日本明慧


帰り路で

台湾学習者筆

【明慧ネット】私は若い頃から、特に人間関係でとても感傷的であった。そのせいで修煉においては、これに関する難が多かった。法の勉強を始めた一つの大きな理由は、感傷であった。私のボーイフレンドが大法の勉強を始めてまもなく、これは彼が生涯探し求めていたもので、修煉を始めたく、最後まで続けると言った。彼は又言った: 僕は修煉を選んだ、と。これは確かに私達の人生を大きく変えることだった。君はまだ若い、まだ選択出来る。良いと思うようにしなさい! 彼が意味したことは、私が彼と共に修煉するか、それとも他の結婚相手を見つけるかするべきだ、ということだった。その時は、彼が法をよく理解していなかったせいで、こいう事を言ったのだとは知らなかったので、私はとても感情を害した。しかし同時に私は一つの事について考え始めた。固い決心というものを私は知らなかったが、彼がこの大法にあまりに固執しているのを見て、私は非常に驚いた。そのような短期間で人をそれ程変えることが出来るものとは、いったい何なのだろう? 他方私は彼との関係を諦めることが出来なかった。彼は大法についてあまりにも断固としているので、反対するのは効果がないだろうと思った。だから代りに私はそれが何なのか理解しようとした。驚いたことに、観念を変えたことが結婚する結果となったのみか、私が修煉の路を歩む助けとなった。

私は最初の年、転法輪を数十回読んだ。しかし読む度に新しいことを発見することが出来、以前一度も読んだことが無いように感じた。その時は、自分に何が起きているのか知らなかった。どうして他の人達は体験や見解を語れるのに、私だけは一言も話せないのだろうか? グループのアシスタントが私に経験を話すよう言った時も、私は何も言えず、自分の名前を言い、自己紹介するしか出来なかった。これは私の悟性の悪さと、知性の低さによるものに違いないと考えた。だから私は他の人達に追い付く為に、より多くの時間を法の勉強に費やすことにした。この期間の法の勉強は私の後程の真相を伝える仕事の、しっかりした基礎となった。

法の勉強を続け、明慧ネットの大陸で学習者達が残忍に拷問を受けている記事を読み続け、わたしの心は重くなって行った。どうすればこの迫害を止めることが出来るのか分らなかった。特に初めてHeilongjiang地方のZhou Zhicanについて読んだ時は強いショックを受けた。彼が経験した拷問について読んだ時、私の体全体がふるえるのを押さえられなかった。涙がドット流れ出た。何故これら学習者達を殺そうとする者がいるのだろうか? 私は大変胸を衝かれた。彼らの様な善良な人々はこのように扱われるべきでない! 私は自分が修煉している真善忍が間違っていないことを知っていた。その時は、法を正すことにおいて師父を助けるという概念が、私には明らかでなかった。そのような良い法は虐待されるべきでないと感じただけだ。それで私は周囲の人達に大法を紹介し、私が知っている真相を伝え始めた。

その後、私は誤った考えを植え付けられた人々に真相を伝えに、世界を旅した。真相を伝える必要がある処なら、何処へでも私は行った。しかし暫くの後、未だに残酷な拷問が続いているので、そういったことが、中国の学習者達を本当には助けることが出来ないと感じた。これらの学習者達は私の家族のように感じられた。会ったことが無くても、私達は同じ大法の修煉をしているのだ。これは最高に強い縁であった。彼らが未だに拷問に耐えているのを見るのは、私の心を痛めた。それを止めたかったが、方法が見つからなかった。ある日私は法の勉強をし、師父の経文「正念の作用」を読んだ。師父は言った。「大法及び大法弟子に対する迫害を軽減する為に、正念を発するよう弟子に教え、法を正すことに邪悪が故意に加えた破壊を一掃し、これによって大法弟子が迫害の中で耐えるべきでないものを減らし、同時に衆生を救い済度し、大法弟子の世界を圓満させています。」 私は突然何かを理解した。師父はもう既に何をするべきか教えたのだ。私が悟らなかっただけであった! 私は毎時間正念を発するよう、最善の努力を始めた。これはこの特別な時期に大法弟子に与えられた有効な方法であった。私は大法弟子なのだから、そのような能力があると信じた! 仕事が終わると私は法の勉強をし、煉功し、正念を発し、大法の仕事をするよう頑張った。

法を正すことが進むにつれて大法の仕事は益々増え、真相を伝えるべき筋がより多くなる。ある日私は夫の後ろに立って、彼がBBSを使って返事を書いているのを見ていた。彼が直接中国人に真相を伝えることが出来るのを、とても羨ましく思った。その頃私はコンピューターのスイッチを入れることさえ知らなかったので、そのようなアプローチを使うことは想像も出来なかった。この瞬間彼は突然振り向いて言った: 君もこれを出来るよ。それで私は自分に言った: じゃぁ、試してみよう! この様にして、私はインターネットで真相を伝え始めた。

第一歩はいつも難しかった。多くの恐れが表面化した: 私のタイプのしかたは遅すぎ、真相を伝えるには、私の法の認識が浅過ぎる、等々。実際は私自身の観念が私の足を引っ張っていたのだ。大陸の大法弟子は非常な圧力の下で、より多くの衆生を救おうと最善を尽し続けている。私はこの様な気楽な環境に居て、良く行わないことに言い訳は無い。

私が記事を載せ始めた時、多くの人が悪口を言った。時に私は何と返事をすればよいのか分らなかった。他の学習者の返事を読むと、彼らは罵りの言葉に対し、慈悲と善良さを保つことが出来るのを私は見てとった。彼らは落ち着いて、筋道を立てて説得するのだった。一つ一つの文章が説得力のある、要点をつくものだった。「すばらしい!」と叫ばずにはいられなかった。これは又私がどのような処で理解が遅れているかを分からせた。関係する法理をはっきりと理解していない事が原因であることは、分かっていた。同時に私は世界中の大法弟子が揺るぎ無い一体であると感じた。落ち度があると、誰かがそこを満たしてくれた。

タイプをする速度が早くなってからは、私はオンラインでチャットし始めた。しかしチャットルームの雑言は、経験の無い私にとって試練となった。卑劣と雑言は嘘と共にチャットルームを満たした。その頃私はオンラインに入る度に恐れを感じた。ある日私は転法輪第九講を読んでいた。師父は言った、「複雑な環境は、わたしは逆に良いことだと思います。複雑であればあるほど、その中から高人が現れてくるのです。こういうとことから抜け出せるようでしたら、その人の修煉は最もしっかりしたものといえます。」私はすぐにこの意味を理解した。「その通りだ! これこそ私が今経験していることではないか?」 それ以来私は全ての挑戦を微笑みを浮かべて受けた。この路で私は一人ぼっちではないと分かっていたから。師父が常に私を見守っている。師父と大法があれば、何も恐れることは無い。私の修煉状態が又大きく影響する。純粋な心で真相を伝えることが出来た時、他は無条件に私の言うことを聞く。しかし私の修煉状態が良くない時は、私がどんなにうまく言おうと、私の言うことがどんなに道理に合っても、彼らは理解せず、私を罵る者までいた。キーボードまで私に反抗した。中国語をタイプしたいのに英語が現れた。時には何も出てこなかった。このような事が起きた時は、私は自分に法の中で向上するよう言い、向上する事によって出来るだけ早く、このような正しくない状態から抜け出るよう言うしかなかった。私の到らぬ修煉状態が衆生が救われる機会を邪魔するのを、絶対に許すことは出来ない。

ある日私はチャットルームで大学生に出逢った。彼の母親は大法弟子であったが、彼はそうではなかった。私達は多くは語らず、お互いの連絡先を残した。クリスマスの頃、私は彼にカードを送った。彼は手紙で返信して来た: 「あなたと同じ様に、私も又私達が出逢った縁がどんなものか、考えていました。私は最高に栄誉ある者だと思います。何故なら私は固い決心をもって大法修煉をする、邪悪に頭を下げることをしない母親を持つからです。しかし何と言っても、迫害を受けているのは私の母親です。彼女の息子として、私は自分のこれまでの人生で最も無力さを感じているところです。私は全く彼女を助けることが出来ないのです。先日あなたがチャットルームで真相を伝えるのに一生懸命になっているのを見て、私は大変有難く思いました。そしてそれ以上に、私達が出逢った縁に感謝しました。あなたの口調はまるで夢を見ているかのように、親しみのあるものでした。師父と大法に感謝するべきであると、分かっています。クリスマスの鐘が鳴る時、多くの人々が真実に目覚め、善良な心へと戻るよう望みます。法が人類社会を正す時、あなたに実際に会えることを望みます。」 この手紙を受取った時、たった一つの思いが私の心を横切った: 大陸の大法弟子はすばらしい! 彼らは実に師父の良い弟子である! 私は彼らのことを誇りに思う!

又別の時に、私はQQで誰かに出逢い、私が法輪功と言うなり、突然彼はひっぱたくようなことをした。彼は師父を罵り始め、それを聞いた時私は我慢出来ないと感じた。その瞬間私はうっかり心性の抑制を失いそうになった。しかし、私がよく行わなければ、この人の命が危うくなることが分かっていた。何度か言い合ってみて、がっかりした。どの角度から話してみても、彼はにべもなく受け付けなかった。ある時点で私は諦めようと思った。一人の人にそんなに多くの時間を費やす価値があるだろうか、と思った。ある時、私は彼に聞いた、Guan Guiminを知っていますか? 彼は知っていると答えた。彼の歌の一つをあなたに聞かせてあげましょう。この歌は「あなたのためにやって来る」という題です。私はその時とても落ち着いていて、同時に正念を発し続けた。歌が終わった時、私達は長い間沈黙していた。ついに彼は言った。「実は僕は法輪功に反対してはいないんだ。ただ他の人達のように、反対する為だけに反対するのが嫌だったんだ。」私は彼が変化し始めたことを知った。費やした全ての時間は価値があったのだ。

真相がすばやく広まるにつれ、更に多くの人が真相を知った。ある人は、「あなたのねばり強さに感心します。ご成功を祈ります。」と言った。又ある人は「私は気が短いのですが、あなたと話す度にとても穏やかな気分になります。きっと法輪功のせいだと思います。」と言った。又ある人は「もしもいつの日か彼らがあなたを殺害しに来たなら、どうぞ私のところへ来て下さい。私があなたを守ります。私は決して彼らに好意を持ったことはありません。」 

ある時私が、人の念がその人の将来を変えると言うと、彼らはすぐに私が法輪功学習者であることが分かった。真相は本当に人々の心に根付いているように見える。一度騙された生命が次々と目覚めるのを見る時、私は彼らの為に喜ぶ。同時に私は真相を伝え、衆生を救うことで、更に良く行わなければならないと気付いている。師父が「もし、普段自分の行動に気をつけなければ、皆さんの行いは常人の目にとどまってしまいます。常人は私達が法を勉強する時のように、深くあなたを調べようとしないので、あなたの行いを見るだけです。あなたの一言一行によって、その人が済度されなくなってしまい、大法に良くないイメージをもたらしてしまうかもしれません。」(2002年ボストン法会における説法)

過去一年のオンラインで真相を伝えることは、私自身の観念を打ち破る過程であったと感じる。言い換えれば、それは私自身を正す過程であった。まだ真相を知らない人が多くおり、多くの生命が救済されるのを待っている。私達の仕事はまだまだ大きい。今後自分が更に良く行えるよう希望する。

2003年4月9日