日本明慧


日本弟子が米沢市で洪法し真相を伝え、金子容子さんの救出活動展開


2003年5月15日 文/日本大法弟子 

【明慧ネット5月15日】山形県米沢市は古い歴史文化を持つ城下町です。5月3日、ここで年に一度の伝統的な祭りがあり、日本全国各地から多くの観光客がこの城下町へ、山車行列や、時代祭りの出し物などを見物しにやって来ます。仙台の十数人の学習者たちは朝早くから出発し、三時間近くかけて車で米沢に着き、地元の学習者と一緒に金子容子さん救出の新聞を配り、署名集め等の活動をしました。 
烈日の下で新聞を配る 

午前十時ごろ、山車と鎧、冑の古代衣装を身につけた行列の行進が始まりました。学習者たちは旅の疲れも忘れ、市の中心部と駅の周辺で観光客に新聞を配りました。五月ですが、その日は暑くて夏のようでした。学習者たちは二人一組みになり、照りつける太陽の下で忙しく人々に新聞を渡していました。正午になって、人々は戦装束を身につけた古武士の出し物を見るために次々と川の両岸に集まって来ました。学習者たちは許可された場所に掲示板を置き、横断幕を掲げ、新聞を配りました。多くの人々は真剣に読み、掲示板の金子容子さんの写真及びSOS緊急救援の内容に吸い寄せられ、容子さんの状況を関心をもって訊いていました。ある人は法輪功に対して興味を持ち、地元に学習者はいるかとか聞きました。また何人もの中国人にも会いました。彼らも新聞を受け取り、感謝の気持ちを表わしていました。学習者たちは各交差点、川の両岸で、ほとんど一人も逃さず新聞を配りました。午後の催しが終わってから、退場した役者たちが戻ってきた時、一人でも縁のある方かも知れず、逃さずに何人もの学習者が素早く彼らに新聞を渡しました。一日中忙しく頑張った結果、皆で6000部余りの新聞を配りました。少し疲れを感じましたが、皆の心は非常に安らいでうれしそうでした。三年前のことを振り返って見ると、日本人に新聞を配った時、多くの人々は受け取るのを断って、自分達とは関係が無いという態度でしたが、現在はずいぶん多くの人たちは快く、或いは自主的に受け取ってくれました。人間の分かっている面は、自分の得たものが、自分の命に希望を与えられる宝物だと分かってくるかもしれないのです。新聞をもらった人々が真剣に読んで、法輪功を理解してくれ、金子容子さんのような真善忍を修煉しているいい人々が、どうして迫害を受けているのかを知ってもらえるよう、皆が真に望んでいました。あらゆる善良な人々が済度されることを希望しています。 

尊敬する同修たち

今回は何人かの子供の弟子も一緒に来ていました。二人の十代の弟子は中国大陸から来たばかりで、中国にいた時江沢民集団の嘘に騙され、法輪大法に対して理解していませんでした。今は真相が分かってきて、すぐ修煉の道に入りました。今日は喜んでお母さんたちと一緒に新聞を配っていました。また赤ちゃんが来たのには警察官も吃驚していました、実は去年、彼女はお母さんのお腹の中に居て、既に米沢に来て新聞を配っていたのです。今年は九ヶ月余りで又お母さんと一緒に来ました。乳母車の中に座って、非常におとなしくしていました。日本に来たばかりの学習者は、挨拶程度の日本語を同修から教えてもらってから、積極的に、また自然に歩行者たちに挨拶をして新聞を配っていました。日本に親を探しに来たおばさんも日本語が話せなくても、ただニコニコしながら親切に新聞をあげ、殆どの人々は快く受け取っていました。一人の学習者はずっと休憩もせず、最後まで頑張り続けました。今年また一人の妊娠している学習者が皆と一緒に来ました。法を得てまだ一ヶ月間にもならず、つわりを我慢して、人込みの中で疲れも見せず新聞を配っている彼女の姿を見て、みんな感心しました。皆は川岸で新聞を配りましたが、二人の同修の姿がずっと見えないのにふっと気がつきました。道に迷ったのかなと思いましたが、午前中からずっと休まずに駅で新聞を配っていたのが分かりました。 

三度も警察署を訪れ、真相を伝えた 

今回の活動を準備するために地元の学習者は前もって警察署へ許可を申請しに行きました。一人の警察官は学習者と面接し、関係する質問を詳しく尋ねました。学習者は彼に法輪功はなにかを話しました。

金子容子さん及び中国大陸のあらゆる法輪功学習者は今迫害されていることを話しました。彼は非常に関心を示し、法輪功に対して大いに興味を持ち、どんな動作があるのかを学習者に聞きました。 

翌日、学習者は必要書類を準備してまた警察署に行きました。二人の新しい警察官が居ました。必要なことをチェックしてから、彼らも法輪功のこと及び金子容子さんの救援に関することを訊きました。学習者は簡略に紹介しましたが、その二人の警察官にはまだ多くの疑問がありそうな感じがしました。又詳しい真相を伝えるチャンスがあったらいいのにと思いながら別れました。 

三日目の午後、学習者は警察署に許可書を取りに行きました。応対した警察官は許可書を渡してくれた後、学習者を待たせ、しばらくしてから、昨日の二人の警察官が現れました。その内の一人の五十代の、部下に刑部と呼ばれていた警察官が、学習者に多くの質問をしました。日本で邪教とかいろんな滅茶苦茶なものがありますが、それらはいつも人々を勧誘しお金のために人を騙しては、社会や一般市民に危害を与えていましたので、警察はそういうことを心配していました。学習者は自分が以前重い病気にかかり、煉功してから健康になったという自らの経験を彼らに話し、法輪功は宗教ではなく、一つには体を健康にし、また一つには心を修煉して善に向かう良い気功であると説明しました。彼らは信用し安心したようでした。またどうして中国大陸で法輪功が弾圧されているのか、金子容子さんの状況を聞きました。学習者は詳しく説明しました。彼らは更に金子容子さん救援会のことや、学習者は容子さんの親戚ですかとか聞きました。学習者は彼らに「皆は容子さんと同じで、法輪功の修煉者です。容子さんは中国で今も迫害されており、彼女が安全に日本に帰ることが出来、家族と再び団欒出来るように我々は救援の呼びかけをすべきです。救援会の成立、新聞の印刷及び活動を行なうことは皆の自発的な行動で、いかなる強制的な行為もないのです」と言いました。警察官は又「法輪功は何時から迫害され始めたのですか」と聞きました。学習者は「それは99年7.20から、中国政府は弾圧し始めました。我々のあらゆる活動の目的は法輪功の真相を多くの人々に伝え、この迫害を止めさせるために世界中の人々に呼びかけているのです」と言いました。四十分ぐらい繰り返して説明した結果、我々に対する彼らの疑惑は解消されました。それに学習者の日本語が上手だと褒めてくれました。学習者は心の中で分かっているのです:自分が警察に真相を伝える気持ちがあれば、師父が必ず助けてくださるのです。日本語はいつもより流暢になり、しかも肝心な言葉もうまく出るようになりました。