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大法は人を賢くする: 老婦人の修煉物語

【明慧ネット】私の従姉はあまり教育が高くなかったが、大法と縁があった。彼女の大法を得る過程は、困難に満ちたもので、感動的であった。私は彼女がそれらを整理し、同修と分かち合うのを助けた。下記はその話である。

今年私は七十歳になる。1997年7月のある日親戚の者が、「法輪功は良いですよ。それは人に慈悲深く、善良であるよう教えます。それは高いレベルの佛家修煉法です。精神を修煉するにつれ、身体が浄化されます。」大法が無料で人に、真善忍に基づき善良であるよう教え、身体を浄化すると聞き、私は大法が良く正しいものであると確信した。

大法を勉強したかったけれど、私は文盲だった。親戚の者が録音を聞いて学べると言ったので、それを聞きに毎日彼女の家へ行った。聞けば聞く程、益々聞きたくなった。師父の言葉は私の心の奥深くに染み込んだ。テープを一度聞いた後、私はついに返本帰心するという人生の真の意味を理解した。一度聞いただけでは全部覚えることが出来ないので、大法の本を読みたく思った。文盲だったが転法輪を入手し、グループでの勉強と煉功に参加し始めた。一語一語読み方を学んだ。煉功場では同修に助けを求め、自宅では家族に頼んだ。誰も居ない時は街へ出て、通行人に尋ねた。

私は大法を学び、言葉を学ぶのに没頭した。食事中であれ睡眠中であれ、歩いていても、用事をしている時も、私の心は大法にあった。手が大法の本の上に置かれていなければ、本が私の手の上にあった。次第に法の言葉をより多く学び、私の腎炎は知らずに治ってしまった。私は健康であることの真の喜びを体験し、大法修煉に更に精進するようになって行った。一年足らずのうちに、ゆっくりとではあったが、転法輪を全部読めるようになった。グループでの勉強は他の人の時間を取り過ぎるのを恐れ、私は自宅で勉強した。一年後には私の家がグループの勉強場となり、ついに私は他の同修と共に読めるようになった。1999年7月付で私は既に大法を二年勉強したことになった。この二年間の殆んどの時間を大法の勉強と煉功に費やし、私の心身には大きな変化が起た。

しかし江沢民政権は大法に対する全面的迫害を始めた。警察は大法弟子をあらゆる処で捕えた。ラジオとテレビは大法と師父を中傷し、罵った。私は家にじっとしていることができず、同修と共に北京へ、大法を公平に扱ってくれるよう頼みに行った。しかし北京で私達は誰にも会えず、どうすれば良いのか分らなかった。一週間北京に滞在した後、帰って来なければならなかった。1999年12月23日、法輪功研究会の責任者が投獄されることになったと聞いた。私は不法裁判に抗議する為に、もう一度北京へ連れてってくれるよう娘に頼んだ。

1999年12月25日、娘と私は天安門広場へ行った。多くの大法弟子が警察の車に無理やり乗せられるのを見たが、私は少しも怖くなかった。一人の警察官が来て私に尋ねた。「あなたは法輪功の為に請願に来たのですか?」私は、そうですと答え、彼らは私を警察の車に押し込み、「その年で何故わざわざ来たのですか?」と聞いた。私は言った。「悪人が、法輪功研究会の責任者である大法弟子を宣告すると聞きました。私は大法が良いもので、先生は無実であることを、知っています。大法を公平に扱ってくれるよう、頼みに来たのです。」彼らは聞いた。「しかしここへ来たからって、何が出来るのですか?」「大したことは出来ませんが、もう一人が大法を支持する者が居ることを示しに、大法が良いということを証明しに来たのです。」

警察は北京連絡事務所に私を送った。二日目に私は地方の看守所へ送り返され、半ヶ月留置された。尋問中警察官は言った。「おばあさん、あなたは法律を破ったのですよ。」「私は法を破っていません。真善忍に従って良い人間であることで、どんな法を破ったと言うのですか?」彼らは私に保証書を書かせようとしたが、私は拒否して言った。「どんな保証を書かなければならないと言うのですか? 保証書が欲しいなら、私の意志で北京へ行くことを保証しますよ。」彼らは政府が法輪功を禁止したのだと言った。私は、「私が何をするかは、私が決めることです。私が法輪功を学習したいなら、私はやります。」と言った。半ヶ月経った時、彼らは保釈金を要求し、それが支払われた後に釈放されると言った。私は「私はお金がありません。もしもお金があれば、北京へ行くのに遣います。私は年よりです。死を恐れることはありません。良い人であることを学ぶのは、間違っていません。私が勉強しているのは正当であり、私は何も犯罪を犯していません。」彼らは私が政府に逆らっていると言った。「私の年であなた達を打倒してみても益になりません。テレビの言うことは全部嘘です。大法は政治に関係しません。政府に反対もしません。私達は政治家になることを望みません。私は絶対大法修煉を続けます。」彼らは私を釈放しなければならなかった。後程地区の警察官が二度私を探しに来て、私を家へ帰らせなかった。私の娘は党書記官に私のことを頼みに行って、「母は年をとっています。彼女に何かあれば、あなたのせいにします。」と言った。彼らは恐れて私を釈放したが、家宅捜査すると脅した。娘は前もって家に電話し、大法書籍は保護され、彼らは何も見つけられなかった。

私の家の近くでは邪悪勢力がはびこっていた。多くの大法弟子は逮捕され、強制労働所へ送られ、重刑を言い渡され、拷問により死亡さえした。私の前途が如何に長くとも、最善を尽して師父が教えた三つの事をやり続けるだろう。法が地球を正す日まで、私は師父にしっかりと従って行くだろう。

2003年3月18日