日本明慧


品行も学力もともに優れている幼い弟子が受けた迫害

2003年4月2日

【明慧ネット】私は品行も学力もともに優れている一人の学生です。修煉してからは、注射をしたことも薬を飲んだことも有りません。

1999年7月22日、私は両親と一緒に政府に法輪功の真相を説明しに北京へ行きました。そこで、公安警察に騙され車で拉致されて強引に駐京事務所へ連行されました。二日間とも三食のご飯が食べられませんでした。大人は子供よりもっとひどく一食の食事がただの小さい饅頭とほんの僅かな漬物しかありませんでした。

家に戻ってから両親は二人とも職場に連れ去られたため、女の子の私は一人ぼっちになった。

鎮圧は日に日に狂気じみてきました。私は心の中の言葉を抑えることが出来ず、再び両親と共に2000年9月のある日曜日に北京陳情局に行って、政府に法輪功の真相を言いました。公安はまるで駐営部隊のように入り口で座っていた。そして私達母子二人を強引に車で駐京事務所へ送り込みました。当日は非常に寒く地面は氷のように冷たかった。私と母は一連の厳しい身辺の捜査を受けた後この冷たい地面に座らされ、夜になっても、この“氷”の上で寝かされた。

母の勤める職場の一人の悪人が我々を捕まえに来ました。私は翌日学校へ行かなければならなかったが、彼は母と私が離れるのを恐れて私が行く事を許しませんでした。結局私は母と一緒にまたこの前より10倍も冷たい“氷”の上で夜を過ごしました。私は非常に健康で、普段横になると三十分以内には睡眠に入りますが,今回だけは一晩中少しも眠れませんでした。もし私達が修煉をしてなかったらきっと凍死したはずです。

翌日の火曜日、母の職場の人が我々を派出所まで連れて行き、我々の身体の自由を奪い——話すことも、座ることも、動くことも、見ることも許しませんでした。大体二時間ぐらいすると“幹部”らがまた来て、今度は私を学校に送ると言い出しました。私は連れて行かれ、母から離されました。その“幹部”らは私を校長室に連れて行き校長と談話させました。先生らがやって来て私に圧力を掛けました。結局、邪は正を抑えられず、私は毅然として修煉を放棄しない事を告げると、彼らはすごすごと立ち去りました。

2001年7月,私は同年齢(11歳)の幼い弟子と一緒に北京天安門広場へ行って、“真・善・忍”と書いた横断幕を高く挙げ、人々に大法の素晴らしさを示しました。すると公安に足で蹴り倒され、髪の毛を引っ張られるなどの非人間的な強暴で残忍な手段を加えられました。

中国の少数の権力者が言っている“民を根本に”は、我々のような手に何も持たない小学生にまでこれほど残虐強暴であり、少しの人間性もないものなのでしょうか。