日本明慧


女子高校生が信仰を固く持ち続けるために迫害されている事例

2003年3月25日

【明慧ネット】私は1997年12月から、法輪大法を修煉し始めました。2000年2月、私は母(母は私の唯一の肉親です)と一緒に北京へ大法のために陳情に行きました。そして、私たちは不法に地元政府機関の駐北京オフィスに拘留されました。その時は、ちょうど冬だったので、非常に寒かったのです。私たちが拘留されたところは、臨時に組み立てられたような壁がとても薄い部屋でした。その部屋にはトイレがなく、ベッドや布団もなかったのです。そこで食べたのは、そこの職員が食べ残したご飯でしたが、それなのに私たちは一人毎日25元の食費代を払わなければなりませんでした。またトイレに行くときも、報告しなければいけませんでした。しかし、時には報告しても、その後1時間、2時間が経ってもトイレに行かせてくれませんでした。仕方なく、部屋にある花鉢にオシッコをするしかなかったのです。ですから、室内は非常にくさかったです。それに、夜私たちは服を着たままで椅子或いは床の上で寝ます。冬だから、夜寒さでよく目が覚めました。その時、私はまだ14歳でした。

そこで8日間拘留された後、私と母は四川省成都公安局の人に地元へ送られました。それから、母は何回も不法に拘留されたことがありました。毎回、母は15日間以上も拘留されたので、私はいつも一人で家にいました。母の勤め先は全く母のことを聞こうともしなかったです。

2000年4月、私たち二人は再び北京へ行きました。そのため、母は41日間不法拘禁されて、その間私はまた一人で家に残されました。

2001年の旧正月の前日に、いつも私と母を尾行している人が無防備のとき、私たちは外へ正月に使う品物を買いに行きました。しかし、それだけで、母は再び不法に十五日間も拘留されたのです。私は一人で、一生忘れない正月を過ごしました。この正月に、私は他の子のように家族と団欒して、一緒に食事すると言うことができなくて、ただ一人でひたすらに母が早く帰ってくるように強く願っていたのです。

15歳(2001年7月)、中学校を卒業するときに、幼稚園の先生になりたかった私はもともとそのような専門学校に入るつもりでした。でも、私は法輪功を修煉しているからという理由で、そのような専門学校には一切入ることができないといわれました。仕方なく、私は普通の高校に入ったのです。高校に入ってまもなく、学校の先生らは私が法輪功を習っていると言うことを知って、私の修煉を止めさせ、法輪功のことを人に言わないように、すぐいろいろな手で私に話をしてきて、洗脳しようとしました。しかも彼らは、もし私が彼らの言うことを聞かなければ、私の学籍を取り消すと脅かしました。それから、宿題や試験の中の質問に法輪功を中傷する問題があったから、私はその真相を伝えようとしたら、学校側が再び圧力をかけてきて、しかも母にも圧力をかけたのです。今まで私の家の周りには常に監視している人がいます。そのため、私たちは精神的に大きな傷ができたのです。