日本明慧


15歳の大法学習者が江沢民氏を告訴する

2003年4月7日

【明慧ネット】私は15歳の男子で、河南省の出身です。家族全員が大法を修煉しており、全員が大法による恩恵に授かっています。1999年7月20日、江沢民主席は、法輪大法及び学習者を迫害する指令を下しました。大陸の大法学習者は、皆ある程度の迫害を受けました。千万人もの迫害される学習者の中に、私たち家族も含まれます。私たち家族が被った被害は、迫害事実の証拠の一つであると思います。私は家族が受けた迫害の事実を世の中の人々に知らせ、“法輪功迫害を追跡する国際組織”に提出し、自分や家族及び親族が受けた迫害について、江沢民氏を告訴します。

私は小学校3年生の8歳の時に、父親の影響で大法に出会いました。当時はまだ幼く、学校の勉強もあるので、法を学ぶことや煉功はしていませんでした。2001年から、法を学ぶことに集中するようになり、大法の学習者となることを決めました。2001年7月頃、世の人に真実を伝え、法を正すことへの道に踏み出しました。他の学習者に真相資料を渡す際に、公安関係者に見つけられてしまい、自宅まで追いかけられました。しかし、師父の見守りでしょう、安全に自宅を離れることが出来ました。

それからは家に帰れず、落ち着く場所も無く、流転する羽目になりました。当時私は13歳でした。祖母が不法拘留された兄を釈放してもらうために、県の留置所を尋ねると、警官は“下の子を連れてくれば上の子は返してやる”と言い放ちました。世界の中の大国であるのに、法律は全く存在しません。大法学習者に対しては、法律なんてないのです。長期に渡る監禁、巨額の罰金、酷刑による虐待を公然と行っています。

江沢民氏が法輪功の迫害を始めた後に、父は2度北京へ陳情に出かけました。(“陳情”は、中国の憲法において、国民の合法的な権利として定められています)1度目の上京後8ヶ月間不法拘留されました。そして、2度目の上京でも不法拘留されましたが、父は絶食を持って抗議し、釈放されました。その後、父は真実を伝える中で数回連行され、最後に受けたのは、不法な強制労働の罰でした。父は合計で6,7回連行されました。

私の母は農家の出身です。旧正月に近い2000年旧暦12月のある日、鄲城県呉台鎮派出所の警官が数人自宅に乱入し、聞きたいことがあると母親を派出所へ連れ出しました。しかし、実際の目当ては金でした。母は協力せず、お金を出さなかったために、大晦日までの数日間不法に監禁されました。

一番上の兄も家を離れ、落ち着く場所も無く、流浪する羽目になっていました。地方で真実を伝えている時に通報され、1年間もの間不法に拘留されました。

二番目の兄は、父が連行されようとした時、警官を阻止しようとしたことで、殴打されました。警官らは何度も家に来て嫌がらせをしたり、家宅捜査をしたり、家族を強引に連行したりしましたが、法律に則って行われたことは、一つもありませんでした。玄関を閉じていても、塀を乗り越え強引に進入していました。

祖母は、父と兄が何度も不法監禁されたこと、少年の私までもが、家を離れ落ち着く場所が無くなったこと、私が祖母に会いにも行けないことで、更に心配が募り、悲しみに暮れ、緑内障だった目が更に悪くなり、とうとう失明しました。年老いた祖母は、心身ともに深く傷つけられました。

叔母は県庁所在地に在住しています。叔母は私たちと一緒に住んでいないのに、江沢民氏の“連座”政策の巻き添えとなり、静かに過ごすことが出来ませんでした。父が連行、不法監禁された時に、家の財産(約2万元)は、理由をつけられては没収されてしまいました。その際、警察は叔母まで強請りました。叔母は真実が分からず、親戚の縁を切ることまで言い出しました。他の親戚も程度は異なりますが同様なことが起きました。家族の心は更に傷つけられました。

法輪大法を修煉してから、平和で幸せであった家庭が、江沢民政権に迫害され、崩壊してしまいました。両親の愛情を失ったのみならず、学校へ行くことさえも奪われました。江沢民氏が“中国の人権最高の時代である”と公言している中で、15歳の少年が、警察に指名手配をされています。流浪の生活をはじめて、間もなく2年が経とうとしています。ほんとうに、中国には、法律も人権もないのです!

上述は、私たち一家が迫害された事実です。これにより首謀者である江沢民氏を告訴します。“法輪功迫害を追跡する国際組織”に調査及物証の取得を依頼します。邪悪なる首謀者を法律によって裁くべきであります。

最後に私の願いですが“大法に潔白を!師父に潔白を!迫害された大法学習者に公正を!”