日本明慧


自分の一思一念をしっかり制御しよう

文/大法弟子 

【明慧ネット7月9日】修煉を始めてから、私は修煉の厳粛性を認識し、厳しく自分を律して精進してきた。法を得てから間もなく、祖父さんに大法を紹介した。祖父さんは80歳余りになっているが、毎日私達と一緒に法を学び、煉功をしていた。修煉を始める以前、祖父さんの耳はかなり聞こえにくくなっていた。目の前で話をしても、大声でなければ聞こえなかった。修煉を始めて、間もなく耳がよく聞こえるようになった。ある日、祖父さんは昼寝をしていた時、耳の中で突然大きな爆発音が聞こえ、びっくりして目が醒めた。その時から、小声もはっきり聞こえるようになったと私達に話した。

しかし、暫くしてまた聞こえにくくなった。その原因は一念の違いによることであった。ある日、一人の常人が祖父さんにこう話した:“今まで聴力が悪かったのは、耳の中に耳垢が詰まっていたからで、耳の中で爆発音がした時、耳垢が落ちて出てきたのであって、それで、聞こえるようになった。”この話を聞いた祖父さんは暫く考えてから、そうかもしれないと答えた。この一念により違う効果を齎して、聴力がまた悪くなった。
 
私が親族にこの話をしたら、あなた達の師父はそんなに慈悲深いのにどうして祖父さんの誤りを許してあげないのかと親族たちは理解できなかった。得られた法を大切にしないと、機縁を失い再び得られなくなると私は説明した。年を取った祖父さんにとって、厳しく自分を律しなければ、失うものは聴力だけではなく、修煉の機縁も失われるかもしれないぞ、師父はこの実体験を持って祖父さんに教えているのかもしれない。
 
祖父さんは教育を受けてないし、悟性もあまり良くない。何回も師父に注意されたことがあるのに、悟りが出来ず、修煉を続けてきた。“人は必ず死ぬ”と言う今までの観念がなかなか捨てられない。何十年間も佛教を信じてきたし、知り合いの中ではよく修煉ができた人も最後にはやはり死んでしまう事実を見て、固くそのように信じている。この固い観念が後になって大きな損失を齎した。??迫害が始まってから、私は家を離れて流離生活を始めた。その後、再び祖父さんと会うことはなかった。家族は祖父さんの修煉に反対し、師父の講法録音テープも取り上げた。祖父さんは煉功を続けていたが、修煉に欠かせない師父の講法録音テープを取り戻しようはなかった。そしてある日、祖父さんは静かにこの世から去っていた。
 
私は何度も泣いた。祖父さんの修煉に十分な手伝いができなかったことが悔しかった。だが、考えてみれば、祖父さんは大法の真相を知らない世の中のたくさんの人より遥かに幸運であった。祖父さんは大法の素晴らしさをよく知っていたし、大法の修煉にも参加していた。無数の衆生を救うために、自分の親族と同様に早く世の中のたくさんの人に真相を伝えなければいけないと、祖父さんのことから深く考えさせられた。
 
最近、一人の学習者が彼女の夢の中で見たことを教えてくれた:私たちの住所はたくさんの監視器によって監視されている。これを聞いてから、私はこれが師父からの教えではないかと思う。これに対して、我々は常に正念を保たなければいけないと思った。
 
先日、長い体験談の文章を書くのに長時間掛かった。事情を知らない他の修煉者からなぜ真相資料を配りに行かなかったかと聞かれた。私は体験談を書くためにかなり苦労したと説明した。その日から私の身体に強い病状が現れた。書いた文章が邪悪の肝腎なところに触れたので、邪悪が私に報復したのだと私は思った。私は正念を発して邪悪の邪魔を根絶した後、その後暫くして良くなったが、また元通りになった。そして、自己反省し、自分の中に問題を探したが、何にも見つからなかった。
 
三日目になり、病状は更に悪化し、激しい吐き気をもようした。全身が脱力感で、生命の力が尽きたように感じた。苦しい中で私は繰り返し自己反省をした。表面上は自分には問題がなかったようだが、思念と行動の裏側のより深い心の中に、見つかりにくい問題が潜んでいるかもしれないと思った。苦労して書いた長い体験談の文章の中に自分のことを過剰に強調したところがあったのではないか。実際は、自分がやったことが、自分の力によるものではなく、大法に賦与された力と師父から与えられた知恵によるものではないかと考え直した。
 
この問題を見つけてから、再び正念を発して邪悪の邪魔を根絶した後、病状はすぐ軽減した。四日目になるとすべての反応が消えた。このことから、厳しく自分を律して、一思一念をしっかり制御する重要性をもう一度認識させられた。
 
師父は言われた:“一部の学習者は口先で「旧勢力の按配を否定する」と言っていますが、大きな環境の中で正しく自分を制御することができたのに対し、普通の情況下で自分の正念を緩めがちです。正念が十分でない情況下で問題が起こりやすいのです。もちろん全ての学習者はそうだとは言っていません。私はごく少ない学習者、非常に少ない学習者のことを言っています。”(『2002年米国フィラデルフィア法会での説法』)私は師父の教えに従って、常に正念を保つことに気を付けている。心の中に良くない念が現れる時、その存在を認めず、すぐ根絶させる。
 
また、大法弟子として自らの心性を向上させるために、常に厳しく自分を律し、できるだけ他人には寛容にすべきである。自分の法に対する理解に基づいて他の学習者に要求すべきではない。特に新しい学習者に過剰に要求してはいけない。先日、一人の学習者と会った。彼は2年間修煉を止めていたが、修煉を放棄しようとは思わなかったそうだ。最近、彼は修煉の再開を決心した。師父の慈悲により、天目が開いて、天耳通の功能も現れた。彼と交流した時、私の感じた彼の幾つかの執着心を指摘した。彼も快く私の指摘を受け入れた。翌日、一緒に食事をした時、更に彼の問題点を指摘したら、彼は反感の態度を現わした。法は異なる次元の修煉者に対して異なる要求がある。彼が修煉を再開してからまだ時間が短く、彼に対して高すぎる要求は不適切であったと私は自己反省した。

個人の体験談であり、参考までです。適切ではないところは慈悲に指摘してください。