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金子容子さん救出活動—九州地方

【明慧ネット】金子容子さん救出活動の一環として、救出支援の会メンバーは今回の活動のためにカナダから来日した林慎立さん(法輪功学習者)と共に、東北、信越、中国、四国地方を回った。その後3月10日から14日まで九州の福岡県、佐賀県、熊本県、大分県、長崎県を訪れた。事前に各県議長宛に『陳情書』を提出し、各県の知事宛に『要請書』を提出、また各地において記者会見を行った。

真相を伝える長期間の活動により、日本の政界、マスコミ及び民間においても、中国における真相に関し理解を示しており、今回の救出活動に対しても、かなり協力的であった。一方、日本全体においては、江沢民氏による邪悪な弾圧の真相を十分に把握できていないこと、様々な要因に制限されていることにより、各自治体は静観するという立場を取っている。法輪功弾圧問題に関し、地方自治においては、無力あるいは限界があるとしている。このような情況を思慮し、救援の会のメンバーは、各自治体から政府へと、救援活動を深めることを呼びかけるよう要望すると同時に、金子容子さん事件の真実を明らかにすることを接点として、法輪功の真相を伝えることによって、今の局面を打開しようとする対応を取ることにした。そこで、各自治体の官員会見と記者会見する際に、こういった方針に基づいて、その場その場の情況に応じるように理知的、慈悲的に救援活動と真相説明を行っていったのである。
 
各自治体は多くの疑問を感じているようであったが、自治体職員の会見及び記者会見を通じ、真相を伝えることにより、天象の変化も伴い、プラスの方向へと変わりつつあるように感じられた。特に政府の関係官員は今回の救援活動に対して、きわめて同情と理解を示し、本救援活動に対して敬意を表した。同時に、隣国である中国で起こっている、真・善・忍を持って自律する気功の愛好者に対する、信じられないほどの野蛮な弾圧に遺憾の意を表明した。今回の活動を実施している際、各地方の、年に一度の議会を開会する多忙の時期に当っていた。それにもかかわらず、各地では多数の記者が記者会見に出席した。また、参加者はいずれもこの事件に関心を寄せていた。しかも、都合により出席できなかった他の記者のために関係の資料を持ち帰り、多い場合は20部もの資料を持っていった。記者の感心するところの問題は、金子容子さん事件の経緯、その現状と今後の行方、政府の立場と行動、金子容子さんが中国の法律違反となったどうか、法輪功は新興宗教であるかどうか、法輪功の歴史と現状などである。これらはいずれも、わたしたちが、政府、マスコミや国民にその真相を伝えようとしている肝心な問題である。
 
各自治体とマスコミは、何らかの要因によって制限されているようであり、立場を明確にして、法輪功を支持することは、まだ難しいようである。しかし、理解を示すと共に、出来うる方法によって、この問題に対処する意向を表明した。このように曖昧ではあるが何らかの態度を表してもらえたことは、一つの進展であり、意義のあることではないかと思量する。
 
救援活動と真相を伝える中、わたしたちは次のように実感した。この活動は単なる普通の活動ではなく、大法に対する理解の程度と修煉の状態に対する一つの試験ではないかということである。大法を良く学び理解が深まれば深まるほど、実際の救援活動と真相を伝える中で、理知、智慧、慈悲的に行うことができ、いつどこでも大法に溶け込むようになれば、期待しうる効果が得られるのではないかと思う。今回の活動で、感じたものは多々あるが、以下の二例を挙げてみる。
 
その一つは、常人の理をもって真相を伝えること。国民の正念を喚起させるため、彼らの後天的観念及び理解度に沿って行い、常人の次元に立って真相を伝えなければならないと思う。師父は、大法の中でかつて真相を伝えるには、人間という最低次元の理をもってすべきだと何度も申された。最近、『2003年旧正月十五日米国西部法会での解法』では、より明確に教示されている。「皆さんに教えますが、皆さんは必ず理性的に行わなければなりません。真相を伝える中で、人間の理を少しでも越えてしまったら、人間はそれを受け入れることができません。ですから、真相を伝える時、高いレベルのことを決して話してはいけません。皆さんが知っていることは皆神が知るべきことであり、私が皆さんに教えたことであり、世の人に教えたことではありません。ですから、それらのことを常人に話してはいけません。皆さんに言えるのは、私たちが受けた迫害と私たちの本当の情況であり、私たちが良い人であるのに無実に迫害されており、信仰の自由と人権が踏みにじられているということです。これは世の人々が受け入れられることであり、すぐ私たちを支持し同情を寄せてくれます。これで既に十分ではありませんか? なぜどうしても相手に高い次元の理を分からせなければならないのでしょうか? これらのことを知っていれば、世の人々はすぐに法輪功が迫害されており、しかも迫害の加害者がそこまで邪悪であると言い、あちらこちらで言うのです。これでもう十分ではありませんか?」

真相を明かす過程において、師父のおっしゃる通り常人の次元を少しでも超えたら不理解と誤解を招くことになってしまうということを実感してきた。それに引き換え、法輪功の学習者は、単に気功を鍛錬する者で、真・善・忍をもって自分を律することによって、より高尚なる人を目指す。組織もなく、宗教ではなく、法律を守り、政治には参与しない。しかし、江沢民氏は国家全体を動かし、非人道的弾圧と虐待を行っていると説明し、また、その迫害される実例と統計数字を示せば、理解を得られるのみならず、真相を伝えるにも非常に良い効果が得られた。わたしたちが、今やっている全てのことは、みな大法から来ているものであり、全てのことは大法に従いながら行わなければならず、また、これらの行動のいずれも、次第に大法に同化していくための修煉であるということを実感した。
 二つめは、正念を持っていればこそ正しい行いをすることができるということである。法を正している中では、わたしたちの一挙一動、または一つ一つの思念は、いずれも長期間にわたる修煉を基礎としたものである。物事を行う基点を大法において、はじめて「正念正行」をすることができ、自分の使命をはっきりと認識でき、慈悲をもって世の人に接することができるのであり、善良、誠実な態度をとることができるのであると思う。その時に現われてきた、真と善の力はきわめて大きく、全てを包容し溶かすことができるのではないかと感じる。反対に、気持ちが落ちつかなくなると、真相を伝える効果が急落したりすることになる。たとえば、記者から辛辣な問題を質問された時、あるいは記者の反応が薄くなった時、わたしたちの気持ちが外在的な要因により引きずられ、落ち着かなくなってしまう。そうなると、その場の環境は融和的な雰囲気を失うのみならず、真相を伝える効果も急落してしまう。それと同時に、マイナスの要因が滲みこんでくるのを感じるのである。事実、正念が弱まったことにより邪悪に隙に付け入られ、このような状況に陥るのである。真相を伝える中で、私たちこそこの舞台にいる主役であり、私たちの意図によって行うべきだと思われる。もし心が正しければ、一正をもって百邪を圧することができ、旧勢力が付け入る隙を与えなくなるのである。それによってそれらのすべての按排を徹底的に否定することにもなるのである。正念をもっている時の環境は、大法弟子の正念によってコントロールする場となり、宇宙の特性と繋がり、すべては和やかになるはずである。これは、「物事の好し悪しは人間の一念によるものである」(『転法輪』)という法理の顕現したものであろう。法を正す歩みが今日まで至ると、大法弟子各々は「正念正行」をもってこそ、責任を完遂することができるのではないかと思う。
 
今回の活動を通じて、より一層邪悪を暴露し、真相をより深く伝え、それによって衆生を済度する多くの仕事が残っているようにも感じた。それと同時に、自分の向上するための不足も見つかった。また、日本が中国との特別な関係(歴史的、文化的、地理的など、これらは実はいずれも旧勢力が按排した一環であるが)をもっており、このことに関しても曖昧な態度と行動を取っているので、日本における救援活動と真相を伝えることにある程度の難度をもたらしていると思われる。しかし、逆にいえば、こういった環境は、正しく私たち大法弟子特に日本の大法弟子にとって、自身の関連するマイナスの物質を消すこと、旧勢力の按排を徹底的に否定した上で大法の上において昇華するのに不可欠な修錬する環境であるかもしれない。ここで、師父の教えをもって共に励ましあおう。「残った道のりにおいて、神の正しい信念と正しい行いで、皆さんが先史の時に立てた大いなる願いを圓満させましょう。」(『師父からの新年の挨拶』)。