日本明慧


難病の肝臓病を患い絶望したが法を学び煉功し健康となる

2003年4月3日 文/大陸の学習者

【明慧ネット】修煉する前の私は、内向的で、怒りっぽく感情的人間だった。その上、多くの病気に悩ませられていた。萎縮性胃炎、胃下垂、不眠症等…最も重い病はB型肝炎でかなり悪化していた。肝臓病は家系であり、母、上の姉、二人の兄、弟は皆肝臓病で亡くなっていた。従って、自分の病気が治ることに希望を持ってはいなかった。いろいろな治療を試み、多くの治療費を費やしたが、好転せず病状は日増しに悪くなった。私は絶望し、死を待つしかなかった。家族に心配かけないために、昼間は無理を押して仕事をし、夜になると一人隠れては涙を流した。神の手による診療が、救ってくれるものかと思い、生きることを求め、寺に入り、敬虔な気持ちで、佛を拝み線香を立てたりし、多くの経典に関する本も買ったが、病気が快復することはなかった。

96年4月に、親戚の家に行く機会があり、親類は私の体がとても弱っているのを見て、李洪志先生の講法ビデオを見せてくれた。私は見れば見るほど引き込まれ、それは長年に渡って探していた真理であるような気がした。見終えると私の世界観はすっかり変わった。

師父の講法ビデオを見た翌日に、又一人の友達が一冊の《転法輪》を送ってくれた。私は貪るように一気に読んでいた。師父は私が知りたいことを全部話してくださったという気がした。人間はどうして人間になったのか、人間は何のために生きているのか、人間はどうして病気になるのかということが分かった。師父は《転法輪》の中に“業力の転化”についてこう語ってくださった:“人間の持っている業力は決して一世一代で積み重なったものではありません。修煉界では、元神は不滅だと考えています。もし元神が不滅なものならば、その人にはその人の前世での社会活動があるかも知れません。そして、その人は前世の社会生活の中で、誰かに借りがあったかも知れません。あるいは誰かをいじめたことがあるかも知れません。あるいはその他の悪いこと、例えば殺生などをしていたかも知れません。とすれば、それらによって、業力を造ってしまうことがあります。これらの黒い物質は、他の空間において次から次へと蓄積され、いつまでも身に付いて存続していくものです。白い物質の場合もまったく同じで、しかも由来はこれ一つに限りません。その他に、もう一つの情況があります。つまり、家族の間や先祖からも蓄積されてくることがあるということです”私の祖母は肝硬変で亡くなったのだ。それから私の家に渡ってきた。二番目の兄は重病になった頃、占ってもらうと、兄は以前に人命の債を背負ったので、向こうは何も望まないが、兄の命だけ要ると言われた。現在、全てが分かるようになった。

96年5月6日、私は煉功場に行き煉功し始めた。その時から本当に修煉の道に入った。毎日法を学び、煉功をしたので、私はすっかり変わった。体は丈夫になり、元気いっぱいとなり、いくら働いても疲れなかった。師父は私の体を浄化してくださった。煉功をはじめてから現在まで既に7年経ったが、薬は一錠も飲んでいなかった。本当に無病となり、軽やかになってきたことが感じられた。体重も45kgから60kgまでに増えた。体の変化だけではなく、思想境地においても絶えず昇華していくことができた。外出しても、家にいても、真・善・忍という法理を自分に要求した。皆は変わったと言ってくれた。大法は、私に2回目の命をくださり、改めて幸せを与えてくださり、家族全員を救ってくださった。 

しかし、99年7月20日後、江沢民政権は大法を弾圧しはじめた。煉功を許さず、至る所で学習者が逮捕され迫害された。私は国の公民であり、陳情の正当な権利があるので、3度北京へ請願に行った。しかし、3度とも不法に拘禁され、残虐な扱いを受けた。 

法輪大法を修煉することで、思想境地は昇華され健康となった。これは国に対しても国民に対しても、受益させる良いことではないだろうか。私たちは良心を持って、師父のため大法のために、公正なる話をしてはいけないのだろうか。 

江沢民政権は、依然として不法に学習者を逮捕し迫害しているが、悪には悪の報いがあるのは天理であり、誰でも自分の犯した罪の責任を負わなければならない。全ての不法に拘禁した学習者を釈放しなければならず、すぐに迫害を止めなければならない。