日本明慧


正念をもって問題を考えた時のいくつかの感想

文/大陸大法弟子

【明慧ネット7月5日】最近、同修との交流で一つの普遍的な現象と認識を発見しました。①法を学ぶときと正念を発するとき、落ち着きが悪く、雑念の深刻な妨害があり、しかも、長期にわたりその現象から抜け出せず、どうしようもありません。②周囲の環境を正すには師父に頼らなければなりません。私達が正念を発するとき集中しないと力不足になりますので、全力を尽くすしかほかありません。③目前の「江氏告訴案」「大審判」「李祥春事件」などは調べてみるだけで充分であり、それからは、時間をつくって正念を発して邪悪を取り除けば良いことです。このひとしきり後は、やはり家で法の勉強と練功をし、手元に真相資料があれば配布し、持てないにしても自ら訪ねません。いずれにせよ、私は師父のお話し通りにやっており、精進(心性の向上)していないものと比べると、私のほうが断然良いのです。④本当に心を静めて正念を発しているのは、やはり師父のクラスに参加したことのある学習者であり、彼らの縁はそれだけ大きいので、基礎は間違いなく良いので、だから心を静めて正念を発することも出来るし、強大な正念を発して邪悪を一掃することができます。⑤《明慧週刊》は、おおよそ調べるだけで結構なもので、本を読む暇さえないのに明慧を見る時間なんかあるのでしょうか。

上述の認識があるということは、やはり正法を理解しておらず、完全に常人の観念で正法を考えているからだと、私は思います。たとえば、その中の②と④は、古い勢力の手配を自覚しないで承認することと同じです。目前、私達は正法時期に置かれていて、すべての邪魔と破壊に直面しています。必ず正念で邪悪を一掃し、同時に原因を自分の中で探して古い勢力が隙間に入り込まないようにしなければなりません。私達が十分な自信と確固不動な正念をもっていれば、邪悪はきっと驚き怯えます。「法はすべての執着を破ることができ、法はすべての邪悪を破ることができます。法はすべてのうそを破ることができ、法は正念を確固不動にします。」(《邪魔を取り除く》)言うのは簡単ですが、実際にやるのは難しいことです。難しいのは執着を切り捨てられない心であり、本当に切り捨てられるときは心がえぐられ骨身にまでこたえるようです。大勢の同修はこの点を知っています。特に、正法が最終段階を迎え、いかなる執着にもせよ、本を読むときと正念を発するとき落ち着かなくなります。だから、必ず一つの勇猛邁進の心を求めなければなりません。世間の全ての執着と未練を切り捨て、漏れのないように努力しなければなりません。しかし「修煉者としては、あなたの心性の向上に対する要求、執着を切り捨てる点をおろそかにしてはいけません。決して基準をさげることはできません。なぜなら、それは未来、将来の宇宙、将来の衆生に対しての責任を負っているからです。(《2003年のカナダバンクーバー法会講法》執着心が少なくなればなるほど法の勉強は落ち着き、正念を発するとき、その威力は限りなく強く、大法を実証する仕事も益々良くなると思います。

正念を発する面で、私は自分の経験について話したいと思います。私がきちんと時間通りに正念を発するようになったのは、去年の10月からでした。(仕事の時はスケジュールを組む、睡眠を除く)はじめたばかりのときは、落ち着かずその勢いはきわめて狂気的だったので、私は雑念に向かって自分の執着を見つけようとしました。平素から執着を薄めて切り捨てる努力をしました。同時に、日常生活の中で、正念をもって問題を考え、万事を法によって判断するように努力しました。私は、ただの一秒でさえ落ち着いて正念を発することができるのなら、その秒間を通じて強大な力を出して邪悪を取り除くことができ、無駄にはならないと悟りました。同時に、正念の時間を長くするようにして5分から15分に、しかも更にそれ以上に長くしました。はじめた頃は、気持ちの焦りがありましたが落ち着いて来るにつれ、徐々に強い正念を発することが出来るようになりました。当然、繰り返しがあって、ある時は落ち着いたり、ある時は落ち着かなかったりもしました。その時私は、法の勉強を強化して、自発的に法に溶け込んで、法を勉強したくなくても、邪魔を克服して勉強しました。大声で読み、書き写しなどをすると、普通は1、2日間で妨害を取り除くことができるのです。

以前のある時、ちょうど「江氏告訴案」の重要な段階に直面しましたが、私はまた妨害、圧力を大きく感じました。正念を発するとき、いつもうとうとと眠気を催し、原因を自分の中で探そうとしても執着が見つからず、心を落ち着かせる法を勉強することが出来ませんでした。私は、これは邪悪の邪魔であり、まさに邪悪を一掃する良い機会だと思うと(日頃は見つけたくても苦労するのに、自分でやってくるなんて、絶対に逃がさないぞ)、邪魔も暫定的でした。法の勉強を強化すると同時に、更に力を入れて正念を発しました。真相を伝えることに関しても、接触する人でさえあれば、工夫を凝らして「江氏は、今アメリカで起訴されている」ことを伝えました。ある常人達は、反対もしないが支持もしませんでした。しかし「江鬼が起訴され、裁判に直面していることは、人々を痛快にさせることと感じ、とても良いことであると思いました。これも、その他の角度から人類のこの空間での「江鬼」邪悪の場を一掃することになります。

人が集中している場所でも、私はこの人の群れに対して注ぎ込んだ邪悪の毒害を一掃して、本当に分かる一面が目覚めて、主宰し始め、後から更に真相が分かる機会があると、念を加えました。私がこのようにした翌日、正念は落ち着きはじめ、全身が熱くなりました。以上は、私の少しの経験であり、ご参考までお願いします。私の経験は、いかなる面倒なこと、問題に遭っても、絶対にどうしようもないと思わないということです(これは古い勢力の手配を認めることになります)。師父を確信し、法が我々に問題を解決してくれるとかたく信じなければなりません。これは、すぐ悟り切れるものではないのですが積極的に同修と交流して、精進したい気持ちを持たなければなりません。「質問:正法以来状態は、良い時と悪い時がありました。楽を求める心がずっと消え去らず、とても苦悩しています。師父回答:師父は貴方を助けることができます。しかし、貴方は精進を知って置けば良いのです。」(《2003年元宵節講法》)

最近、「江鬼審判」をめぐって、これはまさに真相を伝える良い機会だと私達は思います

(実際、私の周囲の常人に対する真相説明を通じても効果がとても良いのです)。多くの「特刊」を印刷する以外に、良くできた幾つかの文章を精選して同修に勧めました。同時に、交流を通じてみんな法理上全体上に「審判」の重要性を認識するようにしました。これは政治をやるのではなく、衆生を済度することです。同修達が法理を理解することができれば、もっと良く邪悪を一掃することができます。チラシの作成上でも、総合的に求めると同時に、「江鬼が告訴されたことを暴き出す一通の手紙」を単独で作成しました。同修達も良いと言いました。正念を発する問題上で、同修達が本当にこれを注視すると同時に「その他の空間の江鬼審判を邪魔し破壊する全ての邪悪な要因を取り除くと、一念を加えるように要求します。

師父は「……肝心なことは、上手く協力し合えば、多すぎる個人の執着は大法を実証することに影響しません。お互いの個人主張による難癖つけも、摩擦も少ないでしょう。お互いに良く協力し合ったからこそ、こんなに法を実証する情勢を良くすることが出来たのです。(《2003年のカナダバンクーバー法会講法》)」全体的な協力の上で、私達は目標性のある集団で正念を発して、有効に邪悪を抑えなければなりません。様々な真相を伝えるやり方には大勢の同修が参与しており、効果も悪くありません。このように、一人一人の同修がみな極力参与して、師父の三つのお話しを良く行い、全体上で一つの難攻不落で漏れのない全体を形成しなければなりません。

当然、不足している面も多くあります。例えば、恐れる心があって交流が出来ないこと、チラシ・CD-ROMで真相を伝える勇気がないこと、精進していない同修に対する冷たい態度・・・・などです。これらはみな向上しなければならないところです。私は、もし、私達一人一人同修が慈悲の心を持っていれば、世の中の一人一人を私達の身内と見ることができるなら、真相説明はずっと良くできると思います。

師父の一段のお話しを持って終了します。「損失を減らすために、衆生を済度するために、大法弟子の強大な正念を発揮し、あなた達の威徳を現して下さい!」(《正念》)