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退職した女性労働者:文化大革命の悪夢が繰り返えされる〜警察は私に黒札を掛け、街中引き回し見せしめにした

【明慧ネット6月14日報道】私は退職した労働者です。法輪功に出会う前には、高血圧、胆嚢結石、ひどい神経衰弱に苦しめられ、精神的にも過度なストレスを背負っていました。長期にわたり薬を飲んでいましたが、全く効き目はありませんでした。97年6月29日に法輪功を始めてから、心身ともに健康になり、体は正常になりました。心から師父に感謝しています。師父の教えにより、人間的度量も広がり、真・善・忍を知ったことで、いかに良いことをし、良い人となり、高尚な人間になるということが分かるようになりました。

1999年7月20日から、大法が弾圧されはじめ、7月22日夜の7時頃、派出所長(後に、乳ガンを患う)は、私と他の法輪功学習者5人を、連行しました。そして、公安局の法輪功担当課長と警察は、不法に我が家の家財を没収し、ビデオや大法の本を持ち去りました。私は派出所の留置室に45時間拘禁されました。汚水の溜まったコンクリートの床の上に寝かされ、蒸し暑く空気も淀んでいました。家に戻ってからも、尾行監視され、電話は盗聴されました。その後、電話は切断され、外部との連絡ができなくなりました。また毎日行動を報告するよう要求されましたが、私は従いませんでした。悪環境と圧力の下でも、修煉をする決意には変わりありませんでした。

私は修煉者であり、大法から恩恵を受けています。大法が中傷され、師父も非難されるのを見て、また陳情する場所もない状況で、2000年3月と12月の2回、北京の天安門広場で真相を伝え、大法を証明しに行きました。12月21日に天安門広場で、大法を証明するとき、強引にパトカーに押し込まれ、密雲派出所に連行されました。地元の警察が北京に来て、私を連れて帰りました。派出所の留置室に1日中拘禁された後、拘留所に移され、そこで45日不法に拘禁されました(春節も拘留所の中で過ごしました)。2001年3月に県職員、公安局員と派出所長らは、私たち11名の大法学習者に手錠を掛け、街の中心公園まで連れて行き、さらし者にしました。いかに脅迫されても、大法を修煉する信念が揺らぐことはありませんでした。大法を破壊することは誰にも出来ません。

2001年4月、私と他の学習者は、県の武装部の洗脳クラスに入れられ、洗脳や強制労働などで、15日間拘束されました。

2001年9月10日、私達20数名は、ある学習者の家で交流会を行なったところ、警察に発見されてしまいました。翌日、警察は、またしても不法に我が家の家財を没収し、私は拘禁されました。パトカーに乗ることを拒むと、警官数人により、強制的に押し込まれ、派出所の留置室に入れられました。16日間入れられた留置室は、閉鎖されており、昼間でも真っ暗で、湿っぽく不快な臭いがした。冷たいコンクリートの床に寝るしかなく、顔を洗うことも、シャワーをすることもさせてくれなかった。9月27日、手錠を掛けられ、黒札を掛けられた上に、汽車に乗せられました。そして、街中を引き回しにさせられ、見せしめにされました。その後1年の強制労働を言い渡されました。女子労働教養所にいた時の健康診断の結果で、高血圧や冠状動脈心臓病などがあったため、県の留置場へと移送され、続けて16日間も拘禁されました。警察は家族に2,000元を支払うよう強要し、私を解放しました。1年後、私は公安局に行き、2,000元を返金させました。

この数年の大法修煉の道を振り返りますと、邪悪の干渉や破壊を受け、精神的にも肉体的にも苦しんでいたにもかかわらず、私は恨みも後悔も無く、大法修煉の道は正しく、世の正道であると確信しています。今後も続けて大法を着実に修煉し、法の広がりに努めよう思います。「大法の弟子として、邪悪な既成勢力が按配した全てを全面的に否定します」「大法は堅固で粉砕されることなし」。