日本明慧


いつも自分の人心を見つけ、すぐにそれを修正する

文/大陸大法弟子 

【明慧ネット7月5日】大法弟子はやはり常人の中で修煉しているのでときどきそれらの常人の良くない思想ややり方が出てきたりするが、実はそれは恐くないことだ。一番重要なのはそれが人間のものであり、我々自分のものではないと気づくことができ、しかも絶えずそれを正して基準に達することだ。 

例えば、1.朝起きられないこと。目覚まし時計が鳴ると邪魔されたと感じ、ベルを何のために用意していたのかを忘れる! これはいつも自分を修煉の人と見なさないで、怠けと安逸を求める心を持って、大法を第一位に置いていない。2.真相資料を配った時に智慧、理智、及び慈悲を持ちえなかった。ある時に人に会ったらすぐ逃げることもあり、他人も自分も緊張される。自分がいったい何をしていたのかを忘れる。3.邪悪に捕まられたときに正念がなくて、まず「しまった」と思い、師父と大法を忘れてしまう。 

修煉を重視せず、一気に事をやってしまう。普通のようにただ無理やりにやったが、本当に根本的な執着を捨てられていなかった。これは非常に危険なのだ! どんな環境においても、何らかの矛盾が出たら、いつも自分を探し、自分の人心を見つけて、早くそれを取り除かなければならない。 

明慧ネット上で一つの文章《魔難の中の同修へ》から:昔、一人の修煉の人が多くの苦しみを嘗めて耐えられなさそうになった時に夢を見た。夢の中で師父に聞いて、「私は海岸を幸せに散歩する時、二列の足跡があって、私と伴に歩いてくれた。ところが私が辛い時、困難の中を進んでいる時、地面にただ一行の足跡しか見えない。どうしてなのか? それは私自分の足元だと思う。そのとき貴方はどこに行ったのか?」 彼の師父は彼に教えて、「私の子供、あなたは知っているか? その時に私はあなたを背負って歩いていたのだよ!」 私はそれを読んで感動した。我々はそうではないのか?! どうして執着心を降ろせないのか? 我々は史前の大願を実現するために、我々の衆生のために、いつも自分の人心を見つけて、早くそれを修正し、師父の慈悲済度に背かないようにしよう。