日本明慧

僻地農村の大法学習者が自らの迫害経歴を述べる

【明慧ネット】私は僻地農村に住む大法学習者です。1999年3月に大法に出会いました。それまで私は法輪功については何も知りませんでした。両親から、大法を学んでいる村人がいて、とても良いものであることを聞きました。私は好奇心の下、村のある煉功場へ出かけ、師父の説法を聞き、とても新鮮に思えました。今までにこのような話は誰からも聞いたことがなかったのです(私は当時、説法を聞いた後に大変勉強になったと思いました)。そして、師父の経文に書いてある“師父”、“弟子達”の言葉を読んだ時に大変感動しました。私は涙が出ました。それから、ずっと大法を学びたい一心でした。一ヵ月後、私は日記に「私は大法の修煉を堅持する心は永遠に変わらない」と書きました。

99年7.20、天地を覆うほどの勢いでの弾圧が始まりました。村の幹部らは自宅まで追い駆けてきて、「保証書を書かない者や上部の“命令”に従わない者は反革命者だ。街に引き回して公衆に示してやる、批判されるのだ」甚だしきに至っては銃殺されると恐喝と脅迫をされました。それから、村中で今日は会合に出なさいとか、明日はどこどこへ出席しなさいとかの放送が毎日のように流れてごった返していました。更に、大法を中傷し、師父を辱め罵ることを書かされ、しっかり書かないと県の洗脳班へ送られると言われ、私は村の主任に二日間以内に批判書の提出をさせられました。その時の私はただ、「首はなくなってもいい、流血してもいいが、大法だけは失くしてはならない。大法を罵り、師父を罵ることを絶対にしてはならない」の一念しかありませんでした。最後に私は村に対して、「大法と師父を罵ることは出来ません。そして洗脳班にも行きません。両親共に年老いていることで、どうしてもと言うことであれば、この村から戸籍を移しても構わない」と自分の意志を表明しました。結局、私は何も書かず、戸籍も移さず、洗脳班へも行かずに事がそのままに終わってしまいました。

2000年7月に私は結婚して、よその町へ移りました。その間に私は沢山の学習者が北京へ陳情に出かけて逮捕された話しも聞きましたが、その時の私は上京しようとは思いませんでした。7.20以降に何度か陳情に出かけようとしましたが、警察に阻止され目的を達成できませんでした。理由を突き詰めてみれば、当時の私は上京してから何をすればいいかが明白ではなかったからです。後に師父が明慧ネットに発表された《厳粛な教誨》の説法を読んだ時、私は頭ごなしにぴしゃりとやられて、私の心は大きく震わされました。師父は言われました、「法を得たのに法を証明しない人はまだ大法の弟子と言えるのでしょうか。家でどんなに法を勉強し煉功を続けても、皆魔に操られ、邪の悟りをしているのです」「天からお餅でも降りてくることを待っているのでしょうか。法難が終わるとすぐ圓満成就しに行くことでも待っているのでしょうか。本当に彼らのことを心配しています。自分の本当の命はどれほど危ない境地に晒されているかご本人にも分かっていないのです」その夜、私は悲しくて、苦しくてどうしても眠れませんでした。それでも、私はどうすれば良いか分からずにいました。他の学習者の体験文章が次々と出て来てから、やっと何かをつかむことができました。年末に夫は大法を守る道を踏み出ました。金水橋で「法輪功は人をより良い人になることを教えています。法輪功を修煉することは罪にはなりません」と書かれた横幕を開きました。横幕を開いた突端に天安門前にいる警察が一斉に殴り蹴りで飛び掛かって来ました。夫は天安門付近の留置所へ連れられてから、平谷県へ移送されました。大法学習者は平谷県で残酷な虐待をされました。

夫は拷問と情けのいじめに耐えられず、田舎の自宅の住所を明かしました。その後、田舎の政府の者は夫の顔を知る前に、要するに政府の者は上京した人が私の夫であるかどうか確認も出来ていない状況の下で、十数人の悪党を連れて数台のトラックで自宅まで駆け込み、不法に家宅捜査をし、全ての家具が取られた上に、八千元から一万元の罰金をすると揚言しました。夫は帰されてからも家族と顔を会わすことも無いまま留置所へ送られ、誰とも会うことは許されませんでした。1ヵ月後に夫は田舎へ帰され監禁されました。私は当時、臨月に近いとのことで、夫を帰してもらうように田舎の政府機関へ出かけました。政府機関は夫を放してくれないだけではなく、八千元から一万元の罰金を支払わなければ労働矯正の刑にすると揚言しました。私はその時、開放してくれるまでにそこでずっと待つことを固く決心しました。数日が経っても対峙して譲らなかったので、大きいお腹を抱えて自分が臨月まであと十数日しかないのに、面倒を見てくれる人もいない状況の中で、私は焦りました。いっそのこと私は夫を掴まえ外へ出ようとしました。悪党らはリーダーを含み7、8人が阻止しようとしました。私は妊娠していて臨月に近いとのことで、悪党らは私に対して手荒くは出来ないため、夫を脅迫しながら中へ引っ張ろうとしました。結局、私一人の力では彼らに勝てなく、夫は再び中へ連れ戻されました。そして、夫を監禁する部屋の入り口までに来た時に、目の前で夫が部屋へ入れられると思い(私は夫の手を最初からずっと放さずにいました)、焦って両足を門の敷居にかけて、全身全力で夫を引っ張ろうとしました。が、あまりにも力を出し過ぎたために、夫をつかまえた手が滑って放してしまいました。

そして、私はその勢いで石階段の上から後ろへ倒れ落ち、後頭部はそのままコンクリートの床に直撃してしまいました。邪悪の徒らは責任を負いたくなく、医務職員にあちこち見てもらい、彼女は自分から下に落ちたのだ。自分達とは関係ないのだと責任を逃れようとしていました。ちょうどこの時に、政府機関の庭に池の工事を行っていて、何人もの工員はこの一幕を目撃していました。のち、彼らは夫に手伝ってもらい私を部屋の中のベッドへ運んだ(彼らは心がやましく、私に触れもしなかった)が、彼らはピクリともしなかった私を見て怖くなって、書記を呼んだり、救急車を呼んだりして、私を病院へ運びました。私は入院を拒否し、夫に付き添われて自宅へ帰ることを固く主張しました。彼らは責任を逃れたいために同意したが、お金の支払いは求められました。現金がなければ借用証書を残すか保証人を出すかで、それに、毎日2回政府機関へ報告するように要求されました。(朝晩計2回)

自宅に戻って半月後に子供が生まれ、夫も面倒を見たりして忙しくなり、私達はこれで一件落着だと思いました。しかし、子供が生まれて二十日間過ぎた頃に、田舎の政府機関の者が現れ、夫に同行するよう求めました。私達は拒否すると、彼らは夫を強制的に連れ出そうとしました。しかし家族全員が道理を話し、夫を家に引き止めました。そして、子供が満一ヶ月と四日目に、夫は家族全員が知らない内に密かに田舎の政府機関に拉致されました。のち、県の留置所へ送られ、不法に労働矯正の刑に処されました。残された私と幼い子供は苦しい生活しています。

私達は良い人になろうとしています。より良い人になるように努力しています。真実の一言を言うために、家族がバラバラになってしまいました。これは果たして誰がいけないでしょうか? 誰が善良を迫害しているのでしょうか? 誰が無実の人々を惨殺しているのでしょうか? 甚だしきに至ってはどれくらいの数の大法学習者が彼らに殺されのでしょうか?

大法を修煉することで私達が得られたメリットは数え切れません。大法は私達の心を清めてくれて、体を健康にしてくれました。どれくらいの数の人々が病床から起き上がり、どれくらいの数の人々が薬の山から手を放すことが出来ました? 私達家族全員は大法を修煉しています。子供もそのメリットを受けています。子供は未だ2歳未満ですが、生まれてから今まで一度も注射を打ったことがなく、薬を飲んだこともなく、体は頑強で可愛いらしい子供です。そして、姉の子供は満4歳で、病気になったことは一度もなく、一度も注射を打ったことがなく、薬を飲んだこともありませんでした。姉の子供は同年齢の子供より身長が高く、賢く可愛い子供です。一人が煉功することで家族全員が受益するとは正に大法がもたらした奇跡です。

私個人の修煉における体験を述べさせてもらいました。法輪大法は正法であると証明します。