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父が迫害により死亡した後、母が如何に旧勢力の按配を打ち破ったか

【明慧ネット】父が迫害により死亡した後、母は修煉において大変な困難を経験した。何度か彼女はもう少しで旧勢力に利用される隙を作るところだった。この期間、彼女が正念を保つのに失敗したなら、生命を失うところであった。しかしながら、彼女は師父と大法に対する強い信念と師父の慈悲のもとに、ついに旧勢力の按配を打ち破った。

父は自宅を煉功場とする、地区のアシスタントであった。1999年7月20日後父が北京へ請願に行った時、610組織や警察、教育委員会等が彼を無情に迫害した。給料が18ヶ月差し押えられたことは、彼の心身に大きなダメージを与えた。彼は逮捕されるのを避ける為に、家から遠く離れてみじめに生きることを強いられた。江政権が大法学習者を陥れる為に使った欺瞞の為に、警官が突然父を「調査」する為に家にやって来た。これは父に大きな影響を与えた。警官が去った後、父は病業の症状が現れ、学習者ではない私の兄と叔母が、父を病院へ連れて行き、その一時間後に彼はこの世を去った。父の急死は母にとって非常に大きな打撃となった。彼女は二年しか学校教育を受けていなかった。しかし彼女が煉功し、法の勉強を始めると、師父の著作や明慧ネットの記事は皆読めるのだった。父と母は本とビデオとカセットを買い、自宅に煉功場を開いた。二人は法輪大法に全精力を投入した。7月20日以後、母と同修は北京へ請願に行った。父と姉と私は皆表に出て大法真相を伝えた為、留置所に入れられた。母は私達を強く支持し、父が迫害されていた時は、母は邪悪を拒絶し、決して引き下がらなかった。父が亡くなった後、旧勢力は母に対して狂暴な迫害を始めた。元々反対していた兄は、不法な迫害を非難せず、逆に母に法輪功を止めさせようとした。彼は家族の苦しみを、両親が法輪功の修煉をしているせいにした。母は度々他の空間からの妨害に苦しんだ。父の死の3日後、母は突然倒れたが、妹と私が彼女を支えた。このことがあって数日後彼女は頭が痺れたように感じ始め、四肢に力が無く、うまく歩けず、胸苦しかった。その日は私の休暇の最後の日であって、職場から戻るよう催促が来ていた。(私は20日以上の休暇があるはずであったが、法輪大法の学習をしているために制限された。父が亡くなった時でさえ、休暇をもらえなかった。) 母は手伝い無しに一人で住んでいる。私が仕事に行くと彼女の生命は危険にさらされる。私は母を家に連れて帰りたかったが、彼女は動けないほど弱っていた。私は情況の重大さに気付き、彼女を危険な状態に置いて行くことは出来なかった。それで私は上司に電話したが、誰も電話に出なかった。何とかして開いているオフィスを見つけ、私が帰れない理由を告げた。その時は私は休暇をもらえるかどうか気にしていなかった。オフィスから折り返し電話があり、もう2日休暇をもらえることになった。姉と妹と私は母と共に法の勉強をし、正念を発した。このことは彼女が修煉の最も困難な時期を乗り越える助けとなった。

2日後私は母と姉を私の家に連れて帰った。私が仕事に行っている間、姉は母と共に論語と洪吟を吟唱したが、母の状態は良くならなかった。彼女は全く力が無く、頭は腫れて痺れ、胸苦しかった。彼女は正念を発し続け、何度も持堪えた。

ある日妹が明慧ネットの旧勢力に関する記事を読み、電話で母に告げた。母は力強い正念を発し、旧勢力の按配を否定し、最後まで法輪大法の修煉をすることを誓った。それ以来母の状態は快復し、安定した。何度か再発はしたが、それらはとても軽いものであった。師父の「2002フィラデルフィアにおける説法」が発表されてから、母は、旧勢力をより良く理解した。父の死後母は元々兄と同居するつもりでいた。兄は法輪大法に反対しており、母に自分と同居するなら大法修煉を止めるよう言った。母が拒否し、兄は彼女を追い出した。母は自分のアパートに戻るしかなかった。私は姉と妹と共に兄に真相を伝えに行ったが、兄は怒って大法に対して酷い言葉を浴びせただけだった。私達は本当に悲しく思った。

12月に入って、私は母に私と同居するよう言った。去る時母は兄と兄嫁と二人の子供達のことが心配で、法を洪めに行った。兄は大法を酷く中傷し、母は非常に悲しく思いながら兄の家を去った。

過去3年、祭日が来る度に私達は迫害された。この3年、一度も平和な新年を迎えたことはない。一昨年、父は逮捕されるのを避ける為に、大晦日に家を去るのを余儀なくされた。今年は父が迫害により死に追い遣られ、家族は悲しみ嘆いている。過去3年の私達の家族全体の苦しみが、迫害の良い実証となった。

数日前の夜遅く、母は突然ひどい頭痛に襲われ、胸苦しく、足の皮膚炎がひどくなった。朝になって正念を発した後、母は言った。「たった今私ははっきり聞こえたのだけど、今回は迫害ではなく試練で、二月にはこれよりももっと大きな試練があるらしい。その大きな試練の後、私は出世間法へと移るだろうと言われた。」 姉と妹と私には旧勢力の罠が見え、彼女に聞いた、「それって何の試練なの? 私達は世間法は遠い昔に抜け出たのよ。これはきっと旧勢力の按配よ。」これを聞いて母はすぐ坐り、邪悪を根絶する為に正念を送り始めた。途中で彼女は強い妨害に出逢ったが、その妨害を取除くことに固執し、旧勢力の按配を取除いた。彼女は迅速に快復した。

師父は大法弟子に言った、「新しい学習者以外は、1999年7月20日以後、師父は個人修煉用の試練は与えていません。それはあなた方全体の修煉は衆生を救い、真相を伝えることに変わったからです。」(2003年米国西海岸灯籠祭にての説法)

母は今は法理をよりはっきりと理解した。彼女の修煉の路を振り返って見ると、一歩一歩が大変困難なものであった。彼女は師父と法輪大法への固い信念にすがった。師父の御加護の下に、母は修煉の最も困難な時期を乗り越えた。