日本明慧


法を暗記してからの変化について

文/中国大陸の学習者 

【明慧ネット5月15日】4月の初めから、《転法輪》を暗記しはじめて、1ヶ月あまりになりました。切っ掛けは、本を読む時に、あまり集中できなく、いつも他の事を考えてしまい、本を写すときも同じで、本当にどうしようもなかったのです。そのため、法を暗記しようと決心しました。

最初の時、暗記することは本当に難しいと感じました。「このような厚い本だから、いつになったら全部暗記できるのか、もう止めようか」とか、「法を正すことが、ここまで来ているので、もしそれが終わってしまっても、まだ暗記できていなかったら、どうしよう」とか、良くない考えがしばしば出てきました。それは一種の妨害であると気が付きました。前者は怠けたい、困難から逃れたい、また、自分が短時間の間に、しかもできれば明日朝起きた時に、すでに《転法輪》を暗記できているという、近道を探したいという心があったからです。後者は時間に対する執着があったからです。自分はすでに時間に対する執着を持っていないと思っていたのですが、実は違っていました。しかし、暗記を続けているうちに、まだ10数ページしか覚えていなかったのですが、前の考えは既に無くなっていました。法を正すことが終わるまでに、全部暗記できるかどうか、全部暗記できるまで、どのぐらいの時間が、かかるのという考えをしなくなりました。ただ本を暗記しています。毎日時間さえあれば、暗記をします。たくさん暗記するか、あるいは、少し暗記するかは別に気にしません。このような偉大な法ですから、その中の一言でも暗記できていれば、その一言を暗記できた部分は、全て法に同化されるのではないかと思います。

私の暗記するスピードは遅く、平均4,50分掛かって、やっと1ページを暗記できるぐらいです。ある時は、1時間掛かったこともあります。しかし、これは問題にしていません。自分が努力したのですから、それだけで十分と思います。はじめの時、自分には大きな変化があった、ということに気付かなかったのです。しかし、その後にあったことから、自分が気付かないうちに、向上してきたということが分ったのです。

ある日、外食をしに行きました。2、3歳の幼児がいる若い店主夫婦を見て「大変だな…」と思い、二人に真相を伝えようと思いました。以前、面と向かって真相を伝えようとする時、人に理解されないとか、何かを言われるかもしれないと考えてしまい、落ち着かなかったです。この妨害を取り除こうとしましたが、いつまで経っても取り除くことができませんでした。しかし、この日、店主夫婦に真相を伝え、しかも「法輪大法は良い、真・善・忍は良いと覚えておいてください」と言ったとき、少しの戸惑いもありませんでした。はじめて、周囲が穏やかな雰囲気に包まれていると感じました。そして、はじめて心から師父が、私の側にいると感じることができました。思わず、目に涙が浮かんできました。すると、その奥さんの方も涙ぐんで「ありがとうございます。本当にありがとうございます。今日、お客さんと出会えて、本当に幸せです」と言い続けていました。その時、彼女の子供も側にいたので、その子に向かって「法輪大法は良い、真・善・忍は良いと覚えてね」と言いました。すると、彼女は子供の手を引いて「早く、一緒に言ってごらん」と言いました。まるで、自分の子供が、私の話を聞く機会を逃すことのないよう、急かしている様に見えました。私が店を出ようとする時、彼女は大法の本を読みたいと言いました。翌日、早速本を手渡しました。すると、2,3日で《転法輪》を一度読み終え、五式の功法も習いました。その後、彼女は何度も「この法は本当に素晴らしいですね。学び続けなければなりませんね。どんなに難しくても続けていきます」と言いました。今、彼女は、毎日法を学び煉功をしています。しかし、当時の私は、まだ第一講しか暗記していませんでした。

また、個人の資料作成に関することもありました。3月に、真相を伝えるVCDを作製しました。はじめてVCDを作り、全て配布し、すべては順調でした。しかし、VCDを配り終えてから「もし、映像が見えなかったらどうしよう」という、強い疑念が浮かんできました。明慧ネットの掲載文では、VCD機でチェックすることを推奨していましたが、私は機械を持っていません。それ故、一枚目のVCDが出来上がった後、同僚にチェックしてもらいました。大きな問題はありませんでしたが、映像と音声が重なっていると言われました。そこで、GOLDWAVEで一度修正しましたが、その後はチェックしていませんでした。従って、映像がきちんと現れるかどうか分かりませんでした。この思いは本当に強く、とても落ち着きませんでした。これは妨害だと思い、自分に「大丈夫、きっと問題はない」と言い続けました。しかし、自分の正念は全く力不足であるとも感じました。正念を発しても、それを乗り越えることができませんでした。それから、2,3回作りましたが、やはりこの問題が気になりました。しかしながら、法を暗記しているうちに、その思いは、知らず内に無くなりました。5,6ページまで暗記できたとき、またVCDを作りはじめました。そのときには、自分の作ったVCDは、絶対に問題がないと確信しました。VCDをチェックする機械を持っていませんが、しかし、そのVCDを作る過程には、大法学習者の正念と正しい行いが含まれており、しかも全ての機械は、自分の収入で購入したものであり、資料のダウンロードやVCDの制作は、皆正念を発しながら行っていましたし、また資料を配る時も、ずっと正念を発しながら行ったのです。このVCDを妨害する要素は何一つも見あたりません。おそらく、大法も妨害を許すことがないと思います。それに「一つ一つのVCDには、それぞれ行き着く宿があり、衆生を済度するために、最大の威力を発揮することであろう」と、強く念じていました。師父の経文《妨害を排除せよ》における「法は全ての邪悪、虚言を破り、正念を固めることができるからなのです。」を実感することができました。

また、同時に多くの面において、自分が向上できたと感じることができました。忍耐において、以前より辛抱強くなりました。かつて、気が短く、何かあるとすぐ焦り、しかも毎日忙しく、やりきれないことがいっぱいあると感じ、煉功する時も足が痛くなると、すぐ足を崩して止めてしまっていたのです。また、ある一時期、正念を発するとか、自分を治めると言ってはいたものの、名・利・情に妨害され上手く出来ませんでした。しかし、今は全く違います。心は落ち着き、煉功の時足がどれほど痛くても我慢できるようになりました。そして、心性も守れるようになりました。自分にこのような変化があったと気づいた時、思わず「もっと早く法を暗記すればよかった」と後悔します。早くそうすれば、多くのことがよりよくやり遂げられたことですし、より多くの人を済度する機会を得たかもしれないからです。しかし、今からでも間に合うかもしれないとも思います。それは、すでに法を暗記し始めているからです。

私は暗記するのが遅く、一日4,5ページしかできませんが、200ページ位を暗記しました。このような偉大の法を覚えないと、本当に師父に申し訳ない、法に申し訳ない、自分がこの法を得たことに申し訳なく思います。最近、法をよりよく勉強すれば、真相を伝えることも上手くいき、正念を発する効果もよくなるので、わずかな努力で大きな効果があるということが、さらに実感できました。

以上は自分が少し悟ったものにしか過ぎませんし、学習者の皆さんと交流するために書いたものです。皆さんからのご意見とご指摘をお持ちしております。