日本明慧


"SARS"が流行っている期間の北京団河労働教養所

【明慧ネット7月8日】北京市団河労働教養所は江氏集団が大法弟子を迫害する罪悪場所の一つで、ここには今でも非合法に200人余りの全国各地からの男性大法弟子を監禁している。同所の悪警察たちは"全国最高転化率"に達しようと公然と言ったことがあり、大法弟子に対する残酷的な迫害は止まるところを知らない。ところが、2003年春に始まった全国を覆ったSARSによる疫病の恐怖はこの邪悪がさばっている教養所も例外ではなかった。

"SARS"という疫病が社会の広い範囲で注目されてから、法輪功学習者ばかりを監禁している三つの大隊の隊長たちは皆通常の仕事から皆を分けて隔離する仕事が忙しくなった。人員の流動によって感染が広がる危険を防ぐために、労働教養所の巡視隊も引き払った。集合訓練隊の部屋と小さい庭は同所で一番汚く、乱れた所で、劣悪な住まいと飲食条件のもと、多くの大法弟子が踏み躙られた場所であった。しかし"SARS"によって、集合訓練隊の部屋が厳重に封鎖され、人員は全部他の場所に移された。大隊の掲示板に張られた邪悪な洗脳資料は "SARSを防ぐ"に関する資料に交換された。大隊は毎日SARSの感染に対する恐怖に陥った。上から「一切の集会を禁じる」という要求によって、半年以来、労働教養所では大きい範囲のいわゆる講座をキャンセルした。ところが、彼たちはやはり時々は小さい範囲で大法弟子を "勉強"をさせた。

その間、通風消毒するため、隊長は毎日大法弟子を連れて室外で活動をさせた。夜になると中央テレビ局の洗脳活動は普通どおり行なったが、人員の全部は室外に移された。疫病に対する恐れによって、隔離されてから仕事に戻した警察はずいぶん少なかった。だから毎日の活動はできるだけ縮小され、大部分は皆を連れて室外にでて日光浴を行った。大法学習者たちの会話チャンスを減少するために、小隊長はゲームをさせたり、寸劇を演じさせたりして誤魔化していた。ある日、灼熱の炎天下で隊長は大法弟子に歌を歌わせた。一人の七十に近い老人が耐えられなくて、抗議をした。

当時の状況はそれほど厳しかったが、労働教養所のほうは監禁された大法弟子たちを酷使した。SARS期間中に医療用品が足りなくなり、労働教養所は衛生標準が極めて高い医療用品を製作する任務を受けた!しかし、当時労働教養所の中では皮膚病が流行っていた。劣悪な衛生環境の中で出来たその医療用品はいったい伝染病を防ぐ前線に対してどんな保証を与えたのだろうか?

人々に及ぼしているSARSの恐怖に対して、全ての大法弟子たちはその道理が皆わかっている。悪警察たちは大法弟子の冷静さに何かを恐れている感じだった。大、小隊長は密かに大法弟子にSARSということに対する考え方を聞いていた。それと同時に、多くの国内外の大法弟子たちが団河に送った真相を伝える手紙も悪警察たちに今までにない圧力と恐怖を与えた。

確かに師父が語ったように:"歴史上の正しい教訓は永遠に人々を戒めることができず、かえって人は皆自分の利益のために反面の教訓を引用して戒めとしています。"(《佛法と佛教》)

"SARS"の病疫は少し治まったが、本性を変えない悪警察たちは相変わらず、陰険に大法弟子を挑発している。労働教養所は今新しい段階の迫害をし始めた。巡視隊は回復し、洗脳は更に厳しくなり、堅い大法弟子たちはさらに厳しい迫害に直面している。

大法弟子の王方甫氏は団河から出され、行方不明になった

河北省の大法弟子の王方甫氏は30代の大学生である。彼は北京で真相を伝えていて非合法に捕まえられた。公安局で四ヶ月間さらに団河労働教養所などでも迫害された。迫害された一部始終を数十通の手紙にして、上級部門に陳情したが、手紙は全部取り上げられた。さらに団河労働教養所の五大隊は彼を重点的に弾圧する対象者として長時間にわたり体罰及び精神な迫害をした。これにより、心身に重い傷害を受けた彼の頭髪は白くなり、足や腰を傷つけられ、両足は腫れていた。悪警察たちは彼を "転化"させるためであればどんな手段を使ってもいい、さもなければ刑期を延長すると言った。 やがて"堅い攻め勉強班"の洗脳を経たある日、彼は全部の荷物も持って五大隊の悪警察に連れられて何処かへ出かけた。ところがその日から彼は行方不明になった。彼は原籍に戻ったと言う人や北京女子労働教養所に転送され引き続いて迫害を受けていると言う人も居たが、今でも詳しい状況は分からない。以前、王方甫氏は固く大法を信じたため非合法に十ヶ月も刑期を延ばされたことがあった。

大法弟子の劉力涛氏は団河労働教養所の集合訓練隊に入れられ迫害されている

遼寧省錦州市大法弟子の劉力涛氏は北京に陳情に行ったため、悪警察に捕まり非合法に労働教養された。その間彼は公安局支局で酷く殴られ、拷問された。さらに"保証"を書かなかったため、悪警察は彼の両手、両足を体の後ろで縛り、刑事犯人を煽動して彼を倒して踏んだり蹴ったりさせた。彼が窒息死しそうになったので、悪警察は慌てて彼を団河病院に送った。彼は三日目になってやっと蘇った。団河労働教養所に入ってから、彼は転化の重点対象者として、いろんな虐めと苦しみを嘗めた。しかし、彼の盤石な心はこれらの非人道的な迫害に遭っても少しも動かなかった。2003年6月のある日、五大隊の隊長の楊保利は体の具合が悪くなっている劉力涛にベッドから降りるよう命令した。ところが、劉氏に断られたので慌てふためいた。そして、これを言い訳として強行に集合訓練し、劉力涛氏を一ヶ月迫害した。彼は更に劉力涛氏を脅かして:"今回は初めてだから、もし再びするとあなたを十ヶ月に延長する。"と言った。今、劉力涛氏は集合訓練隊に監禁されているが、どんな苦しみを受けているのかは分からない。