日本明慧


大法弟子の史洪傑が山東省莱西刑務所で虐殺されたもっと多くの事実(写真)

史洪傑の若いときの写真

【明慧ネット6月12日】山東省莱西市武備鎮孫賈城村の大法弟子の史洪傑、男性、44歳、高校卒業。2002年に裏切り者が密告したため、莱西市の国安大隊の沈涛と院上鎮派出所の邪悪は仲間を連れて、史洪傑の家に浸入した。家宅捜査し家財を差し押さえ、大法の書籍と大法に関する全ての資料を没収した。史洪傑は派出所に送られ、手錠をはめられたまま鉄格の中で一夜を過ごした。その後莱西監獄に送られたが、ポケットの中のお金は邪悪なもの沈涛が探して奪った。

莱西監獄で、史洪傑は残虐な体刑で苦しめられ、体中傷だらけだった。2002年10月14日に史洪傑の父と弟さんは彼を見舞いに行った。邪悪ものは「しばらく待ってください」と言い残して行った。帰ってきて言う「この人はいない。あなた達は陳情事務所へ行きなさい!」父子は陳情事務所へ行って、この人がいないかと聞き、それからまた610事務所まで行ってこの人がいないかと尋ねた。家に帰った後でまた人に頼んで尋ねてもらうと、莱西監獄にいると聞いた。10月16日の晩に史洪傑は手錠をはめられ、2002年10月18日の朝、邪悪ものに死に至る迫害をされて、病院で死亡した。死体の検査報告によると、史洪傑の頭には打たれて鬱血があったことが書かれていた。さらに4本の肋骨が殴られて折れ、手の指と足の指がそれぞれ1本づつ折られていた。まさに全身上から下まで完膚なきまでに私刑されていた。死に至る原因:内臓出血、肝臓、胃の極度な萎縮。