日本明慧


修煉の中最後まで精進する

文/大陸大法修煉者 賀明

【明慧ネット6月26日】私は数多くの試験を経験したが、どの試験もその試験会場の場景は同じであった。どの試験でも試験が終わりに近づくと、試験を監督する先生が、あと残り5分です、チェックしてから答案用紙を出す準備をしてください、と言われます。:ある人は急に焦り出して、未だ出来ない大きい問題に、最後の戦いを挑みます。;ある人は計算してみて殆ど合格点なので、出来ていない問題まで解こうとしません。;ある人はいきなり慌て出して、この最後の時刻にどの問題を解いたら良いか分からず、あれこれ迷っているうち結局最後の5分間何もしないで終わります。;又一部の人は既に答案を全て書き終わって、既に何度もチェックを繰り返し、この退屈と苦痛から一刻も早く逃れようと、解答用紙を手渡し試験場から離れる。;既に答案を全て書き終わっていても、又静かに誤りがあるかどうかチェックして、先生が与えてくれた時間を最後まで活用いる人もいる。

師父は最近の説法で既に“時間が少なくなった”とおっしゃった。私達は最後の時間にどのような心理状態を持つべきでしょうか?私は私達が既に“解答用紙”を書き終わったかどうかに関わらず、この最後の時間で、自分を良くチェックし、繰り返し内に向って探すべきだと思う。これまでどおり、最後まで精進するのが将来の大覚者の持つべき資質ではないかと思う。但し、正法修錬は、常人の中のどんな事よりも難しいことである。一方では邪悪がだんだん狂気じみてきている;またその一方邪魔は非常に大きくなっている。私の場合は、以前に問題にならなかったことが現在になって返って難しくなってきた。真相資料を配るのが伸びたり;以前は1日煉功しなかったら容赦できないほど大きい事だったのに、今はおろそかにしている。特に第5番目の功法(神通加持法)はいつも出来ない。私はこれが正に邪悪の邪魔ではないかと思う。かれらは私達が真相を伝える事、正念を発すること、神通加持法を煉することを最も怖がると悟った。

試験の最後5分は長くは無いが、もっとも人を鍛える。それは残りの問題は私達が解いたことがない難しい問題であり、同時に残りの知力は疲れに邪魔されているからである。

但し師父は“皆さんは修煉者だから、難しくても更によく行なわなければなりません。”(《2001年カナダ法輪大法交流会における説法》)とおっしゃいました。この言葉は私達に対する要求である、と同時に私達に対する巨大な加持である。自分は大体合格できると思って、精進しない同修に私は一つの問題を提起したい:有名な先生のところからは高いレベルの弟子が出ると言う諺にもあるように、私達は宇宙の中でもっとも素晴らしい先生の教えを貰った学生である。常人の言葉を借りると、貴方が60点の答案用紙を手渡すのは私達の先生の名誉を傷つけるものではないでしょうか。

本文はあまり精進していない同修と互いに励まし合うことを旨としています。精進している同修はこの範囲に属していません。あくまで個人の悟りであり、適切でないところについては多くのご叱正をお願いします。