳」(法輪功弟子を逮捕して頭の中を洗う強制クラス)に入るように強要しました。

私は家族に:“大法は私の心の中に根をおろし、私はこの道を進むことを決めた。誰も私を動かせない”と厳しく警告した。彼らの背後の邪悪を一掃するように絶えず正念を発した。その夜公安局に電話をするという彼らの考えを取り除きました。彼らに私の思いが通じ、何時間か睡眠を取らせてから明日早朝私を送ることにした。(私は彼らが小さな声で明日早朝警察に電話してパトロール・カーを呼ぶという相談を聞いていました)その日の夜2時近くになって私は思いました:“絶対に邪悪にあわせないで必ず正しく歩む。私は大法の粒子だ。”引き続きひっきりなしに正念を発して、その他の空間の邪悪な因素の操りを取り除き、彼らが表門の錠をかけないようにコントロールし、(毎日12時受付は閉めで、午前6時に開ける)絶対に錠を動かすことなく、夜が明ける前に必ずここを離れなければならないと決心しました。やはりその日は奇跡的に錠を開け、私は強大な正念の下で、順調に“封鎖”から脱出しました。その日は小雨が降っていて、一日中駆け回りましたが夜10時すぎてもまだ宿泊所を見つけることが出来ませんでした。私は疲れて果て、喉が渇き、腹が空き、またとても寒くて立体交差橋の下に立ち止りました。橋の下はちょうど以前の私達の練功場であって、たくさんの昔の事が目の前に浮び上がりました。

私は初期の頃自分の耳で主仏陀の慈悲な洪法を聞いたことがあります。師父の煉功も身をもって受けました。大法が良い、師父が良い、このように煉功ステーションは最初一つから十ヵ所以上に発展しました。みんなは一緒に法輪功を学び、煉功し、交流し、それは本当に一つの浄土でした。しかし、今、同修達は迫害され音信を失っています。昔を思い出して今日を見てみると私は泣きたいですが涙がないのです。今、どのようにして法を正し、実証すべきなのでしょうか?突然、私は自分の心理状態に問題があると感じて、早く目を覚ますように自分を調整して、心を静めて自分自身に“あなたの責任はなにか?”と自問しました。たちまち師父の95年1月初めに指導員接見時の場面がまたありありと目の前に現れました。心理状態を整えた後に、私は理知的に現在のこの地区に現れた現象を分析しました。現在邪悪な勢力は私達の常人の心を狙う一方、私達を分裂瓦解させ、またその一方では今の猛威横行した仮相で弟子の意思を崩しているのです。原因を自分の中で見つけることで起きるこれらの損失は、法輪功全体が良く法を勉強していないことの証明であり、これらのすべては偶然ではありません。私にも責任があり、私は良く修煉していませんでした。

かつて師父は私達に“大勢の修煉者に教えることはとても功徳が大きい事なのです。よく行わないと私達は責任を尽くしていないと思います。”、と教えました(《法輪大法義解》)

私は責任を果たしていなっかためこのような多くの漏れが発生し、法輪功に大変な損失をもたらしました。師父!弟子は大法に申し訳ありません、師父に申し訳ありません……。この時、私はすでに漠然とした状態ではなく、自分自身に絶対に師父と大勢の弟子の期待に背くようなことをしないで、絶対に正しく法の道を歩んで行き、衆生のために責任を負い、宇宙の大法のために責任を負いたいと言い聞かせました。私は自からに一つの座右の銘を決めました。“一人の師父、一つの法をしっかり信じ、守り、修煉し折れも曲りもせずまっすぐ行き着く。”(昨日迫害された時、私は折れるにしても曲げはしないと言いましたが今日私は徹底的に否定します。)すべての邪悪の難を充分に乗り越えられます。

正念によって邪悪を取り去る以外に、二度と宿泊所がないことに執着をしない、と私は自分に言い聞かせました。もう誰も私を崩し破壊することができないのです。“空は布団、地はベッドで、小雨は美味しい水なんです!”誰も持っていないけれど私は自然を持っています。それから奇跡のように、その日の夜、臨時宿泊所を見つけ、翌日は順調に住所を探し出して、新しく法を正す道を始めました。

2003-2-11