日本明慧


正信について

文/大陸大法弟子 

【明慧ネット7月12日】正信とは修煉者が佛法(道)と師父に対して堅く信じる信念である。大法弟子にとって、正信は我々が大法と師父を固く信じ、どんなことがあっても動揺しなければ、始めて上に上がり、円満に成れるのである。

修煉者の正信は普通の人の信とは根本的な区別があり、修煉者の正信は自分が法(道)に対して悟ることを根源としている。修煉して出来上がった部分が即ち、神の状態となるのである。修煉者の正信は表面の現象に邪魔されず、見えても見えなくても妨げにならない、それが正念正行の前提である。正信だけあれば、正念正行ができ、絶えず精進でき、円満を実現できる。通常人の信と信じないことはしばしば表面の物に拘束されている。“見えると信じる、見えないと信じない”(師父《精進要旨・なぜ見えない》)。謎の中にいると悟性が低く、業を沢山作ると、自分が抜けられなくなるのである。 

99年の7.20以来、旧勢力は低いレベルの邪悪爛鬼と世間の首魁を操縦し厖大な世論・公機を利用し、大量の嘘を捏造し、大法及び創始者を誹謗中傷することで大法弟子の大法及び師父に対する正信を動揺させることを企んでいた。大法弟子は大法法理に対する深い正悟及び個人の修煉によってできた堅い基礎をもって、大法を堅く信じ、師父も固く信じ、徹底的に邪悪の嘘と政治ヤクザ集団の権謀術数を見破った。どんな迫害の方法を使っても、全然動かず、師父の後について法を正し、動揺しないこと、これは大法弟子の正信である。 

どのようにすれば、正信と言えるのか、口で言うだけではなく、必ず師父の教えにしたがって行うのが正信である。いま、正法の修煉は日に日に終わりに近づいているが、師父は講法の中で、我々は引き続き三つのことを良くしなければならないと教えられた。我々大法弟子個々は師父の話しをよく聞き、更に法を勉強し、正念で邪悪を排除し、真相を伝えて世人を済度する、表層の体が神体に変わることを促進し、最後の円満を実現する、我々の正信を豊かな実りあるものにしよう。