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酷刑を受け、万元をゆすられ、肉親を失った ---ある女大法弟子が迫害された経緯

2003/04/23

【明慧ネット4月23日】以下はある女大法弟子が迫害された経緯です。1996年10月、彼女は北京に住んでいる妹の家に行きました。翌日、ご飯の時、彼女は妹が座禅して煉功している姿を見て、妹に「私は字が読めないが、煉功できますか」と聞いた。妹は「大丈夫よ」。と言ったので、彼女はご飯を食べずに、動作を教えてもらいました。初めての座禅の時、彼女は多くの人が天に通じているはしごを登っていて、正面では上に登り、裏面では落ちているという光景を見ました。次の日、煉功場に行って、法を学びました。この日から、煉功場に行く途中、ずっと煉功の音楽が聞こえたので、最初、遅刻したと思って煉功場に着いたら、まだ時間になっていないことに気づきました。しかも、煉功のテープも流していませんでした。法を勉強するとき、赤、黄、緑、青などの字が見え、先生の法身も本から出て来るのが見えました。通常、家事をする時、壁、床などにはいろんな字が見えました。しかし読めません。

家に帰ってから、彼女は30人あまりの煉功場を設けました。当時は2冊の本しかなかったので、皆で順番に読みました。その後、北京でアルバイトをして、大法の本、先生の写真、先生の講法のテープ、ビデオテープ、煉功のテープなどを揃えました。1999年7月20日まで、18の村で人々に法を伝えました。

1999年7月20日以後、江氏集団は大法に対して全面的に邪悪な鎮圧を実施しました。12月彼女は故郷の同修と一緒に北京へ大法を実証しに行きました。彼女は天安門で煉功して、悪警察に蹴られて倒れ、強引にパトカーに連行されました。彼女がパトカーの中で「法輪大法がよい」と叫んだので、悪警察に顔をひどく殴られ、顔が黒く腫れ上りました。前門派出所で、悪警察は彼女に手錠を掛け、それに絶えず棒で殴って、しかも、彼女は壁に向かってひざまずかされていた(この姿勢はもっとも苦しい)。彼らは大法及び先生の写真を破って、彼女の口に詰め込んで、しかも手錠がしっかり張られていたので、積み重ねた本を彼女の背中に積んだ。(彼女の両手はいまなお跡が残っている)彼女が極度に苦しんでいるとき、悪警察は彼女の腰をひどく蹴ったので、彼女は倒れて頭を壁でひどく打った。こうして6時間苦しめられた。地元に送られて、1か月ぐらい拘留された上に、家族に3000元あまりを強請られてから釈放された。

2000年1月、郷派出所の何人かの悪人は彼女の家に飛び込んで来て彼女を強引に連行した。その時、彼女は上着しか着ていませんでした。郷派出所の悪人は彼女に修煉の放棄を迫った。昼間は、彼女を蹴ったり殴ったりし、夜は上着しか着ていない彼女を庭に立たせ、両手を挙げさせたので、手と壁が貼りついたまま凍った。こうして10日間苦しめられました。悪人は先生の写真を地面に置いて、彼女に踏ませて、断ったら悪人にお湯を頭からかけられて、それにソールで彼女の頭を殴った。お金をゆすってから釈放された。

2000年5月、彼女は妹と再び天安門に行きました。駐京事務所で悪人らに袋叩きにされました。地元に送られるとき、二人を一緒にして手錠をかけて、車の後ろの荷物と一緒にして帰した。派出所に入ると、リーダーと十何人の悪人は彼女たちを倒して、蹴った。また濡れた椅子の足で彼女たちの太ももや腕などを殴って、全身が青く腫れるまで殴った。また手のひらを殴り、髪を引っ張って顔を殴った。それから彼女は妹を殴る光景を見せられた。その後、彼女を棒に跪いて、酒瓶をくわえさせられた。こうして4時間が経て、彼女はもう立たれなかった。部屋へ運ばれてから、また酔っ払った人がソールで彼女の顔を殴った。それから家族にお金をゆすってから釈放された。何回も強請られて、全部で1万元を強請られました。

彼女が非法に拘留されていた間、ご主人はずっと気が塞いでいた。ある日、屋根で仕事をしていて、足を踏み外して落ちて死んだ。当地の村委会は組織の名義で彼女を帰らせて葬式をすることを労働矯正所に要求した。しかし労働矯正所はそれを彼女に知らせななかったため、死体は20日間置かれ、腐ってから火葬にした。

こうした迫害により、ある幸せな家庭は離散し、肉親を失った。彼女は釈放された後で主人の死がわかった。彼女は実家に帰って、大法を修煉している弟と話をしているとき、突然20名あまりの警察が家に飛び込んで弟を不法に連行した。20日後、弟は迫害によって死んだ。悪人はこれを隠すため、強引に死体を火葬しようとした。そして悪警察らは彼女、母、二番目の弟、弟の嫁、妹を強引に引っ張って行き、叫ばせない、話させない、動けないようにした。これは江氏集団の大法弟子及び家族を迫害する本当の姿です。