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大法弟子呉敬霞さんは警察の暴行によって死亡した

【明慧ネット7月23日】29歳の大法弟子呉敬霞さんは警察の暴行により死亡した。呉さんは法輪功を修煉する前は、病気を抱えていた。法輪功を修煉すれば病気が無くなると聞いて、好奇心を抱いて修煉し始めた。暫くしてから、身体の病気は全部良くなった。それから彼女は法輪功を修煉し続けていくことを決心した。

99年7月20日法輪功が弾圧されてから、彼女は数回連行、監禁されたことがある。99年の秋、彼女は坊子拘留所に入れられ、38日間不法に監禁され、様々な苦しみを味あわされた。それでも、煉功を止めなかった。家族の積極的な救援により、彼女はやっと釈放された。
 
2000年5月、彼女は北京へ陳情に行く途中、警察に連行され、3000元の罰金を取られた。 
 
2001年の夏、彼女は溝西の洗脳クラスに入れられた。洗脳クラスで江沢民の追随者庄尚田氏を中心とする悪人たちは、睡眠の剥奪、夜間尋問、“懺悔書”の提出を強要する手段で大法弟子を迫害していた。 
 
同年の旧暦12月5日の朝、彼女は法輪功の真相資料を配っていたところ、警察に連行され、先ず産業園警察交番に連れて行かれた後、翌日維坊奎文区洗脳クラスに移送された。三日目に、警察から家族に連絡があり、彼女が“首吊り自殺”したと言われた。5日目の午後、彼女の両親、伯父、弟さんは維坊医院を訪れた、入り口は警察が守備していた。家族が行くところ全部を警察に監視されていた。警察は呉さんの遺体さえ家族に見せようとしなかった。家族が強く要求してから、やっと一目見せてくれた。呉敬霞さんは当時赤ちゃんに授乳している時期で、三日間授乳しなかったため、膨れ上がった乳腺の上を電撃棒で焼かれた傷跡が4、5箇所あり、傷の上に小さい紙切れが掛けられて針を刺し込んで止めている。口に流れ出した血が付いている。背中に皮下出血が点々と散在している。大腿の骨が折れて、首の皮膚に擦り傷があった。
 
数日後、産業園交番の警察は呉さんの家族を迎えに行き、市政府に行って事件の処理結果を話すと言った。家族はやっと政府から正式の説明が得られると思ったが、そのまま火葬場に連れて行かれた。火葬場の中にも外にも警察がいっぱい立ち並んでいる。一人の警察は“娘さんにお別れをしましょう”と父親に話した。そして、家族たちは始めて騙されたことが分かった。伯父さんは納得できず、父親を連れて火葬場から逃げ出した。 
  
家族は警察のやり方に怒りを覚えて、訴状を書いて維坊市検察局に届けた。そこの責任者は訴状を読んでからこう話した:“これは裁判に掛けたら、間違いなく勝ちます。だが、本日私がご家族のためにこの裁判に勝てば、明日は私は職を失い、首にされてしまうに違いない。” 
  
現在、家の電話が盗聴され、家族も監視されている。ご両親は娘さんを失った苦しみを訴えるところがなく、心の中に閉じ込めておくしかない。