日本明慧


電話で真相を伝えるわずかな体験で貴重な収穫

2003年5月10日 文/カナダ大法弟子

【明慧ネット5月10日】一、電話をかける
電話で真相を伝えることは私にとってとても難しいことです。
毎回明慧ネットで同修の迫害された文章を読んでいると、とても悲しくてたまらなくなります。パソコンを見て涙をずっと流していたことも時にありました。直接悪人に電話をしたいのですが、電話をかけるのがとても怖くて、どうしょうもない気持ちになります。

その後、電話組があることを知り、しかも電話組の同修の体験がすごく素晴らしいことがわかりました。どうせ同修が悪人に電話をかけるのだから、私は自分がするべきことを一生懸命やればいいのではないかと思い、私は電話しませんでした。それからは明慧ネットを見るときは、いつも迫害の事例はとばして見ていました。

最近電話組は、毎日皆さんに詳しい迫害の事例と電話番号のあるメールを送って、電話で真相説明を呼びかけています。最初、私はそのメールを無視しましたが、毎日こんなメールが入ります。私は不安になりました。電話で真相を伝えることは本当に電話組のすることですか? 自分がするべきことは何ですか?

自分がするべきでないことは何ですか? 先生が評注された大法弟子の「正法の仕事は項目を分けない、大道は無形で全体である」の文章の中に「皆さんは自分が担当した部分以外のことは別の人のことだと思うと、人為的に全体を小さく区切って、有力な全体を人為的にばらばらにします。さらに違った意見があるとき、互いに力量を相殺するからです。」と言われました。ですから私は電話しようと思いました。

第一日目の晩、私は部屋の電話を何回も見ましたが、自分のまだ書き終わっていない文章を思い出して、ほっとして文章を書き始めました。

二日目の晩、私はまた部屋の電話を何回も見ましたが、ビデオのモンタージュがまた終わっていないことを思い出して、ほっとして、ビデオのモンタージュをやり始めました。

三日目の晩、いつも連絡している同修は私に「こうしましょう、一回目の電話は“法輪大法はよい”しか話しません。緊張したら電話を切ります。二回目の電話は“法輪大法はよい、真、善、忍、はよい”しか話しません。三回目の電話は“法輪大法は良い、弾圧は間違いです。”・・・」

三日目の晩、電話の傍に座って、真相を伝える資料を30分ほど調べて、今日はどうしても電話しょうと思っていました。結局は自分の叔母さんに電話しました。

第四日目の晩、電話の傍に座って、資料を30分ほど調べて、ふと自分で自分が悲しくなりました。これほど長く修煉して、電話をすることでさえこんなに怖くて、この怖さは一体どこから来たのでしょうか? 自分に「もし今日電話しないと、先生の弟子になる資格はない」と言い聞かせました。私は電話を取って、「法輪大法はよい」しか言えないと思っていましたが、結局は相手と10分ほど話すことが出来ました。「法輪功迫害追跡調査国際組織」が北アメリカで結成されたこと、「江xxは海外で起訴」のニュースも相手に伝えることが出来ました。電話が終わると、全身がぶるぶる震えていました。私が怖がるのは本当に一層の物質だと感じました。私が怖がるのはすべて執着心です。私はこれを突破しないと、ずっと妨げられます。しかし、私は本当に勇気を出して突破してみると、それは案外何でもありませんでした。私は電話をかけるわずかのことで大切なものを得ました。