日本明慧


父の病気から、私は急に目覚めた

2003年5月16日 文/海外大法弟子 

【明慧ネット5月16日】昨夜国内の両親に電話した時、一つ嬉しい情報を教えてくれた。CTスキャン検査を受けたばかりの父は肺部の病気が完全に消えた。病気の痕跡さえ残っていない。医者にもこれは奇跡だと言われた。5ヶ月前の検査結果(低分化型扁平上皮癌)を比べると、信じがたいことである。癌細胞は体内で完全に分解、吸収されたようである。このような素晴らしい結果は患者の良好な情緒に関係があると医者は分析している。父親は助けてくれた人々に感謝し、特に私の励ましと母親の世話のおかげだと言った。これは私に対する父親の甘えかもしれないが、確かに父親はこのように話した。

私は両親にこう言った:まず李先生と法輪功に感謝すべきである。両親もこれを賛同した。この生死の試練を通して、両親は口からはっきり言わなかったが、心の中に法輪功の素晴らしさがよく分かってきた。 

私は大法を実証する一例としてこの経験を書き出し、世人と今までの私のように精進していない学習者の励ましになることを願っている。 

昨年の12月に、父親は癌と診断されて、且つ、中末期癌であった。これは仕事を見つからず、経済危機に陥っている私に対して、もう一つ軽くない打撃だった。私は先ず考えたのはもう遅い! もっと早く両親に法輪功の真相を説明すれば、両親が法を得たかもしれない。少なくとも誹謗中傷の宣伝に毒害されなくてすむと思った。私は泣きながら、師父の詩を思い出した「なぜ足が遅いのでしょうか」『神への道は難しい』。今さら何を待っているのか。衆生が真相を分からないまま淘汰されることを待つのは良いのか。

自分が精進していないことを反省した。真相説明がしっかりできず、国外にいるのに恐怖心を捨てきれず、法輪功を勉強したことは、自分の“心理の負担”と“身の危険”の原因だと思うように思っていた。邪悪な迫害が海外にまで伸ばしたことを主観的に認め、迫害されることを恐れると同時に、安逸な生活に執着していたから、両親に法輪功の真相をあまり説明していなかった。逆に私のことを心配していた両親は大法に不敬の言葉を口にすることもあった。特に父親はよく言った。

しかし、父親の病気から、私は急に目覚めた。父が癌になるのは思いも寄らなかった。見た目は父親が家族の中で一番元気だった。私は父親を救う方法を考えた。修煉の素晴らしさや、修煉しか老、病、死の問題を根本的に解決できないことが私は良く分かっている。だが、無理やりに父親に修煉させることが出来ない。特に病気を治療するために修煉してはいけない。出来ることは父親により多くの法輪功の真相を知ってもらい、法を知ってもらう。そうしなければ、私に対しても、父親の対しても最大な遺憾になると思った。「世間のすべてのものが無常であり、あらゆるものが生まれる時に持ってこれないし、死ぬ時に持っていかれない。修煉だけが違う。佛法を一旦得たら、永遠に持つことができる。生まれる時に持ってこられるし死ぬ時に持っていかれる。それで、法を得ることが最も貴重なことである。人に何を差し上げても法を差し上げるより貴重なものはない」『米国中部法会での講法』

私はこのことを友人に話した。この友人は法を得たばかりの学習者であり、彼女は師父の話を引用して私に「一人は修煉すれば、家族全員が受益になる」と話した。これは私に大きな励ましを与えてくれた。

"偶然"の出来事で、一人の西洋人の学習者リサさんが間違って私にメールを送ってきた。彼女は両親と会ったこともあるし、私も人に話してみたいから、父親のことを彼女に話した。リサさんの返事に「大法はこんなに素晴らしいもので、我々の交流も偶然ではないと思う」メールの中に彼女は自分の母親のことを私に話した。彼女の母親が末期癌になった時、彼女は母親に法輪功の真相を説明したり、正念を発したりして、お母さんの生命が延長できた。彼女は天目の中で師父が違う空間で自分の両親に煉功の動作を教えていることが見えた。

1996年に私は法輪功と出会い、長い間精進していなかった。いつ法を得たか、はっきり言えず、煉功も殆どしてなかった。1999年からやっと私は法輪功の修煉者であることを意識し始めた。胃の病気が知らない内に無くなったし、何回か業を滅する反応もあった。だが、私はなかなか修煉の素晴らしさを認識できず、安逸と偏狭な自分から抜け出せなかった。

リサさんのメールを読んでから、私は泣き出した。師父の慈悲と法の偉大さに震撼された。リサさんは私に教えた。「今あなたは家族の中の一番重要な人だよ」 

その間に、私はほぼ毎日家に電話をかけた。まず二度と法輪功に不敬の話をしないように両親に注意した。両親はこれを受け入れて父親は今までのことを私に謝った。医者の意見に従って、父親に本当の病名を教えていなかった。父親は病気になった後、父親の部屋に特別に暖房の設備を取り付けた。電話の中で父親は私に言った。あなたが帰ったら、この暖房の部屋を譲ってあげるよ。父親の優しい心に私は感動した。私は自分が精進しないことに悔しい感じがした。自分はよく修煉できたら、始めてしっかり真相説明ができるし、人を救うことが出来るようになると思った。

父親はすでに67歳になり、とても誠実な善い人である。私は“真、善、忍”の法理から引き出した道理を両親に説明してみたり、『転法輪』の中の「皆ご存知のように本当の病気は七分が精神で3部が病気である」 と「精神と物質は同一性のものである」などのことを話したり、善い人を目指して努力することと、楽観的な気持ちを保つことがとても重要なことを父親に話した。

ある日、母親は電話の中で私に教えた。病院の食事の味が重すぎたことで、父親は食事を作った人に怒った。この話を聴いたら、私は母親を通して次の言葉を父親に伝えた。人に対し、善でもてなし、忍耐を学んだ方が良い。精神と物質は同一のもので、心が穏やかで、人にも、自分にも善でもてなしたら、体の細胞は全部おとなしくなり、嬉しくなって悪いことをしなくなる。

その後、母親は電話の中でこう話した。お父さんが言ったよ、娘はわしの脈を取った。わしはいらいらする時、娘の話を思い出したら、心がすぐ落ち着いてくる。もう人に怒らないぞ。

父親の体は日に良くなってきた。三回抗癌剤を投与した後、腫瘍の90%が消えた。4回目抗癌剤を投与した後にも、何の副反応も無かった。このような症例は百分の一もない。本当に不思議だと担当医は言った。私はその秘密が“真、善、忍”にあることを医者に教えてあげたい。

それから、真相を説明する時に、心配していたブラックリストに載せられるかどうか、自分の利益が損なえるかどうかを考えなくなった。SARSの流行を聞いた時、父親の病気を聞いた時と同じように心は重かった。師父の詩『淘』の中で「中原の到るところに新しい墓が増える」の句はすでにこれから起こる事を我々に教えた。「慈悲をもってどのぐらいの人を救い済度したのか」は我々の努力すべきことである。

他の学習者の啓発を受けて、私は中国留学生のメールアドレスのリストを使って明慧ネットの文章“健康と平和は我々とどれ程離れているか”と師父の経文『法正』を送った。同時にこれらが法輪功の文章と説明した。それにしても、文句を言う人は一人もいなかった。普通ならこのような送信は誤解と文句を招きやすいはずである。私は広告をやっているつもりではなく、人を勧誘するつもりも無い。本心から人のためだった。メールを送信した後、私と他の学習者と一緒に正念を発した。翌日の朝、仕事を探すために面接に行った。午後に採用された連絡を受けた。このことを両親に言ったら、父親は「良い人には良い報いがある」と答えてくれた。

父親は自分の病状を知らなかったから、病気の奇跡的な変化に母親ほど感銘深い感じはなかった。この文章を読んでから、法輪大法の素晴らしさに対して、父親もより深く感心されるだろう。 

もう一つ奇跡的なことがあった。私は暗い夜に高速道路で走っていた時、車輪が左車線の路肩からはみ出した後、車のコントロールが失い、反発力で右車線側の深い溝に転落した。だが、私も車も無傷だった。

私はずっと落ち着いた表情で、たくさんの友達は父親のこととこの危険な経験があったことを察知していなかった。その奇跡的な事故を信じられない友人にも、この文章を読んでくれた時に、もっと法輪功のことを知ってもらうように願っている。 

もし私は法輪大法を修煉しなかったら、どうなるか想像できないが、少なくとも今のように落ち着いて安らかな状態を保つことができないだろう。ずっと甘い環境の中に育てられた私のような人は、ただ一人で異国他郷で生活し、この突然に襲ってきた災難に冷静に対応できることは容易ではないだろう。

師父は私に優しすぎだと言った学習者も言った。確かに私は目覚めてから、修煉に精進し、真剣に真相を説明し始めた後、良いことが連発した。博士論文の審査を無事に終了し、仕事も見つかった。論文も受賞されて、父親も健康になった。すべては静かに現れた。執着しない時、これらのことが自然にできたように感じた。修煉は実に簡単で素晴らしいことである。

私は今でも真相を分かっていない世人に言いたい「法輪大法はすばらしい。法輪大法は正法である」また大法を迫害している人に言いたい「ブラックリストやあらゆる手段で私の修煉を止めることは出来ない。修煉は修煉であり、永遠に政治に参加しない。このような素晴らしい正法を迫害することは許されない。迫害に参加する人よ、早く目覚めよう」大法に対する僅かな善の一念で、天から平安と幸福が授けられる。

師父、ありがとうございます。私は必ず精進していきます。

以上、個人の体験で、不当のところがあればご指摘してください。