日本明慧


法に基づいて修煉者を手伝う

文/大陸の学習者

【明慧ネット7月23日】このような修煉者が何人かいます:甲は印刷の担当、乙はそれを届ける担当(もう一人いる)、丙は外地における資料管理場所の責任者です。

甲は、印刷処理能力が限られ、手間がかかるなどの理由で、一度に大量の印刷をしたくはなく、“節約し長持ちさせる”ことを願っています。また、仕事の都合により、乙の要求通りに印刷することが度々できませんでした。乙は、甲が大法を第一としていないと感じていました。ある日、甲は時間があったため、いつもより多く資料を印刷しましたが、今度は乙から配布する人手が足りないという申し出があって、発送を取り止めました。甲は、大量の資料を目の当たりにして、気分を害しました。乙は、使用状況に応じて、逐次発送できるよう保存管理すべきであると思いました。しかし、甲は、乙が管理する側の安全を考えていないと思いました。このように、二人は互いに不平を漏らし、心は隔たり、わだかまりが蓄積していきました。

客観的立場で見ているのであれば、理解できることでしょう…二人とも法を学び突破しようと試みましたが、お互いに放下でない執着心があって、良い時もあれば悪い時もありました。結局根本的な解決には至らず、甚だしい場合、真相を伝えることにも影響を及ぼしました。

乙は、他の学習者ともう一つの資料管理場所を設けたいと思っていました(現状は、一つの資料管理場所で十分なのです)。このようにすれば、真相を伝えることに影響せず、また甲との矛盾も溶解することができると考えました。資料には草稿が必要ですが、甲はそれを作ることができます。しかし、乙は外地の丙のところで、草稿を作ってもらいました。丙は、甲と乙との矛盾について知っており、甲が草稿を作ることができることも知っていましたが、丙は乙にどのように甲との矛盾について、溶解したらよいかということを手助けすることは、しませんでした。表面では“大法を第一にする”という乙の要求を満たそうとしました。先生は、“仕事ではなく修煉である”と説かれました。一つの手段や方法で矛盾を解決するということは、単に“事物”の上で高まるということで、“心”の上で高まるということではないと思います。

わたしは、丙はできれば乙に草稿を渡さないほうが、いいのではないかと思いました。乙はよく法を学び、甲ともよく交流し、事を成すという心を放下し、矛盾を溶解させ、清浄な心で法を正すことを手伝うべきだと思います。甲に問題があるとするならば、先生がおっしゃった“あなたには一つの良い方法があり、彼にも一つの良い方法がある”ということではないかと思います。第三者的立場にある丙のような学習者に対し、いかにして本当に協力することができるかと考えてみるべきではないかと思います。資料が至る所に有るということは、もちろん好いこととは思います。しかし、肝心なことは先入観を捨て去り、お互いに協力し、一つの整体を形成することではないかと思います。このようにして、隙に付け入られることを防ぐことが、できるのではないかと思います。生活費から費用を捻出し、限られた人数で、真相資料の作製をしていくことも、容易いことではないと思います。

広範囲で真相を伝えていく中において、外への勢いがいくら良くとも、内の協調性に欠けるようであれば、隙に付け入られてしまうことでしょう。この方面の教訓はとても多いのではないかと思います。本当に落ち着いて法を学ぶべきではないかと思います。最近、学習者の体験談“自分を高めることは、全てをうまく行うための基礎(上下)である”を読んで感じたことです。

第三者としての立場で申し上げました故、不“清”な点もあるかと思います。皆様のご意見、ご指摘をどうぞよろしくお願い致します。