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長春大法弟子が法輪功への不当な弾圧に異議申し立てをした為虐待を受けた

2003年4月21日 文/長春市大法弟子

【明慧ネット4月21日】江沢民一団が法輪功を迫害した為、私は2000年2月北京に状況を説明しに出かけた。タクシーを降りた途端、私服警察に尋問され、警察の車に連行、身分証明書を奪われ、強制的に地方の駐北京事務所まで連行された。そこで、警察は私達を地面に座らせ、法輪功を学ぶのを許さないと言った。夜になって、手錠をかけられてパトカーで北京駅まで行き、列車に乗る前になって始めて身分証明書が返された。駐北京事務所は強制的に250元のお金を出させて切符を買わせた。列車では、5,6名の大法弟子に一つのベッドしかなく、明らかに余ったお金は、駐北京事務所の警察が横領した。駅に着いてからまた警察署に連行監禁、260元のお金を強要され、名目は“法輪功問題処理のための経費”といった。そして、拘留票に拇印を押させて15日間拘留し、本を探すという名目で、不法に家宅捜索をした。“煉功しない、法輪功のために異議申し立てをしない”という保証書を書かせようとした。私は認めなかったので、警察署で5日間の労役を課され、その後“敏感な日”になると、警察は私の家に来て日常生活を乱した。

2000年年末、私は天安門広場で“法輪大法はいい”と言ったら、二人の私服警察に口を塞がれてパトカーに押し込まれ、天安門警察署まで連行された。更に燕山警察局に送られ、迎風派出所で監禁され、鉄の籠に入れられた。警察は住所氏名を言わせようとし、目的は私を地方に送り返し、そこの刑務所に入れるためだったが、しかし、言わなかった。彼らは手錠をかけ、椅子に腕を押し付け、電気棒で脅かした。更に、警察は本の中にある先生の写真を破り、私がそれを阻止しようとすると、彼らは腕を掴かみ、髪を引っぱり鉄の籠に入れ、鉄帽を被せた。また彼らは鉄の椅子に座らせ、両足に鎖をつけ、痰を私の口につけ、鉄帽を叩いて脅かし、氏名を知ろうとした。さもなければ、私を砂漠に捨てると脅した。約2、3時間後ようやく鉄棒や鉄椅子や鉄の鎖をはずした。私達をコンクリートの地面に丸1日座らせた。燕山看守所に送り、また氏名を言わせサインさせようとした。サインしないと殴った。私達を監房に入れ、犯人に服やズボンのジッパー、ボタンをはずして身体検査をさせた。冬なのに、地面に寝かせ、強制的に写真を採り、拇印を押させ、命令に服従しなければ腕を捻った。その後、駐北京事務所の人が弁別に来て、私達を地方に連れて行き迫害した。私達はあまりの不法な虐待に、断食で釈放を求めた。その期間中、彼らは無理やりカテーテルでの灌食や注射で迫害し、8日目私が死亡するのを怖がって、ようやく釈放した。その前に強制的に私に拇印を押させた。

2001年4月15日夜、派出所の警察は家に来て状況をみるとの口実で、派出所まで誘い出し、一晩中監禁して、翌日警察局に連れて行った。私は彼らに真相を説明したが、彼らは聞かず、強制的に洗脳班に送った。その後不法に家宅捜索した。洗脳班では、保証書を書かせようとし、さもなければ刑務所送りと脅かし、彼らは煉功、学法を許さず、毎日出操やランニング、労働を課し、大法を汚すビデオ見させ、床に長時間座らせ、トイレに行くことまで制限した。警察はよく大法弟子を罵倒し、殴り、デマを作り、私達に保証書を書くように強要した。長時間の監禁で、私は全身皮膚病になり、痒くて夜眠れず、4ヶ月後、食事が出来なくなり、呼吸困難になった。警察は死亡を恐れて病院に送り、医師が心臓病と診断した。洗脳班は家族を呼び、責任を逃れるため家族にサインさせ、2日間入院して200元を払わせた。家に帰ってから、町や居民委員会の主任は保証書を書かせようと時々やって来た。家族が皮膚病を治す治療代を出せといったら、ようやく来なくなった。

これは99年7月20日から現在まで私が受けた迫害である。正常な生活を送るため、監禁や迫害から逃れるため、私は今現住所から離れている。