日本明慧


自分から始める — 観光地と中国領事館で真相を伝えた体験

文・ニューヨーク老年大法弟子

【明慧ネット5月1日】去年の初め、グループでの勉強の後、ある同修達が観光名所へ言って法輪大法を一般に紹介することを提案した。その時私は、これは私に出来ることだ、と思った。

ニューヨークの観光名所中バッテリーパークだけが、公園であるが為に私達が煉功することを許可した。そこは又船着き場でもある。人々はそこから自由の女神へ行くフェリーに乗る。そこは全ての観光客がニューヨークへ来れば行く処である。私はニューヨークに長く居り多くの活動に参加したけれど、実際に責任を持って何かを初めから終わりまで成し遂げたことはなかった。ここに居る人達皆を高めることの出来る純正な修煉環境を創ることを、私がスタートしたいという願望が私にはあった。しかし何事かを持続させる為には、責任をもって自分を堅持させる条件を創る努力を惜しまない、同じ願望を持つ同修が何人か必要であった。

まもなく私は数人の同修と連絡をとることが出来た。私達はバッテリーパークに煉功場を設立した。目的は中国人観光客のグループに真相を説明することであった。週7日休み無く毎日。後には他の煉功場の同修も手伝いに来るようになり、チームは数人増えた。私達は毎朝8時半にスタートした。フェリーの切符売り場は9時に開いた。私達が選んだ煉功場は、ツアーグループが通ることが必須である路に沿っていた。私達は彼らを歓迎し、見送った。やって来た時は彼らは列を組んで並んでおり、顔は緊張しており、資料を受取る勇気はなかったが、私達の存在と煉功場面そのものが、彼らの脳裏にしっかりと焼き付けられた。戻って来た時は彼らはばらばらになっており、私達を通り越す時、中には資料を受取る人が居た。初めの頃、天気が良くないと私達は互いに電話し、行くかどうか話し合った。後にはやはり行くべきだと決心し、電話するのを止め、雨が降っていても行った。そこに着いたときまだ雨が降っていれば、資料を配り、雨が止んでから煉功した。煉功中に雨が降って来れば切符売り場の辺りで待ち、雨が止んでから出て行った。とにかく一日も無駄にしなかった。

バッテリーパークで私達はどうやって資料を手渡し、真相を伝えるかを学んだ。違った方法を模索し、お互いに話し合い評価して、資料を受取る側の受け入れ程度に応じる努力をし続けた。初めの頃、公園の管理所は私達が煉功することだけを許可し、資料を手渡したりテーブルを出したりすると、妨害しに来た。私達はいつも微笑みを浮かべ、ジェスチュアを使ったりの方法で話し、彼らに資料を与えた。次第に人々は私達を知るようになり、私達の存在を受け入れるようになった。私達は資料を手渡すだけでなく、小さいテーブルを置いて観光客が資料を自由に取れるようにした。近くでティーシャツを売る人が、時々大法を紹介するのを手伝ってくれた。一つ言っておくべき事は、録音機や資料を運んでくれたのは、同修の夫であった。彼は法輪功の学習者ではなかったが、毎朝妻と共に来た。私達が煉功を始めると、彼は資料を配り始めるのだった。私達のグループでは彼が唯一の男性であり、第一日目から最後まで、まる五ヶ月間共に過ごした。

9・11の後、バッテリーパークは閉鎖された。数日私達は家に居たが、何かしないといけないと、互いに電話し合った。その時点で一人の同修が「中国領事館へ行くことが出来る。」と言った。それで第二月曜までには、私達は領事館へ行った。バッテリーパークの習慣を維持し、雨でも行った。その頃領事館は朝10時オープンであった。私達は道路の反対側で朝8時50分に煉功を始めた。領事館が開くのを待って長い列に並んでいる人達は、静かに私達が煉功を終え、正念を発するのを眺めていた。この時点でドアが開くので、私達の半分はドアの処へ行って資料を配るのだった。他の半分は座禅をした。それから私達は交代した。ある時同修が、領事館が開く前に列に並ぶ人達にビデオを見せるべきだと、提案した。それで私達はDVDプレイヤーを買った。毎朝道路の片側でビデオを見せ、反対側で煉功した。両側から光が反射し、エネルギー場は実に良かった。領事館はバッテリーパークとは違った。一つには天候がひどかった。ニューヨーク中国領事館に行ったことのある人なら皆知っているが、そこの冬は周囲よりも数度寒かった。夏は数度周囲よりも暑く、風は一年中吹いている。時々風があまりに強く、そこまで歩いて行くのが難しい程で、座禅の為のマットを置くのが難しかった。私達の鞄や靴、手袋、帽子がしばしば吹き飛ばされた。最も寒い時は寒風が骨まで凍らせるのだった。夏は太陽が高く、ビルが光線を遮ることがなく、蔭や隠れ場は無かった。乾いたコンクリートの地面は、立って煉功しているには大丈夫であったが、座禅の為に坐っていると、一時間後には焼かれ、蒸されるようであった。雨のように汗が流れ、私達の顔はビーツのように赤かった。冬や夏の最も辛い時には、私達は静かに師父の詩を唱える。

偉大な大覚者は苦労を恐れない
断固とした意志を鍛え
生きるか死ぬかに執着せず
法を正す路を正々堂々と歩く

私達は一日ずつ進み続ける。計算せず、天気予報を聞かない。心中に一念だけを持つ: 最後まで絶対にやり通す。

第二の違いは出逢う人々から来る。ここでは邪悪の代表に対面する。更にここは邪悪要素が集中している場所である。私達はここに邪悪を窒息させる為に来る。だから邪悪の妨害を取除き、私達がここに滞在するのは重要である。初めの頃、私達はバッテリーパークでやっていたように、正午までそこに滞在した。しかしながら、午後になってからも少なからぬ人が来ることに気付き、彼らを除外しないことに決めた。それ以来二人が常に午後も滞在し、領事館が閉館するまで資料を配った。

新しい環境において、新しい問題が起きた。第一に捨てられた資料を如何に扱うかということである。資料の費用は全て学習者から来る。金持ちは一人も居ない。その資料が捨てられるのは実に惜しい。特に中国領事館の前では、大法資料は小本「回帰」、新聞「清流」、VCDが束にされるので、惜しい。各セットは90セントのコストがかかる。投げ捨てられる資料が心配で、心の奥底では資料を配る時気になった。人がやって来ると、私はその人の顔を見て大法に対する態度を判断した。私はそれは良くないと気付いた。人を救済することは大事であり、相手の要素は不安定であるかもしれず、私達の心が結果を変えることもある。資料を配る時、心は何も求めない境界になければならない。私達の背後には、法を正す強大な力がある。実際それはCDを郵送することと同様である。宛先に届かなくてがっかりすると、後はもっと難しくなる。ビデオ「2002年の立証」の中で、カナダの学習者が真相を伝える為に中国に電話をした。電話をかける度に、相手は切ってしまった。諦めずに彼は何度も試した。ついに相手は感動して、法輪大法は好いと覚えておきますよ、と言った。これは大法弟子の偉大さである。中国では何千万人もの学習者が倒れては起き上がり、決して諦めない。個人的な仕事の結果を気にせず、一体として前進し続けるなら、きっと成功するに違いない。

2003年米国西部法会での法の解説にて師父は言った、「人間の目には変化が無いように見えますが、神の目には一切が変わるのです。」それを変えるものは私達自身の中にあると私は信じる。衆生救済は緊急を要することである。もしも十の資料が配られた後一つだけが利用されたとしても、残りの九は無駄ではない。何故ならこれら九は利用価値のあった一つの為に存在したのだから。それらは一体としての存在である。そういう認識を持って、私達は資料を配る時もう心配せず、彼らが受取るよう最大の努力をした。人心を開かせ真相を知るようにする為に、四種類のCDを用意し、人々に全部受取るよう勧めた。その他に次の停留所で、捨てられたCDを拾う任務を同修に与えた。そうやって私達は殆んどの捨てられた資料を拾い、損失は最小限に留められた。

私達のグループはついにこの妨害に打ち勝って、益々好くなって行った。私達は何処へ行こうと資料を配り、可能な限り何時でも真相を伝えた。一日一日と固い氷を溶かして行った。来たばかりの頃は、人々は私達に対して敵愾心があった。領事館職員は私達に嫌がらせをした。工事現場の労働者は、疑い深げな敵意ある目で私達をじっと見た。領事館へ用事で来る人達でさえ、私達に対し好意的ではなかった。徐々に事は変わって行った。工事現場の労働者達は、私達に話しかけるようになり、大法資料が投げ捨てられると知らせてくれるようになった。二人の工事監督は私達に挨拶した。領事館職員でさえ、私達の存在を承認した。様々な態度であったが、殆んどは私達に悪い態度はもう取らず、敵意はついに消えて行った。誰であろうと、私達に対しどんな態度であろうと、私達はいつも微笑み、真相を伝える資料を一セット彼らに差し出した。

あるグループの人達は毎日やって来た。彼らの仕事は顧客の為にビザを申請することであった。ある日百回も資料を受取るのを拒んでいた人が、ついに受取った。最近一人の老人が又ついに資料を受取った。翌日この老人と一緒に来た若い女性が、資料を受取るのをためらっていた。この老人はそれを彼女の為に受取って、これは好いものですよ、目を通してみなさい、と言った。そこには多くの感動的な事があり、私達を励まし、続けさせる。

ある日若い男が私に、路の向こう側で話したいと言った。「党は本当にあなた方の事を恐れています。これは彼らにとって致命的です。私と私の家族はあなた方の事を非常に感心しています。」

実に私達は奇跡を作り出している。領事館からほんの2m程の処でビデオを見せることが出来ることに、皆驚く。私達に止めさせようとする領事館の試みは皆失敗した。ある日私達がビデオを見せていた時に、明らかに大陸から来たと分かる二十人以上のみなりの良い人達が、私達を睨みながら領事館から飛び出して来た。ビデオを見せていた同修は平静な面持ちでそのグループを見て、装置のすぐ横に立っているだけだった。長い列にいる人達はじっと眺めており、時計は一秒一秒を刻んでいた。突然グループの頭は踵を返し、残りの者も続いた。その同修は後で愉快そうにその話をした。「これは正念の威力です。私の心は大変平静でした。装置を保護し、人々にビデオを見続けさせたのは、この正念でした。」

最初の試みに失敗し、領事館は警察の力を借りた。ある日ビデオを見せていると、警官がやっ来た。同修の方に向き、ビデオを見せてはいけないと言った。同修は一言も言わずビデオ・プレイヤーを消した。後で彼女は法輪大法協会に電話し、西洋人同修に警察に話してくれるよう頼んだ。警察所長は「交通を妨害するのでなければ止めさせる理由はありません。その警官はそんなことをするべきではありませんでした。もしも又その様なことが起きたなら彼の名前と登録番号を書き取り、知らせて下さい。」

ある時には、列に居た一人の婦人がすごい剣幕でおどし始めた。あまりに大声で怒鳴るので、道路を隔てた向こう側(訳者注: 距離約50m)に居た私達にもはっきり聞こえた。それにもかかわらずビデオを見せていた同修は、何も反応を示さず、静かにそこに立っているだけだった。私は一人の同修に様子を見てくるよう、頼んだ。彼女はそこへ行き、又静かに立っていた。ビデオは止まらず放映されていた。煉功が終わって、私がビデオの担当となった。若い男性がビザ申請所から出てきて、ビデオを見せていた人は何処へ行ったのかと、聞いた。私は「真っ直ぐ行ってご覧なさい。彼女はそちらで子供の世話をしています。」と言った。後で同修達が、その男は彼女に一時間以上も話していたと言った。彼は彼女を慰めようと一生懸命だった。「彼らは実に悪い。あなた方は好い。この事は忘れなさい。あなたが傷つかなかった事を望む。」 後で彼女に何故おどしに反応しなかったのかと聞くと、彼女は、聴衆がビデオを見ているのを邪魔させたくなかった、自分は騙されない、と言った。実に偉い、と私は思った。

最近私は、皆良く行っているが、何かまだ改めることがあるだろうか、と考えていた。数日後ある同修が、領事館が又悪意の文献を陳列したことを告げた。改築されたビザ申請所は、四面のガラスのドアがあり、左に棚がある。オフィスが新しいビルに移ってからは、中傷する資料は置いていなかったが、今又それが現れ、棚に本が並べられ、大法を中傷していた。私達は皆気になった。「どうやってそれを止めさせようか。」 正念を発すること以外に何が出来ようか? 資料を配っている同修はドアの内側を注意し続けた。誰かがその本を手に取るのを見ると、手を振った。本を取るのを止める人もいれば、それを持ち帰る人もいた。本を取った人には、私達はそれがウソだらけであることを告げた。それは決してあなたの為にならないから、どうか読むのを止めて下さい。若い男性が一人すばやく本を取り上げて、急いで去った。同修が彼の処へ行って、真相を告げた。それで彼はその本をゴミ入れに投げ入れた。もう一人運転手が同じ本を取った。私達が説明した後、彼はそれを捨てることに決め、代わりに私達の資料を受取った。

毎日私達は同じ事をやり続けた。ある日の午後二時頃、同修が二人去ろうとしていた時、突然車が一台道路から歩道に乗り上げて、領事館の前の階段を通り越して、本棚に向かってガラスのドアを粉砕した。車は粉砕された本や棚、本を運ぶ手押し車を共に運搬した。新しく取りつけられた花崗岩の壁に大穴を開けた。世界日報新聞によると、ビル全体が揺れたが、運転手にはケガはなかった。彼はどうしてそんな事になったのか、よく分からない。目撃者達はこんな事が起り得ることにショックを受けた。消防車や救急車が来て、領事館は大騒ぎとなった。翌朝領事館職員達はまだショックから立ち直っていなかった。彼らは運転手が間違って、速度を出す方のベダルを踏んだのだと説明し、ビザ申請所は、何故そんなことが起きたのかと、不思議に思っていた。今日に到っても誰もその個処へ行きたがらない。ガードでさえ二つのドアの内側に立ち、まるでそれが不運をもたらすかの様に、棚があった処からは離れるようにしていた。

2002年の冬、ある同修達がCDを作り始めた。それで私達はそれらを領事館の前で配ることにした。たった数日中に私は良い反応に気付いた。このCDを受取った人達は確かに変わった。彼らはより親切になり、かれらの心は明らかにより平静であった。彼らは私達に挨拶するようになった。本当にすばらしいことであった。人々は法輪功は良いと言い出した。一枚のCDを作るのに少なくとも40セントかかったけれど、どんなに高くても私達はやることに決めた。瞬く間に一千ドルを使ってしまった。CDの作用は取り替えることが出来ない程良いのを見て、CDが真相を伝えるのに欠かすことが出来ない事に気付いた。それはCDが生きているからだと私は思った。考える必要も無い、ただ坐っているだけで、画面、解説、音楽 が全ての感覚に同時に作用し、覆い被さる。しかしながら私達が持っていたCDは数が限られており、誰にでもあげる分けには行かなかった。私達の殆んどは経済的に独立しておらず、子供達に頼る圧迫感があった。特に大陸から来た私達にとってはそうであった。後には同修達がスポンサーになってくれ、私達はCDのキャンペーンを続けた。それでもコストを減らす努力はした。ある日私の娘が台湾でCDを一枚20セントで作れることを告げた。私は聞いて廻り、実際はそれよりも安い事を知り嬉しかった。私達はまず二万枚のCDを作り、2002年ニューヨーク法会の時に配った。

ある日正午まで資料を配ってからレストランに入った。坐ってすぐ、誰かが私達をじっと見ているのに気付き、彼を招いた。彼はCDを手に持って言った。「私は大陸から来たばかりです。大陸ではそのようなものがあらゆる処にあります。タクシーに乗る度に運転手が法輪功の真相を見たいかと聞き、CDを数枚見せてくれます。これをもっともらえませんか? 中国へ持って帰りたいのです。」私は感動した。中国の危険な環境においてさえ、同修はよくやっていた。私達は米国に居て、同じ事をやらないどんな言い訳ができようか。ここでCDを作る費用は中国より高い分けではない。私達はもっと努力しなければならない。私はよく師父の詩「如来」を唱えた。

如意に真理を持ってきて
自由に四海を渡り歩く
法理を世間に遍く撒き散らし
衆生を満載して法船は出航する

「撒き散らす」という言葉がいつも私の脳裏にある。これは私達が達成すべき状態を非常によく述べている。私はよく思った、各学習者はどんな大法の仕事をしていようと、CDを数枚ポケットに入れておくべきであると。行く路でCDを撒きながら、真相の種を撒いていく。日々の積み重ねで世界はきっと変わる。

中国領事館の外で、DVDプレイヤーは常に働いている。このタイプのプレイヤーはに二つの便利がある。1。それ自身に充電装置があり、電源無しに外で三時間以上使用出来る。2。日中の光線の中でも画面がはっきり見える。ニューヨークの煉功場では街でビデオを放映するが、画面が日中ははっきりしない。香港の学習者達がよくやっていると聞いた。彼らは各観光名所で資料を配り、CDを見せる。私達も最善を尽すべきだと感じた。話し合った後、それは良いアイデアだと感じ、各煉功場がDVDプレイヤーを入手した。画面は小さいが、鮮やかで、資料を配る時、日中でも人を引き付ける。又台湾からの小型のオーディオプレイヤー(小蜜蜂)が大変便利であるのを見て、それもニューヨークに紹介した。DVDプレイヤーと小型のオーディオプレイヤーをもって、街で良い見せ物となった。

私は前進することを望んだ。ニューヨークは交通の中心地であり、有利なことが多かった。辺境地の学習者に供給することが出来た。皆が使う為にCDをもっと作ることが出来た。法を正すことは、一体として行うことである。皆が行ってこそ効果がある。私は法会でCDを提供し始めた。私は法輪功を十年学習した。当時師父が法を説くのを見て来た。法輪功修煉者が厳守すべき原則を知っている。これを始めた時、私は初めから正しい路を行くべきであることを知っていた。

これをすることに決めた時、ある境界に達しなければならないことを知っていた。丁度週7日バッテリーパークに行き、決して止めないと決めた時の様に、この一念が起きたとたん、何事もそれを揺るがすことは出来なかった。計画することや記録することも、目標を決めることもなかった。成るがままに任せた。それでいてこれを行っている時、私は全ての一思一念を法を基点にした。大法の仕事をしているからと言って、法を基点にしているとは限らない。思考方式、判断、大事な時の精神状態は、全て長年の修煉から造り出される。

一度何日もの間毎日、CDが不出来であると言う声をよく聞いた。その頃、私達は10万枚を作ろうと急いでいた。そんな事があろうか? かなりの資金をかけており、一枚一枚が誰かにとって機縁となる。あってはならない。私は夜中に電話して停止してマスターCDをやり直すように頼んだ。時は過ぎて行ったが、マスターはまだ出来なかった。ここは工場から遥かに離れている。もう数日遅れると次の法会に間に合わなくなる。私は気がきじゃなく、少からぬテレホンカードを使ってしまった。ある日私は床に坐って想った。「結果に執着しているのかしら? 注意しなければいけない。」より深く考えて見て、その問題ではないと感じた。それから私は自分に、冷静になって心配を放下するよう言った。急に私は想った、「妨害されているのかしら?」 私は問題を脇に置いて、それを外部から見るようにした。法会を逃すと多くの機会を逃すことになる。同修が集まって、CDを配ったり郵送したりする想いを昂揚させるのは大切なことだ。間に合わせなければならない。私がCDに関して詳細にこだわり過ぎた為に、多くの人が機縁を逃すかもしれない。私は飛び上がって、マスプロダクションを始めることに決めた。悪い結果になれば、私が責任を持つ。法会に間に合わせ、12万枚のCDが配られた。後で一人の同修が、機械に問題があったことを確認したと言った。それでも私はCDの質をより良くするよう、努力するべきであると感じた。私達のCDはチラシではなく、商品でもない。決まった聴衆を持たない。異なった家族、異なった人々、コンピューターをよく知らない人、コンピューターや様々なVCD、DVDプレイヤーを持っていない人に適しなければならない。それ以来マスターCDが作られると、私達は異なったコンピューターや、CDと相性の悪い東芝のDVDプレイヤー、その他のVCDプレイヤーを使ってテストした。ここに私は裏で働く同修達に敬意を表したい。彼らはあらゆる智慧と能力をもって、最善を尽した。同修の努力以外に、工場も又、質を向上させる方法を提案したり、技術的 な指導をし続けてくれた。今はVCDのカバーのデザインやプログラムの接続や、鮮明度が益々プロフェッショナルになって来ている。そしてコンピューターでも様々なタイプのプレイヤーでも自動的に継続して見ることが出来る。

過去において、宗教は「無」について話して来たが、私は何のことなのか分からなかった。過去一年の間に、私は徐々にその本当の意味を悟った。崇高な抱負を持ち、何事にも執着がなければ、何処に居ようとドアは一枚一枚開かれて行く。

一度、カバーのデザインを手伝ってくれていた同修が沢山の写真をよこし、私に表題を考えるよう頼んだ。その頃は急いでカバーを改訂する必要が無かったが、彼女は真夜中に電話をかけて来て急ぐよう言った。表題を考えるのは簡単な事ではなかった。カバーの絵と合い、それでいて見る人に深い意味を考えさせる、新鮮な意味合いを持たなければならない。私は又あまり俗っぽくなく、誇張なく、出来るだけ法の奥深い意味を持たせたかった。この様な情況にある時、私は自分を落ち着かせ、雑念を取除く。絵を見つめて、体全体をリラックスさせ、自分の真正な感覚が出るようにする。時にピッタリな言葉を選ぶのに長い時間を要し、時には何日も良い言葉を想いつかなく、数日後煉功中に突然思いつき、急いで帰宅してそれを書き留める。

時は瞬く間に過ぎて行く。私が中国領事館の外で資料を配っていると、婦人が出て来た。私は「どうぞ法輪功の真相を理解して下さい。」と言った。彼女は困惑したようにそこに立っていた。彼女の服装は彼女が大陸から来たことを示していた。彼女は言った。「私は当惑しています。何も見たくないのです。あなた方はあなた方の理由があり、彼らには彼らの理由があります。私は知りたくありません。聞きたくもありません。何も見たくないのです。」そう言いながら彼女はまるで本当に恐れるように、後ろに下がった。彼女は誰の言うことも聞きたくないと言ったけれど、彼女はもう既に毒されてしまった。魔の宣伝がもう彼女にまで届いた。私は最近会った他の人々の事を想った。その殆んどが成年男子であった。彼らは党が悪いということを知っていた。江政権は無法 であること、自焚は目論まれたことを知っていた。何でも知っていたが、法輪功を認めなかった。法輪功とは何か知らなかった。そのことから私は、法輪功を正式に紹介するプログラムを作り、大法のすばらしさを見せる望みをもった。全ての生命は真善忍の成分を持つ。丁度私達が初めて法に出逢った時に心を動かされたように、法がそれを打ち破って現わすことが出来る。

迫害が始まって以来、洪法資料を片ずけてしまい、私達の全ての精力は迫害反対と、邪悪を暴露することに集中された。法輪功を紹介する時、私達は出来るだけ簡単に説明するようにして来た。今は人々を抑制する要素が減り、人々は考え、知ろうとしており、ここに隙が出来ている。洪法していた当時の紹介、気功雑誌の中の文章を探し出した。但し法輪功を真に紹介するには師父のオリジナルの言葉を使わなければならない。それから「法輪大法 ─人類返本帰真の路」の元の仕組みに従って現在の脚本を作成した。見る人が徐々に前進出来るようにする為に、始めに修煉の物語をベースにし、その後、当時の大陸と同じように皆が進んで法を得る、迫害に影響されない環境、即ち台湾を使った。脚本「再生」が出来上がり、これは違った角度から全面的に真相を説明する。

「再生」を作り初めてから、私は「放光明」(訳者注: 中国語テレビ番組)の忠実な視聴者となった。毎日そのウエブサイトを、何か新しい番組がないか一通り見て、以前見たことのない多くの番組を見つけた。真剣になって見ると、感動させられた。どの一つも皆、作者の自己の超越に対するもの、同修が自分で悟った法であった。私の心中に自然に敬意が起きた。「放光明」の同修達の、世界への貢献に感謝する。番組「未来について告げよう」を何度も見た。「深淵」という言葉が言い過ぎであれば、少なくともそれは大法が世界と人心に洪まる天象を分析している。人々が次の番組はまだかとしきりに聞く理由が分かる。

今日においては、学習者達が過去と未来をつなぐ役目を担い、これらの真実の人身が法に同化する過程を見せ、人間が神に変わる路を実践している。私はこれが師父が法を正す時期に成し遂げたい事の一つであることを、突然深く認識した。それは私達を救うだけでなく、全ての衆生に福を与える。私は又一つの望みがある。これらの番組が世間で見られるようにしたい。各番組のコピーの数の多少にかかわらず、私はそれらを世間で見られるようにし、世間に洪め、あるべき作用を起こさせる。私は番組をVCDへと組み合わせ始めた。以前作ったカバーがここでも使用された。過去には、郵送する為にカバーと内容は関係が無かった。今はカバーと内容は関係がある。もうこれ以上誤解を起こし、人が騙されたと感じるような事はない。

前進しなければならないと感じた。現在あるものを利用し、世界各地の学習者を手伝い、VCDをばら蒔くことを更に高いレベルにまで押すべきである。法を正すことは地球全体から見るべきである。これ以降私は各地に注意を払い始めた。誰かが外国から来る、又は外国へ行くことがあると、彼らに少し持って行くよう頼んだ。去年ロシア人学習者から手紙が来た。その手紙はあまり流暢でない中国語で書かれていた。彼の地域には中国人が多く、かれらにVCDを配りたいと真に望む。彼は、コピーを一枚送ってくれれば彼が複製を作るからと言った。結局ロシア法会の時に、台湾学習者が一万枚を持って行った。

毎日そういう事を繰り返しているうちに、真相を伝える資料が如何に重要かということに感じ入った。私はVCDとその他の資料を常に在庫しておくことに決めた。在庫を絶やさず、いつでも皆に供給できるようにした。以来一年が過ぎた。世界各地の学習者達は尽力し、すでに180万枚が作られた。これは全学習者共同の偉大な業績である。

少し前にボストンの学習者が、番組「立証」を郵送してくれるよう私に頼んだ。 私は重荷を感じて気乗りがしなかった。後で私は自分が間違っていると気付き、二つの番組「同行」と「立証」を郵送の為にニューヨークへ持って行った。資料を一ヶ所にまとめておくと、いろんな問題が解決する。 私が簡単な仕事をしておけば、コンピューターや英語の出来る同修が精力を省き、テレビやラジオ、政府やメディア関係により時間がとれてうまく行くだろう。

ある日私は輔導員とおしゃべりし、彼女の言葉が私に思案させた。彼女の煉功場の学習者達は老年の中国人で、彼らは地下室を借りた。彼らはコンピューターを置きたかったが、家主が許さなかった。彼女は言った。「どうしようかしら? 私は彼らにオンラインでおしゃべりすることを、教えようと想っていたんだけど、そうは行かなかった。今はCDを郵送するよう頼み、切手を供給するようにしてるの。そうじゃなければ、この学習者達は何が出来るというの?」彼女の意思が理解出来た。これらの学習者達の将来を想っているのだった。よく出来た輔導員だ。全ての輔導員が彼女のようであり、威徳を積み、自分の圓満成就へと向かいながら、法を正す時期に同修が衆生を救うことが出来るよう助けるなら、本当に偉大なことだ。

もう一人の同修が彼女の父親について語った。彼女の父親はかなりの年で、決して表に出て来ない。領事館へ行くのを怖がっている。彼の心性はまだそこまで到っていない。しかし彼は喜んでCDを郵送する。毎日彼は数ダースから百以上もの封筒を書く。だれでも向上したいという望みがある、という事に気付いた。彼のレベルにおいて、CDの郵送は出来ることであり、それは又彼の修煉への、そして法を正すことに貢献することへの望みを満たす。

私はもう一つの願望を持つ。各同修の為に資料の袋を用意し、皆に直接感じさせる。各CDと印刷された資料に対し、貴重な意見の提出が可能である。皆さんに覚えておいて戴きたい。どんな大法の仕事をしていようと、CDを送り、資料をくばり、休み時間に封筒を書き、資料を鞄に入れておくことを忘れないで戴きたい。いつも衆生を救うことを心に留め、本当に参与して戴きたい。量は問題ではなく、とにかく持続すれば、違った気分になる。

この偉大な時代を大事にしよう。自分で始め、あらゆる智慧と能力を使う。師父の私達を救うことにおける慈悲と苦難に値し、そして法を正す時期に生きるに値しよう。

2003年ニューヨーク交流会にて